ヤワラカセカイ
ヤワラカセカイ2
◇
朝から雲1つ無い青空を見上げて、太陽のまぶしさに目を細めた。
お日様の光と青木さんの笑った顔、似てるな…。
…結局。
今日、水曜日の朝までずっと青木さんの事が頭から離れなくて。
土、日に少女漫画を読まなかったのも、乙ゲーをやらなかったのも久しぶりかもしれない。
だって…読んだり見たりしていると、青木さんを何故か思い出して恥ずかしくなるんだもん。
「沙香ちゃん!おはよう!」
大学の正門につくと、端の植木の所に腰掛けていた青木さんが私を見つけて駆け寄ってきた。
うう…どうしよう、スゴイ緊張してきた…
や、でも瀬名さんの為にも頑張らないと…
「いつまで待たせんだ、二次元女子。」
やっぱり居た、瀬名さん。
そりゃ青木さんと一緒に居たいだろうから居るに決まってるけど。
『瀬名、俺ね?水曜日、方向音痴の子のお世話に行くの!』
『真大、また変なこと引き受けて…。しょーがいない、付き合うよ。』
『瀬名は優しいね♡』
『やめてよ…///』
「沙香ちゃん?沙香ちゃんてば!通り過ぎてるよ!」
「え?あ…」
いつの間にか、B号館の講堂の前にたどり付いていて、教室の入り口で「こっち!」って青木さんが私を手招きしてる。
しまった。
妄想してたら青木さんと仲良くなる為の会話をしなかったじゃん、全く。
…ってあれ?
二人とも当たり前の様に一緒に教室に入って行ってるけど…
ポカンとしてたら、青木さんが側に寄ってきた。
「俺達も受ける事にしたの。ついでだから。」
え?!
「単位はもう取ったけどさ。沙香ちゃんに講義のツボとかタイムリーで教えられるじゃん!」
じゃん!って…青木さん、良い人過ぎます!
「あ、あの…そ、そこまで親切にして頂かなくても…」
「大丈夫!俺、この時間暇だから!ほら行くよ!」
…うそ。
左手、握られた。
その温もりと少し湿った柔らかい感触に、鼓動が一気にドキンと大きく跳ねた。
「どの辺座ろっかー」
青木さんに半ば引っ張られながら入って行った講堂内
あちこちで女子がざわめき立つ。
『ねえ、あれって3年の青木さんだよね。』
『そうだよ!あっちが水野さんでしょ?!うっそ、超かっこいい!』
…二人とも有名人?
そっか…考えてみたら二人とも種類は違えどイケメン部類だもんね、確かに。(柊を見過ぎて麻痺している)
というか、瀬名さんて、名前だったんだ。苗字かと…
『…あの一緒に居る子誰だろ。』
『待って、青木さんと手繋いでるよ?何で?!彼女…?!』
『えー…なんか…』
視線に恐縮しながら歩いていたら、一人の女の子が勢いよく立ち上がった。
あ…山ちゃん
オリエンテーションで仲良くなった、唯一の友達の山下さん。
ホッと手を振り近づいて行くと
「さ、さーちゃん…な、何で知り合いなの?!」※(私が沙香だから、さーちゃん)
山ちゃんは青ざめ、瀬名さんはニヤリと顔を歪ませた。
「やっぱね。お前ら友達だろうなーって何となく思ってたわ。」
え?え?どういうこと??
「ごめん、さーちゃん、私はこれで!」
逃げようとした山ちゃんの前に瀬名さんが軽やかに立ちはだかる。
「なーんで逃げんのよ。サークルの先輩にそれは失礼じゃない?山P?」
「や、山Pはやめてください!」
「んじゃ、タツロウ?どっちがいい?あだ名。」
「どっちも嫌です!」
「我が侭なやつだね、あなたも。『山下』なんだからどっちかしかないじゃない。」
サークルの先輩…?
山ちゃんて、ゲームサークルに入ったって言ってたよね、確か。
と、言うことは……あっ!
「山ちゃん!」
「ああ、そのあだ名もあったね…って俺のつけたヤツのが遥かによくない?」
「もしかして、サークルの先輩で苦手な人が居るって、瀬名さんなの?!」
「お前も大概ひどいね、ズケズケと…」
瀬名さんが山ちゃんの隣にドサリと荷物を置いた。
青木さんが「ほら、入って!」と私を瀬名さんの隣に押しやって、私の隣に腰を下ろす。
「なー山Pー教科書見せろって~」
「ちょ、ちょっと、ほっぺた突っつくのやめてください、水野さん!」
どうしよう……もの凄い悪い顔してニヤケてる瀬名さんに、山ちゃんが絡まれてる。
「瀬名さん、あの…私の教科書貸しますから、青木さんと隣どうしで二人で使ったら如何でしょう」
山ちゃんを守れて瀬名さんの恋路も応援、一石二鳥…
「うっさい。可愛い後輩が見せてくれるっつってんだから、邪魔すんな。」
ええ~………恋より、楽しさ優先…
「沙香ちゃん!」
青木さんが反対隣から私を呼んだ。
「教科書見せて?瀬名は…」
「大丈夫、親切な後輩が見せてくれるから、なー?山P?」
「わ、わかりましたから、よ、寄っかからないでください!」
ああ…ごめんね、山ちゃん、巻き込んで。
そして、相変わらず合コンで味わったつららの様な視線を教室中から浴びせられているし…。
いたたまれない気持ちでいる所に、美澄先生が講堂に入ってきた。
ふわりとした黒髪に、整った顔立ち。薄グレーのシャツにストライプのスーツ、青と白と黒のコントラストのネクタイを締めている美澄先生はとてもかっこよくて。
「今日から、人間行動学概論を担当する美澄です。皆よろしく。」
ひとたびニコッと微笑むと、講堂内の視線は全て美澄先生に向いて、つららはあっさり無くなった。
「じゃあ、まずは…」
評判と青木さんの言った通り、美澄先生の講義はわかりやすくて、とても面白い。
……けれど。
美澄先生は終始にやけ顔で、私を事あるごとにチラチラと見て含み笑い。
もしかして、事情をご存じなのかな?とも思ったけれど
あまりにも頻繁に見られるから恥ずかしくていたたまれなかった。
途中、ペアになってお互いに一問一答するタスクでは、青木さんとペアになってやったけど。
「へえ!沙香ちゃんて朝起きてまず、お水飲むんだね!健康的!」
「は、はい…」
ずっと美澄先生の視線を感じていてやりづらかったし…
「水野さんは朝起きてまず何を…」
「教えてやんない。知りたきゃ家に来ればいいじゃん。あ、今日、俺ん家でゲームやる?」
「やりません!」
…山ちゃんはもっとやりにくそうだった。
そんな美澄先生の初回授業も、何とか終わり、終業の鐘が鳴る。
「じゃあ、今日はここまで。」
美澄先生がそう言って退席すると、生徒達が動き始めた。
「ねえ、沙香ちゃん!昼飯一緒に食べない?」
「え…?」
ど、どうしよう…いいのかな?
だって、ほら、昼休みは二人で愛を語らうチャンスなんじゃ…
『青木さん、俺、弁当作ってきたけど食う?』
『本当?!瀬名の弁当食いたい!じゃあ、卵焼き頂戴!あーん♡』
『ったくしょーがねーな…///』
そう言って二人は…
「…まーくんの折角のお誘いなんだから、違う世界に行ってないで早く『はい!』って返事しなさいよ、二次元女子。」
急に背後で低ーい声がして、ハッと我に帰り慌てて、瀬名さんに向き直る。
「だ、だって…いいんですか?私達が一緒で…」
「わ、私は、大丈夫!お昼食べないから!じゃあ、さーちゃんまた後でね!」
私と瀬名さんが話している最中、山ちゃんがダッシュで荷物を抱え逃げていった。
「ちっ!逃げられた。まあいいや。どうせサークルで会うから。んじゃ、行きます?」
…ごめんね、山ちゃん。
後で丁重にお詫びする、本当に。
「あー!今日何食おっかな。沙香ちゃん学食?」
「わ、私はお弁当ですので…」
「え?!もしかして手作り?!」
「た、大したものは入ってません…。」
「食ってみたい!」
目を輝かせる青木さんに「た、卵焼き位なら…」とタジタジ答えながら、廊下へと出たけど。
背中から痛い視線と言葉。
『本当に、何なんだろう?あの子…』
『もっと可愛い子ならわかるけどさ…』
…町中とかで柊と一緒に居る時もよく言われる言葉。
だけど、柊はかっこいいんだから仕方ないって思って別に傷つくとか全く無かったのに…
(寧ろ、『そうでしょ、そうでしょ?柊はかっこいいの!』って誇らしげに思う事がほとんど)
「沙香ちゃん、どうしたの?」
行った先の中庭のベンチで、青木さんが隣から少し私を覗き込んだ。
それに慌てて、「今日はちょっと唐揚げを失敗しちゃって」って笑って見せたけど。
本当は違うの。
皆の視線と言葉で、ズキズキと気持ちが痛くなっていて。
青木さんの隣に居ることが恥ずかしいって…思ってしまったんだ。
別にどう思われたって良いのにね。
瀬名さんの恋を応援するだけの存在なんだから……。
でも、今より可愛くなる事で堂々と青木さんの側に居られるなら、お洒落とかメイクとか…少し努力した方が良いのかもしれないよね、私も。
.
「え?可愛くなりたい?」
「可愛いじゃん、沙香ちゃん。」
……いや、ゆるキャラの意味じゃ無く、人間として、女の子として可愛くなりたいのですが。
夕暮れ時の喫茶店。
茶色のステンドグラスから、オレンジ色の光が差し込む。
カウンター前のいつもの席で、美女が二人、同時に首を傾げた。
彩月さんとアイコさんだ。
実はあの合コンで私の連絡先を聞いてくれたのは青木さんだけじゃなかった。
なんと、この美女二人が揃って『教えて!遊ぼうよ!』と声をかけてくれたのだ。
私にとっては奇跡みたいな合コン。
さすが、柊主催だと思った。
2つ年上の柊は昔から私とは対照的に男女問わず友達が多い。
けれど、それでも私の事を無下に扱うことは決してなくて
昔、男子に野良犬を使って追いかけ回されていた時も、柊だけは「やめろよ!」って味方してくれた。
まあ…少女漫画の王道から言えば、そこから柊を好きになるパターンなんだけどならなかったのには訳がある。
逆に今度は野良犬が柊を追いかけ始めちゃって、さあ大変。
結果的に私が野良犬に水をかけて追っ払い、悔しくて怒り泣きする柊をあの手この手で慰めたという…
柊曰く、『人生最大の汚点』なんだよね。
私は男子が嫌いになって終わった話だけど、柊はどうしても納得がいかなかったらしい。
その野良犬を探し出して慣れるまで何度も挑んでて、数ヶ月後に柊の家で飼うことになり
『柊が手のつけられない野良犬を飼い慣らした』と学校中で一目置かれるようになった。
それから…ずっと人気者だもんね、柊は。
「可愛くなりたいってさ…何で?」
こうやって、私の話も(多少だけど)真面目に聞いてくれるし。
「その…さ。
青木さんや瀬名さんと知り合って、話したり、一緒にお昼を食べたりするようになったんだけどね?
その…お二人ともかなりモテるというか…」
「ああ、ちんちくりんのお前が一緒に居ると釣り合い取れねえって?」
「ちょっと、柊!沙香ちゃんに何てこと言うのよ!」
「そうだよ!このちんちくりんな感じが可愛いんだから!」
彩月さんとアイコさん…褒めてるのか、けなしてるのか微妙なんだよね…いつも。
ハハッと空笑いして、啜ったコーヒーが何となくいつもより苦みを感じた。
「俺も思うけどねー。沙香ちゃんは今のまんまで充分かわえーよ?」
涼くんが桜と小豆のパウンドケーキを一切れ持ってきてくれた。
「ですよねー!」
「っていうか、このパウンドケーキ、超美味しそう!インスタあげていいですか?!」
「えーよ?」
「…ねえ、涼さん、インスタってわかってんの?」
「えー……インスタントカメラ?」
「えー!」
「レトロで逆に新鮮!」
…私の相談ごとは、どこかへ消えたね、これ。
まあいっか、と一口頬張ったパウンドケーキは桜の葉の塩味と風味が良い具合に口の中で溶け合って、絶妙な美味しさ。その後に飲んだコーヒーの苦味がまろやかな口当たりになった。
「私も、彩月さんやアイコさんみたいだったらよかったのにな…」
溜息を深くついた私を4人同時に見る。
「…沙香ちゃん?」
彩月さんが、私を覗き込む様にして、優しく笑いかける。
「沙香ちゃんが、私達の事を『可愛い』って思うのは…
多分、私達が『事後』で、沙香ちゃんはまだ『事前』だからっだって思うの。」
ぶっ!!
柊がコーヒーを盛大に吹き出した。
「え?!やっだー!柊、まさか、そっち方面考えた?」
「やらしー!」
彩月さんとアイコさんに笑われて、柊が「うるせえ!」って慌ててる…けど。
“そっち方面”とは一体。
「ね、ねえ…事前、事後って…」
「ばっ!だ、だから…そ、それは…」
柊がこんなに顔を赤くして気まずそうにしてるって…まさか、そういうこと?
私が慌て出す前に、アイコさんが、あははと豪快に笑う。
「確かに、まあ…スると綺麗になるって言われてるけどね。
沙香ちゃんの場合は、彼氏が出来る前の話なんだからさ…そうじゃなくてね?
『可愛くなるにはどうしたら?』って事に興味を持っているか、持つ前かの違いじゃない?って事だよ。
きっかけは色々あるけど沙香ちゃんはそれが『好きな人』って事でしょ?」
「え?!す、好きな人?!ち、違いますよ?!
あ、青木さん…優しいから。一度親しくなったら『やっぱりヤダ』は出来なくて…親切にしてくれて。
だ、だったら、私も青木さんに少しでも『可愛い』って思って貰えたら…い、いいかなって…。」
だって、それは瀬名さんの為で。
青木さんと仲良くならないと、協力に限界があるから……
私の慌てっぷりに、柊と彩月さん、アイコさんが目を目を合わせ、涼くんはんふふと柔らかく笑った。
「…沙香ちゃん、うちでバイトすっか?パウンドケーキ位は焼けるようになんじゃねーかな、沙香ちゃんなら。」
「いいじゃん、料理上手女子!」
「だね。おシャレするなら、お金がそれなりに必要だし。」
「じゃあさ、どのくらいかかるのか、ちょっと下見行ってみる?」
「あーアイコ、自分が買い物したいだけでしょ!」
「あははっバレた?」
行くよ!と引っ張られ
半ば呆れ気味の柊と「若者はえーの…」とニコニコしてる涼くんに見送られて行った先は、大きな駅の駅ビル。
「あっちのお店は?」
「沙香ちゃん似合いそうだよね。」
二人で私を案内してくれるけど…
確かに、洋服一枚、一枚がそこそこの値段だって思った。
化粧品なんかも、揃えるとなるとそれなりにお金がかかる。
そっか…気合いを入れて可愛くするなら、確かに少しバイトをしないといけないな…
大きな発見をしたことに、彩月さんとアイコさんに感謝しながら色々な店を回ること数時間。
「下見も済んだし、ちょっとお茶する?」
彩月さんのお気に入りのカフェがあるからと駅ビルを出て立ち寄った繁華街。
少し歩いた所で
「ねえ、これからどこ行くの?」
急に私達の前に数人の若い男性が現れた。
皆…同じ歳かもう少し年上かな。どこか軽い感じのノリというか、明るい雰囲気だけど会話しずらい圧がある感じというか…。
そんな事を思いながら、目線を向けたけど私のことは眼中に無かったらしい。一人も目が合わない。
要するに彩月さんとアイコさんと話がしたいんだなって思った。
「俺達とクラブとか行かない?イイとこ知ってんだよねー。」
「絶対楽しいからさ!」
も、もしかして、これって世に言うナンパってヤツなんじゃ…
彩月さんとアイコさんはニッコリと可愛く小首を傾げて笑う。
「んー…残念だけど無理!」
「だね。行こ、沙香ちゃん。」
アイコさんに手を引っ張られた私を男の人達が今度は一斉に見た。
「あー…そっか…確かに、“今日は”無理だよな。“コブ付き”じゃ…ね。」
「じゃあ、連絡先教えて?今度行こ」と、一人の男の人達が彩月さんの腕を掴む。
「…私達の中に、コブ付きなんて居ませんよ?ごめん、連絡先とか無理なんで」
彩月さんが、「ではでは!」と爽やかに掴まれた腕を振り払い、三人で歩き出す。
どうにかやり過ごせた…のかな、これ。
なんて安堵の溜息をついた所で、背中から聞こえて来た男の人達の会話。
「あー…あの野暮ったいヤツさえ居なきゃうまく行ったのに。」
「二人とも上物だったよな…」
「くっそ…あのブス、覚えとけよ。」
……『ブス』か。
柊と居てもそうはっきりと言われたことがあるし、いいんだけどね、どう思われても。
でも、あの人達にそう見えたってことは、やっぱりきっと一緒に居て恥ずかしいよね…青木さんも。
頑張って、少しでも可愛くならなきゃな、私…。
…なんて、思ってみても。
一朝一夕で可愛くなれるなら、世の中全員可愛いってことになるわけで。
結局、バイトを始めたばかりでお金も無いし、さほど何かを出来るわけでもなく、月日はどんどん過ぎていく。
とりあえず、涼くんに料理を教わり、柊に寝る前の筋トレとストレッチを教わっているけど、他のことは何も変化は無く
「沙香ちゃんの作った唐揚げ超美味い!」
相変わらず、青木さんは私とお昼を食べてくれていて
「…まーくんは何でも美味いって言ってくれんだよ。調子に乗らず精進しろ。」
もちろん、瀬名さんもいて
「わ、私はお昼は食べないから!」
山ちゃんは絶対に逃げる。
そんな変わらない毎日。
変わったといえば…
『沙香ちゃん、可愛くなったね!嬉しい!』
『あ、青木さん…///』
…私がそんな少女漫画的な妄想ばかりするようになったこと位で。(現実逃避とも言う)
1年必須の統計学概論の講義が終わったタイミングで、はああ…と盛大な溜息をついたら、山ちゃんが私を心配そうに見た。
「ねえ…さーちゃん…。その…さ。水野さんにいじめられてない?」
「…いや。」
今思えば、どちらかというと瀬名さんは、青木さんに近づいた私を受け入れているスゴイ人なんだって思う。
まあ…『協力する』って言ってるからなんだろうけど。
「あ、そろそろ私サークルに行かないと…」
「うん、山ちゃん、頑張ってね…」
山ちゃんを見送りながら、提出しなければいけない書類を持って学生課の窓口へと向かった。
「ちょっと確認させて?」
対応してくれた牧野さんに書類を窓口越しに手渡して待っていたら、少し離れた後ろの方で聞き覚えのある声がした。
「絶対楽しいからさー。」
あれって…この前彩月さん達と居た時にナンパをしてきた人だ。
ここの大学だったんだ…
「プロのカメラマンの下でバイトしてるヤツとかもいるから、可愛くなるコツとかも沢山教えられるしさ…」
可愛くなるコツ?!
「もちろん、サークルだから、金もそんなかかんないし、寧ろ撮った写真で稼いじゃってる子も居るくらいで!」
可愛くなった上に稼げるの?!
「望月さん…書類は全部そろってるから、これで預かるね。」
「はい、よろしくお願いします!」
牧野さんに挨拶をすると、結局女の子達に断られたらしいその男の人達の所に急いだ。
「あ、あの…」
「あっ?」
男の人達は、一応足は止めたけど、さっきの愛想の良さはどこへやら。
煩わしそうに、私を睨む。
…く、臭い。
すっごい、煙草臭だな…(睨みよりそっち)
いや…そんな悪臭ごときで、負けてられない。
「さ、サークル…だ、誰でも…入れるんですか?」
一瞬驚いたように目を見開いたけど、その後、眉間に皺を寄せ、私をジッとみた。そのうちの一人の茶髪でウェーブのかかった長髪気味の男の人が、私に少し体を寄せて首を傾げて見せる。
「…あんた、もしかして、この前街で見かけた子?」
「は、はい。あ、あの…さっき、『可愛くなれる』って…。
サークルに入ると、すぐに可愛くなれる方法を教えて貰えるんですか?」
「まあね…何?興味あんの?」
「は、はい!」
「…やめたら?あんたは無理だと思うけど。」
そう言って、行こうぜと言ったその人に、他の男の人が「待てよ。」と制す。
「まあ、たまには“変わりダネ”もありじゃね?」
「え?」
「や、こっちの話。」
「おい、本気かよ。無理だって。お前も、もっとよく考えろよ。」
ウェーブの人が、更に顔を渋くさせて私にそういう…けど。ブスなのは嫌ってほど自覚してるし。だから可愛くなりたいんだし。
「んな、あからさまに、可愛くないって言うなよ。可哀想じゃん。ねえ?
まあ、お前の好みじゃねーもんな、どう考えても。
でも、いいんじゃない?
今からメンバーに会わせるから一緒に来て?
可愛くなれんのは約束されたも同然だから。」
「は、はい!ありがとうございます!」
「お、おい…待てって…」
ウェーブの人が私を制しようと追いかけて来たけど、そんなの気にしない。
やった…これで青木さんと堂々と一緒に居られる様になる!
その人の早足に一生懸命ついていった先。
大学近くの狭いアパートのドアを開けると一室みたいな所に、男の人が数人居て
「あれ?!この前の…」
あ…あの人とあの人、ナンパしてた人だ。
「そ、その節はどうも…」
というか、私以外全員男なんだけど………
いくら気合いを入れて来たとはいえ
煙草とかお酒とか…汗とか…色々な嫌な匂いが、窓も開けていない密閉された部屋の様子に、入る以前に、靴を脱ぐのをためらった。
何か…嫌な予感がする。
「たまには変わりダネもあり?って思ってさ。」
私を連れてきた男の人がそういうと、この前ナンパの時に居た人達もだるそうに立ち上がった。
「変わりダネつってもさ…もう少しマシな子、居なかったのかよ…」
「だよな…」
その反応に、ウェーブがかった髪の人が「ほらな。」とボソッと反応した後、息を吐く。それから、私の前に立ちはだかった。
「んじゃ、俺が貰うわ。別にタイプとかではねーけど…」
近づいて来た顔が歪み不敵に笑う。それに反応して、背中の悪寒が更に増し、後ずさりをしたら、玄関のドアが背中にぶつかった。
「お前処女だろ?イイ絵面撮れんじゃね?」
う……そ。
「あ、あの…可愛くなれるって…」
後ずさりをしたらドアが背中にぶつかって、両腕をウェーブの人に掴まれた。
「もちろん。俺達が最高に可愛い姿、撮ってあげるからねー。」
後ろで高みの見物をしている数人がそう言ってはやし立てた。
ど、どうしよう。
これ…絶対やばいヤツだ。
「離してください!」
「いいよ?あの二人をここに呼んでよ、だったら。」
あの二人って…彩月さんとアイコさん?
「い、嫌です!」
「タダで離して貰おうってそれは甘いんじゃない?」
ウェーブの髪の人の指が頬を撫でた。
「…ま、じっくり可愛がってやるよ。」
「お!お前以外とノリノリじゃん。まあ、ゆっくりやってよ。途中でギブアップしてもらって、あの二人呼んでもらえればいいわけだし。」
ああ…私バカだ。
昔から、知らない人とうまい話にはついて行くなってお母さんに言われてたのに…
「やだ!止めて!」
めいっぱいの抵抗をしようって腕に力を込めて身体をこわばらせる。
何で…こうなっちゃうの?
涙が溢れて、視界が歪む
やっぱり私には無理なの?
可愛くなろうとか…それで青木さんと一緒に居たいとか…
ウェーブの人の顔が耳に近づいてその唇が耳に触れて、ゾクリと身体が寒気を覚えた。
「悪いけど、少し付き合ってもらう。絶対怯むな。靴も脱ぐな。我慢しろ。」
え……?
そう囁かれた瞬間
ドン、ドン、ドン!!!!!
後ろでドアが勢いよく外から叩かれた。
のぞき穴から覗いてみた一人が首を傾げる。
「…あれ?こいつ、女子にすげえ騒がれてる“青木”ってヤツだ…
え?何、お前知り合い?」
ドン!!ドン!!
「開けろよ!沙香ちゃん!居るんでしょ!」
ドン!ドン!
「しつけーな…どうする?片岡。」
「…や、マジでこんなブスのせいで厄介な事になんのはごめんだわ。相手が有名なヤツなら余計に何かあったら目立し。」
ウェーブの茶髪の人はあっさり私の腕を解放して、鍵とドアを開ける。
「沙香ちゃん!」
血相を変えて入って来た青木さんが私を引っ張り、背中に押し込めると、目の前の男の人達を睨みつける。
「や…誤解だって。別に悪い事しようと思ってたワケじゃ無くてさ。
寧ろその子が俺達に言い寄って来たんだぜ?」
「…そう。じゃあ、もう連れて帰ってもいいよね?」
「どうぞ、どうぞー。」
さっさと帰れと言わんばかりに、ドアが目の前でバタンと閉まり、カチャリと最後に鍵の音がした。
「あー…もう。真大、強行突破はマズいって…」
「だって!」
興奮冷めやらぬ様子の青木さんは、後から来た瀬名さんと学生課の牧野さんをキッと睨んだ。
二人ともそれにバツが悪そうに目を見合わせて。
牧野さんが「とにかく、場所を移動しようか」と促した。
.
「彼らのサークルは要注意でね。大学サイドとしてもしっぽを掴め次第解散させようって思ってたんだ。」
行った公園で、牧野さんが私をベンチに座らせてくれて、ココアを差し出した。
「ごめん、もう少し早く追いかけられれば、ここまで危ない目に遭わせずにすんだのに。
緊急の電話が一本入っちゃってね。偶然そこに来た瀬名達に頼んだってわけ。」
「つーより、真大が少し事情聞いただけで、走って追いかけてっちゃったんだけどね。」
「まあね。本来学生にさせる事じゃ無いから。」
牧野さんと瀬名さんの目線に促されて青木さんを見たけど、ずっとそっぽを向いて不機嫌そうに口を少し尖らせている。
そんな青木さんを気にしながら、瀬名さんが、私の隣に腰を下ろした。
「まあ…とりあえず無事で良かった…」
「良くないよ!」
初めて聞いた青木さんの怒鳴り声。
黒目がちの目は少し潤いが増していて、眉間に皺も寄ってる。
「沙香ちゃん、自分がどのくらい危険な事したのかわかってる?!
知らない男にほいほいついてってさ…
マジで信じらんない!
俺達が助けに行かなかったらどうなったと思ってんの?!」
またプイッとそっぽを向かれて、頭を鈍器でガンと叩かれた様な感覚を味わった。
私…青木さんに嫌われたんだ。
そりゃそうだよね…
軽々しくこんな危ない話に乗っかって…
「あの…ご、ご迷惑をおかけして…ごめんなさい!」
「あ、待って。送るから…」
「いえ!牧野さんもすみませんでした!失礼します!」
こみ上げる涙を懸命に堪えながら、その場を走って立ち去った。
『沙香ちゃん、おはよ!』
青木さんの優しい笑顔が目の前に浮かぶ。
握ってくれた掌の感触とか、卵焼きや唐揚げを頬張った後に「美味っ!」って言いながらくしゃってしてくれる笑顔とか…たくさん。
………どうしても可愛くなりたかったんだもん。
青木さんと………一緒に居たかったんだもん。
家に帰って、部屋に入ると布団を被った。
びっくりするほどの涙がシーツを濡らしてく。
「う~……っ」
泣いて、泣いて…だけど、いくら泣いてもやっぱり青木さんの事を思い出して。
もう二度と、優しい笑顔も見れないし楽しい会話も出来ないんだって思ったら、また沢山、涙が溢れた。
…今更気付いた。
私は、青木さんが好きなんだ。
.
「…お前さ。いい加減にしろよな。」
「………。」
布団の向こうで柊の声がする。
「何で俺が、お前の世話焼かなきゃいけねーんだよ…」
そう言っては、涼くん特製の軽食を運んで来てくれること、今日で2日目。
トイレ以外、布団から出ることもなく。
大好きな涼くんのご飯に口をつけることもなく…
「お前、このままだと餓死するぞ。」
「……いいもん。私なんてこのまま消えてなくなっちゃえばいいんだ。
それで生まれ変わったら超可愛い子になる。」
「……」
フウって溜息が聞こえて、バタンとドアが閉まる音がした。
少女漫画でよく、主人公が失恋したりすると布団を被って泣いて夜を明かす…なんて場面がある。
まさか、それを自分が実体験するとは思わなかったな…
とはいえ確かに夜は明かしたけど
そこから怒濤の勢いで眠ったらしくて…気がついたら一日経ってた。
どうやら、現実は漫画みたいにキレイにはいかないらしい。
……そういや、最近少女漫画読んでなかった。
乙ゲーも全然やってないな……。
散々泣いて、泣き疲れて眠って…スッキリした今、私、本当にバカな事をしでかしたんだって、改めて思った。
もちろん、それはあんな危険な人についていった事が主ではあるけど。
『沙香ちゃん!今日は唐揚げ食っていい?!』
…青木さんとたくさん一緒に居たいとか考えて、可愛くなろうなんて。
「………バカだ。」
布団からむっくりと起き上がり、掴んだスマホ。
山ちゃんが心配してメッセージをくれていて
それに「大丈夫だよ。ごめんね!」と返した。
あ…青木さんからも来てる。
『沙香ちゃん、ごめん!怒鳴ったりして!
本当にごめんね!』
鼻の奥がツンとする。
青木さん…本当に優しい人だな。
あんな事して、幻滅しただろうに、私が泣いて帰ったからってこんなメッセージ…。
ふうと息を吐き出した。
…もう、瀬名さんに協力は無理だな。
私、絶対に自分が青木さんと一緒に居たいんだもん。
そんな理由を隠して、瀬名さんに協力するためって青木さんに近づくのは良くない。
それに…きっとまた、ばかなことする。
『返信が遅くなってすみません。
こちらこそ、沢山ご迷惑をおかけしてすみませんでした。』
「…よし。」
返信をタップして、青木さんからの通知をオフにしてスマホを手放すと、棚から少女漫画を手に取った。
ベッドサイドに腰を下ろして少女漫画を開くと、涼君の作ってくれたタマゴサンドを口にする。
フワリと広がる甘みとしょっぱさ、そして、パンの柔らかさ。
美味しい……。
その優しい味がこころに染みて、瞼が熱くなって視界がぼやけた。
もう……戻ろう、二次元に。
『俺がお前を変えてやるよ』
柊…ごめんね。
私が変わるのは無理みたい。
リアルは…私にはきっと向いてないんだ……
ガチャッ
「はい、邪魔するよー。
って、何だ。元気じゃねーか。
大学来いや。お前がサボるとまーくんが心配すんだろーが。」
な、何事?!
「瀬名さん、ど、どうしてここに!?」
「え?下の喫茶店のオッサンが『上にいるよー』って。」
ええっ?!
涼くん、私が下宿して以来、柊以外の男子、入室禁止だったのに!
「り、涼くんに何したんですか?!」
「…前から思ってたけど、お前、俺には強気だよな。
若干失礼だし。」
目の前にあぐらをかいて座ると涼くん特製サンドイッチをパクりと口にする。
「おっ!これ美味い!」
「…何しに来たんですか。」
「助けてやった恩を忘れて随分な言い草じゃない。」
ぐ………それを言われると…確かにそうだけど。
「そ、その節は…大変ご迷惑を…」
「いーえ。俺っつーより、まーくんにちゃんと礼を言って欲しいけどね、俺としては。」
「……よろしくお伝えください。」
勝手にカフェオレを飲み始めた瀬名さんが、カップに口をつけたまま上目遣いに私を見た。
…すっごい、可愛い。
カップにつけてる小ぶりの唇。形の良いぱっちり二重の目。その奥のブラウン瞳が煌めきを放っていて、甘えている子犬みたい。
決めた。
次に生まれ変わるなら、絶対瀬名さんだ。
「…まーくんに会ってやってよ。」
「それは…」
「“協力”はどうなった?」
お断りをしようとしたら、ピシャリとやられる。
そうだよね…一度約束したことを全う出来なかったわけだから。
そこもちゃんと謝らないと。
「……もう協力は無理です。」
「でしょーね。」
少女漫画をパラパラと興味なさげにめくりながら、私に相づちをうつ瀬名さん。
「すみません…志半ばで…」
パタンとそれを閉じると、ジッと一度私を見た。
「…もう、協力はいいよ。
だからさ、最後にちゃんとまーくんと会ってあげてくんない?
あの人、ずーっと気にしててさ。あなたに怒鳴っちゃったこと。」
「そ、それはさっきメッセージで『こちらこそすみません』って返しておきました。」
「あなたはそれで済んだかもしんないけど、まーくんはそれじゃすまないんだよ。
明日、昼休みB号館の前のベンチ集合ね?わかった?」
立ち上がり、本棚をジッと見ると漫画を数冊手に取り、振り返る。
「…人質。明日来なかったから、この子達、薪にしてまーくんと焼き芋やろうっと。」
え、ええっ?!
ちょっと待って!
それまだ一回しか読んでない新しいヤツ!
しかも、最終巻と一巻を持ってった…
……青木さんには会いづらい。
けど、あの漫画が焼き芋の為の薪にされるのも嫌だ…。
「どうすればいいのー!」
「会いに行けよ。」
こ、今度は柊?!
「き、聞いて…」
「わざわざあの瀬名が来るんだから、青木さんの事くらいしかねーだろ。」
“あの瀬名”…?
そ、そんなに普段は動かざる事山のごとしなんだろうか、瀬名さんて。
そっか…青木さんのことが本当に好きなんだね。
そして、ちゃんと青木さんの為にはこうやって動ける。
チクリと胸が痛んだ。
…私なんて、迷惑をかけるだけで、青木さんの役に立てること何も出来なかった。
「…真大ってさ、結構人見知りなんだよね、実は。
合コンも無理矢理出て貰ったから悪かったな…って思ってた。
けど、お前の事は出会ってすぐからずっと楽しそうに話してて。
だから誘って良かった…ってほっとしてたのによ。
昨日バイトで会ったら…すっげー泣きそうな顔してんだよ?」
「柊…」
…もしかして、柊も青木さんが好きなの?
「……断じて、違げえわ。」
エスパー?!
「俺を妄想の中に連れてくんじゃねえ。」
柊が、スラッとした指で私の頬を横にぎゅーって引っ張る。
「お前はとっとと、真大と会ってこい!」
「あいまふ!あふははは~!(会います!会いますから!)」
…そうだよね。
何も出来なかったんだから、最後くらいちゃんとしよう。
ちゃんと会って、助けて貰った事をお礼して。
それで、今までありがとうって、笑顔で言うんだ。
◇
「じゃあな」って沙香の部屋を出て下に降りてったら、瀬名がカウンターに座ってコーヒー飲んでた。
その横に俺も腰を下ろす。
そんな俺をチラリと一瞥した瀬名は、静かにカップを皿にもどした。
「…柊的には良かったの?これで。」
「何が、だよ…。」
「や、さ…」
ハハって誤魔化す様に笑う瀬名にフウって溜息ついた。
「まあ…今回の件はさ。
あいつをたき付けた俺にも責任あるから。」
「仕方ねーよ。沙香ちゃんはそんなとこが可愛えーんだもん。」
俺の前にコーヒーを置いてくれる涼さん。
「下宿決まった時、俺、すっげー嬉しかった」
ニコニコ顔でキッチン奥に戻って行くのを見守って、瀬名がまたコーヒーを一口飲んだ。
「二人は幼馴染みつったけど、ここら辺が地元じゃないんだね。」
「あいつは俺を追っかけて出て来た…っつーか、沙香の両親がこっちに出てくるならそうしろって。俺も涼さんに世話になってるから余計にそれが良いってなったんだと思うけど。」
「歳が少し離れてんだけど、俺の親友なんだ。沙香ちゃんの父ちゃんが。」
カウンターに戻ってきた涼さんの含み笑いに恥ずかしさを覚えて、少し睨むとそのまま目線を逸らした。
……すっげーやりづらいわ、今。
バツの悪そうな俺を瀬名が面白そうに口元を腕で隠して笑う。
「…で?可愛い幼馴染みをなんとかしようって考えちゃったの?」
やっぱ瀬名もお見通しかよ……
小さい頃から、沙香は可愛かった。
特別美人とかそういう事でもないんだけど、愛嬌があるキャラっつーか…ちょっかい出したくなる雰囲気があって。
男なんてさ、そういう子をからかいたくなる人種なんだよ。
嫌がる沙香を面白がって、無理矢理近所で恐れられてた野良犬の矛先を向けさせて。
途中で野良犬は追っ払ってあげるって予定だったらしいけど。
それも出来ず、俺が怒り出したら恐くて逃げてった。
だけど、野良犬が今度は俺を追いかけだして…
最終的に沙香が俺の為に野良犬を追っ払うっていう最低な結果んなって。
…あれ以来だよな。
あいつに寄って来そうな変な男に睨み利かせる様になったの。
一人でヘラヘラしてるあいつが女子校に行ったところでほっとけなくて…今までずっと。
……けど、俺の行為は浅はかだった。
沙香はリアルより二次元に入れ込む様になってって。
現実をロクに知ることなく、大学生になっちまって。
だから、少し刺激与えてやるかって、メンバー的に絶対大丈夫って合コンセッティングして無理矢理参加させた。
それがな……まさか、あんな暴走するとは、さすがに予想出来なかったわ。
「まあ…まーくんですからね。相手が。」
俺の思考を読み取ったらしい瀬名の言葉に苦笑い。
「…つかさ、瀬名こそ、これでいいわけ?」
誰に対しても愛想良く見えて、実は興味を持った相手にしか自分からあまり絡んで行かない瀬名。
それが、真大の為とはいえ、こんな所までわざわざ足を運んでくるってさ…
ジッと見た俺に、瀬名は困った様に眉を下げた。
「やめてよ!ないから。
大体、 まーくんが入れ込んでる相手に入れ込んでどうすんだって話よ?」
…やっぱ気に入ってんだな、沙香のこと。
まあ、一線引ける位だから、どっちかっつーと、お気に入り止まりなんだろうけど。
「俺は大学違うから、おとといみたいな事があっても、あんま手助けしてやれねーから。
瀬名…これからも頼むわ。」
「よく言うよ。あのサークル、裏で手が回って、一網打尽になったって聞いたよ?」
「そ?俺はただ、知り合いにちょっと色々そっち方面詳しい人が居たから、涼さんを通して話して貰っただけ。」
「んふふっ。沙香ちゃんに手え出そうなんて考えんから、そういうことになんだよねー!」
「恐っ!オッサン恐いわ!」
「俺は、恐くねえ!ただのオッサンだ!」
「…“オッサン”じゃないんだね?怒る所は。」
初めて会ったとは思えない二人の軽快なやり取りに苦笑いしながら、一息ついた。
真大はいつも真っ直ぐで色んなことに一生懸命で、だけど人には優しい。周囲の人をなんていうか、笑顔にする力を持ってる凄いやつ。同じ歳だけど、だいぶ俺より、人間力が上だっていつも思う。
…ずっと二次元にしか興味を持たなかった沙香がそんな真大に行き着いたわけで。
そりゃ、何年経ったっても二次元止まりなワケだわ、俺は。
そんな風に思った俺の心をまた読んだらしい瀬名の含み笑いに、今度は笑顔を向けて、苦みの溜まった残りのコーヒーを飲み干した。
「何か、娘を嫁に出す親父だね、柊。」
「あ~…まあね。あいつ、マジでフラフラしてんから。」
「うん。それはわかる。
俺には無理だわ、あーゆータイプは。 」
真大…よろしく頼む。沙香の事……。
◇
柊に引っ張られた頬の痛さが残る翌朝、涼くん特製のモーニングトーストとカフェオレを完食してから家を出た。
とにかく、迷惑をかけてしまったことをきちんと謝る。
そして、今までの感謝を伝える。
………よし。
午前の授業中、何度も何度もそう自分に言い聞かせてから行った、B号館の前のベンチ。
「沙香ちゃん、ほんっっとごめん!」
………え?
「もうさ…俺、頭に血が上るとついああやって食ってかかっちゃうんだよね…」
ちょ、ちょっと待って?
「怖い思いしたのは沙香ちゃんなのにさ…。瀬名や牧野さんみたいに優しい言葉かけてあげられなくて…ほんとにダメだったって思うけど…お願いだから、嫌わないで!」
目の前で手をパンっと合わせて「お願い!」って…
な、何で…私が青木さんに謝られてるの?
「あ、あの…き、嫌わないでって…青木さんが私を嫌いになったのでは…。」
「えっ?!そんなわけないじゃん!俺が沙香ちゃんのこと嫌いになるなんてあり得ないよ?」
私…嫌われてない…の?
あ、あんなに迷惑かけたのに?
青木さん…なんて優しいんだろう。
………ポタンって涙が落ちた。
「えっ?!沙香ちゃん?!」
「ご、ごめ…なさい!あ、あの…違うんですその…」
だって、嬉しかったんだもん。
ほっとしたんだもん。
やっぱり、私、青木さんが大好きだって思っちゃったんだもん。
「わ、私…その…青木さんに親切にして貰ったり助けて貰ったりしてばかりで何も返せなくて。その上迷惑かけて…
だから、青木さんが怒るのは当たり前だって…」
泣いちゃって、絶対、今また青木さんを困らせて迷惑かけてる。
そう思って、涙を何とか止めたいのに、拭っても拭っても涙がポタポタと後から後から落ちてくる。
ヒックヒックとひゃっくりまでし出しちゃって…もうどうして良いかわからない。
「わ、私…ど、どうしても可愛くなりたかったから…
青木さんと一緒に居たくて…だったら可愛くならなきゃって…
だ、だから…『絶対可愛くなれる』って言われて…だから…」
「…え?!ちょ、ちょっと待って?沙香ちゃん、あのさ…」
「あ、青木さんともっと一緒に居たかったんれす~!!!」
ちゃんと謝ろうって思ったのに。
ちゃんとありがとうって伝えたかったのに。
私は、本当にダメなヤツだ。
きっともう…青木さんを困らせた罪で、漫画は薪にされるんだ!
『瀬名、焼き芋もういいよね…って熱っ!』
『あ~…もう。まーくん気をつけて?ほら、軍手。』
『瀬名は気が利くね!大好き!』
『や、やめてよ…///』
……最後に二人のお力になれるなら、本望だ。
お幸せに!
「ごめんなさい!」と頭を下げて、そのまま走り去ろうって方向転換した瞬間だった。
腕を後ろから引っ張られて少しバランスを崩した身体を背中から青木さんの長い腕がクルリと覆う。
「…どこ行くの?」
「ど、どこって…だって…」
「俺と居たいって思ってくれてるんでしょ?だったら居れば良いじゃん。」
………え?
「や、あの…ですね。」
「つか、沙香ちゃんがそう思ってるなんて全然わかんなかった!
あー!マジで嬉しい!沙香ちゃん超好き!」
ぎゅーって後ろから抱きしめられて…“超好き”って………ええっ?!
「す、好き?!」
顔だけ何とか回して、青木さんに視線を向ける。
青木さん、キョトンと少し不思議そうな顔をしてるけど…
「え?うん。俺、沙香ちゃんのことすっげー好きだもん。」
「えっと…そ、その好きは…いわゆる、ゆるキャラをこよなく愛す的な…」
「は?何それ。」
身体をクルリと回転させられて、正面に向けさせられて
そのまままた、フワリと長い腕が私を包み込む。
大きめの唇が綺麗に弧を描いて、若干アヒル口になっている青木さん。
その表情は微笑みを浮かべていて柔らかくて穏やか。
「沙香ちゃん、俺の彼女んなって?」
これは………夢?
私、青木さんと一緒に居たいあまり、都合の良い夢を見てるの?
だってこんな少女漫画みたいな展開…
「やっぱり夢かも。」
「え~?違うって!」
「そうだ、ほ、ほっぺた!……痛っ!」
ほっぺをギュッとつねった手を「も~ほら!そういうことしない!」って青木さんの手が包み込む。
そのまま、青木さんの整った顔が近づいて来たって思ったら、フワリと唇が重なった。
柔らかくて…温かい。
青木さんの表情と同じ感触。
「……ね?夢じゃないっしょ?」
コツンとおでこ同士がぶつかって、目の前の白い歯を見せて笑う青木さんがぼやけた。
「あ〜マジで嬉しい。」
青木さんのそんな言葉を聞き、「私もです!」って答えたいのに。
涙がどんどん出て来て声にならない。
だって……二次元にしか生きられなかった私が、瀬名さんの恋路をお手伝いして…
…………して…?
……………しまった!
「あ、あの!やっぱり無理です!」
思い切り胸元を押した私に、青木さんが首を傾げて怪訝な顔をする。
「あ、あの…あの…や、やっぱりその…お、お付き合いとか……」
だって、こんなの瀬名さんに顔向けできない…
「もう協力しなくて良いって言いませんでした?俺。」
ひいっ!瀬名さん!
離れようとしたら青木さんの腕が、私をグイッと引き寄せる。
って、待ってください、青木さん!
私…こ、殺され…いや、人質を薪にされる~!
「瀬名!やったよ!」
「おめでと、まーくん。」
ああ…ニッコリ笑うその表情が余計に恐い…。
「あ、あの、あの、あの、こ、これには深いわけが…」
「言っとくけど、俺は女の子大好きよ?」
…………へ?
「え?何のこと?」
青木さんがキョトンと黒目がちな可愛い目をパチクリさせる。
いや、私も可愛くない目を瞬きさせたけど。
「ゆるキャラより女が好きって話。もちろん、男よりも断然女の子。まーくんは好きだけど、それとは別。 」
「え?!何?沙香ちゃん、瀬名と俺ができてるって思ってたの?!
それで瀬名と接する時おびえてたの?!」
「怯えてって…まーくんも言うね……。 」
瀬名さんが近寄って来て、戸惑う私の横を通り過ぎる瞬間、ぼそっと私の耳元で言った。
「まーくん不幸にしたら、末代まで呪う。」
ひいいっ!
「…沙香ちゃん?」
「な、何でもありません…」
「んじゃ、お邪魔さま」と去って行く猫背がちな瀬名さんの背中を若干息切れしながら見送った。
『もう協力はしなくていいって言ったでしょ?』
瀬名さん、認めてくれたのかな、私の事…。
というか瀬名さん、どのくだりから見ていたんだろうか。
不適な瀬名さんに、若干の畏怖を感じていたら
「沙香ちゃん」
青木さんに名前を呼ばれて、腰からグイッとまた引き寄せられて。
視界が青木さん一色になった。
整った顔とサラリとした髪が、日の光を浴びて黄金色に輝く。
「俺さ…ちゃんと沙香ちゃんのこと大切にするからね!」
黒目がちな目が真っ直ぐ私に向いていて、真剣そのもの。
気持ちがキュウッて音を立てる。
……ごめんなさい瀬名さん。
この誘惑に勝つのは無理です。
「…よろしくおねがいします。」
「うん!沙香ちゃん!」
ギュウッて抱きしめられて、頬が緩む。
やっぱりどうしても、青木さんと一緒に居たいや、私。
「…沙香ちゃん、もう変な人に付いてっちゃダメだよ?」
「は、はい…」
「本当に?約束だよ?」
こうやって、抱きしめられて感じる、青木さんの柔らかな世界。
二次元では味わえない、リアルな感触がここにはあって
ずっと、ずーっとこのまま、この世界に居られたらな…。
何て、思った私は、まだまだ二次元から脱し切れていなかった。
リアル恋愛は、ヤワラカだけど、前途多難。
それをこれから私は思い知る事になる……。
.
朝から雲1つ無い青空を見上げて、太陽のまぶしさに目を細めた。
お日様の光と青木さんの笑った顔、似てるな…。
…結局。
今日、水曜日の朝までずっと青木さんの事が頭から離れなくて。
土、日に少女漫画を読まなかったのも、乙ゲーをやらなかったのも久しぶりかもしれない。
だって…読んだり見たりしていると、青木さんを何故か思い出して恥ずかしくなるんだもん。
「沙香ちゃん!おはよう!」
大学の正門につくと、端の植木の所に腰掛けていた青木さんが私を見つけて駆け寄ってきた。
うう…どうしよう、スゴイ緊張してきた…
や、でも瀬名さんの為にも頑張らないと…
「いつまで待たせんだ、二次元女子。」
やっぱり居た、瀬名さん。
そりゃ青木さんと一緒に居たいだろうから居るに決まってるけど。
『瀬名、俺ね?水曜日、方向音痴の子のお世話に行くの!』
『真大、また変なこと引き受けて…。しょーがいない、付き合うよ。』
『瀬名は優しいね♡』
『やめてよ…///』
「沙香ちゃん?沙香ちゃんてば!通り過ぎてるよ!」
「え?あ…」
いつの間にか、B号館の講堂の前にたどり付いていて、教室の入り口で「こっち!」って青木さんが私を手招きしてる。
しまった。
妄想してたら青木さんと仲良くなる為の会話をしなかったじゃん、全く。
…ってあれ?
二人とも当たり前の様に一緒に教室に入って行ってるけど…
ポカンとしてたら、青木さんが側に寄ってきた。
「俺達も受ける事にしたの。ついでだから。」
え?!
「単位はもう取ったけどさ。沙香ちゃんに講義のツボとかタイムリーで教えられるじゃん!」
じゃん!って…青木さん、良い人過ぎます!
「あ、あの…そ、そこまで親切にして頂かなくても…」
「大丈夫!俺、この時間暇だから!ほら行くよ!」
…うそ。
左手、握られた。
その温もりと少し湿った柔らかい感触に、鼓動が一気にドキンと大きく跳ねた。
「どの辺座ろっかー」
青木さんに半ば引っ張られながら入って行った講堂内
あちこちで女子がざわめき立つ。
『ねえ、あれって3年の青木さんだよね。』
『そうだよ!あっちが水野さんでしょ?!うっそ、超かっこいい!』
…二人とも有名人?
そっか…考えてみたら二人とも種類は違えどイケメン部類だもんね、確かに。(柊を見過ぎて麻痺している)
というか、瀬名さんて、名前だったんだ。苗字かと…
『…あの一緒に居る子誰だろ。』
『待って、青木さんと手繋いでるよ?何で?!彼女…?!』
『えー…なんか…』
視線に恐縮しながら歩いていたら、一人の女の子が勢いよく立ち上がった。
あ…山ちゃん
オリエンテーションで仲良くなった、唯一の友達の山下さん。
ホッと手を振り近づいて行くと
「さ、さーちゃん…な、何で知り合いなの?!」※(私が沙香だから、さーちゃん)
山ちゃんは青ざめ、瀬名さんはニヤリと顔を歪ませた。
「やっぱね。お前ら友達だろうなーって何となく思ってたわ。」
え?え?どういうこと??
「ごめん、さーちゃん、私はこれで!」
逃げようとした山ちゃんの前に瀬名さんが軽やかに立ちはだかる。
「なーんで逃げんのよ。サークルの先輩にそれは失礼じゃない?山P?」
「や、山Pはやめてください!」
「んじゃ、タツロウ?どっちがいい?あだ名。」
「どっちも嫌です!」
「我が侭なやつだね、あなたも。『山下』なんだからどっちかしかないじゃない。」
サークルの先輩…?
山ちゃんて、ゲームサークルに入ったって言ってたよね、確か。
と、言うことは……あっ!
「山ちゃん!」
「ああ、そのあだ名もあったね…って俺のつけたヤツのが遥かによくない?」
「もしかして、サークルの先輩で苦手な人が居るって、瀬名さんなの?!」
「お前も大概ひどいね、ズケズケと…」
瀬名さんが山ちゃんの隣にドサリと荷物を置いた。
青木さんが「ほら、入って!」と私を瀬名さんの隣に押しやって、私の隣に腰を下ろす。
「なー山Pー教科書見せろって~」
「ちょ、ちょっと、ほっぺた突っつくのやめてください、水野さん!」
どうしよう……もの凄い悪い顔してニヤケてる瀬名さんに、山ちゃんが絡まれてる。
「瀬名さん、あの…私の教科書貸しますから、青木さんと隣どうしで二人で使ったら如何でしょう」
山ちゃんを守れて瀬名さんの恋路も応援、一石二鳥…
「うっさい。可愛い後輩が見せてくれるっつってんだから、邪魔すんな。」
ええ~………恋より、楽しさ優先…
「沙香ちゃん!」
青木さんが反対隣から私を呼んだ。
「教科書見せて?瀬名は…」
「大丈夫、親切な後輩が見せてくれるから、なー?山P?」
「わ、わかりましたから、よ、寄っかからないでください!」
ああ…ごめんね、山ちゃん、巻き込んで。
そして、相変わらず合コンで味わったつららの様な視線を教室中から浴びせられているし…。
いたたまれない気持ちでいる所に、美澄先生が講堂に入ってきた。
ふわりとした黒髪に、整った顔立ち。薄グレーのシャツにストライプのスーツ、青と白と黒のコントラストのネクタイを締めている美澄先生はとてもかっこよくて。
「今日から、人間行動学概論を担当する美澄です。皆よろしく。」
ひとたびニコッと微笑むと、講堂内の視線は全て美澄先生に向いて、つららはあっさり無くなった。
「じゃあ、まずは…」
評判と青木さんの言った通り、美澄先生の講義はわかりやすくて、とても面白い。
……けれど。
美澄先生は終始にやけ顔で、私を事あるごとにチラチラと見て含み笑い。
もしかして、事情をご存じなのかな?とも思ったけれど
あまりにも頻繁に見られるから恥ずかしくていたたまれなかった。
途中、ペアになってお互いに一問一答するタスクでは、青木さんとペアになってやったけど。
「へえ!沙香ちゃんて朝起きてまず、お水飲むんだね!健康的!」
「は、はい…」
ずっと美澄先生の視線を感じていてやりづらかったし…
「水野さんは朝起きてまず何を…」
「教えてやんない。知りたきゃ家に来ればいいじゃん。あ、今日、俺ん家でゲームやる?」
「やりません!」
…山ちゃんはもっとやりにくそうだった。
そんな美澄先生の初回授業も、何とか終わり、終業の鐘が鳴る。
「じゃあ、今日はここまで。」
美澄先生がそう言って退席すると、生徒達が動き始めた。
「ねえ、沙香ちゃん!昼飯一緒に食べない?」
「え…?」
ど、どうしよう…いいのかな?
だって、ほら、昼休みは二人で愛を語らうチャンスなんじゃ…
『青木さん、俺、弁当作ってきたけど食う?』
『本当?!瀬名の弁当食いたい!じゃあ、卵焼き頂戴!あーん♡』
『ったくしょーがねーな…///』
そう言って二人は…
「…まーくんの折角のお誘いなんだから、違う世界に行ってないで早く『はい!』って返事しなさいよ、二次元女子。」
急に背後で低ーい声がして、ハッと我に帰り慌てて、瀬名さんに向き直る。
「だ、だって…いいんですか?私達が一緒で…」
「わ、私は、大丈夫!お昼食べないから!じゃあ、さーちゃんまた後でね!」
私と瀬名さんが話している最中、山ちゃんがダッシュで荷物を抱え逃げていった。
「ちっ!逃げられた。まあいいや。どうせサークルで会うから。んじゃ、行きます?」
…ごめんね、山ちゃん。
後で丁重にお詫びする、本当に。
「あー!今日何食おっかな。沙香ちゃん学食?」
「わ、私はお弁当ですので…」
「え?!もしかして手作り?!」
「た、大したものは入ってません…。」
「食ってみたい!」
目を輝かせる青木さんに「た、卵焼き位なら…」とタジタジ答えながら、廊下へと出たけど。
背中から痛い視線と言葉。
『本当に、何なんだろう?あの子…』
『もっと可愛い子ならわかるけどさ…』
…町中とかで柊と一緒に居る時もよく言われる言葉。
だけど、柊はかっこいいんだから仕方ないって思って別に傷つくとか全く無かったのに…
(寧ろ、『そうでしょ、そうでしょ?柊はかっこいいの!』って誇らしげに思う事がほとんど)
「沙香ちゃん、どうしたの?」
行った先の中庭のベンチで、青木さんが隣から少し私を覗き込んだ。
それに慌てて、「今日はちょっと唐揚げを失敗しちゃって」って笑って見せたけど。
本当は違うの。
皆の視線と言葉で、ズキズキと気持ちが痛くなっていて。
青木さんの隣に居ることが恥ずかしいって…思ってしまったんだ。
別にどう思われたって良いのにね。
瀬名さんの恋を応援するだけの存在なんだから……。
でも、今より可愛くなる事で堂々と青木さんの側に居られるなら、お洒落とかメイクとか…少し努力した方が良いのかもしれないよね、私も。
.
「え?可愛くなりたい?」
「可愛いじゃん、沙香ちゃん。」
……いや、ゆるキャラの意味じゃ無く、人間として、女の子として可愛くなりたいのですが。
夕暮れ時の喫茶店。
茶色のステンドグラスから、オレンジ色の光が差し込む。
カウンター前のいつもの席で、美女が二人、同時に首を傾げた。
彩月さんとアイコさんだ。
実はあの合コンで私の連絡先を聞いてくれたのは青木さんだけじゃなかった。
なんと、この美女二人が揃って『教えて!遊ぼうよ!』と声をかけてくれたのだ。
私にとっては奇跡みたいな合コン。
さすが、柊主催だと思った。
2つ年上の柊は昔から私とは対照的に男女問わず友達が多い。
けれど、それでも私の事を無下に扱うことは決してなくて
昔、男子に野良犬を使って追いかけ回されていた時も、柊だけは「やめろよ!」って味方してくれた。
まあ…少女漫画の王道から言えば、そこから柊を好きになるパターンなんだけどならなかったのには訳がある。
逆に今度は野良犬が柊を追いかけ始めちゃって、さあ大変。
結果的に私が野良犬に水をかけて追っ払い、悔しくて怒り泣きする柊をあの手この手で慰めたという…
柊曰く、『人生最大の汚点』なんだよね。
私は男子が嫌いになって終わった話だけど、柊はどうしても納得がいかなかったらしい。
その野良犬を探し出して慣れるまで何度も挑んでて、数ヶ月後に柊の家で飼うことになり
『柊が手のつけられない野良犬を飼い慣らした』と学校中で一目置かれるようになった。
それから…ずっと人気者だもんね、柊は。
「可愛くなりたいってさ…何で?」
こうやって、私の話も(多少だけど)真面目に聞いてくれるし。
「その…さ。
青木さんや瀬名さんと知り合って、話したり、一緒にお昼を食べたりするようになったんだけどね?
その…お二人ともかなりモテるというか…」
「ああ、ちんちくりんのお前が一緒に居ると釣り合い取れねえって?」
「ちょっと、柊!沙香ちゃんに何てこと言うのよ!」
「そうだよ!このちんちくりんな感じが可愛いんだから!」
彩月さんとアイコさん…褒めてるのか、けなしてるのか微妙なんだよね…いつも。
ハハッと空笑いして、啜ったコーヒーが何となくいつもより苦みを感じた。
「俺も思うけどねー。沙香ちゃんは今のまんまで充分かわえーよ?」
涼くんが桜と小豆のパウンドケーキを一切れ持ってきてくれた。
「ですよねー!」
「っていうか、このパウンドケーキ、超美味しそう!インスタあげていいですか?!」
「えーよ?」
「…ねえ、涼さん、インスタってわかってんの?」
「えー……インスタントカメラ?」
「えー!」
「レトロで逆に新鮮!」
…私の相談ごとは、どこかへ消えたね、これ。
まあいっか、と一口頬張ったパウンドケーキは桜の葉の塩味と風味が良い具合に口の中で溶け合って、絶妙な美味しさ。その後に飲んだコーヒーの苦味がまろやかな口当たりになった。
「私も、彩月さんやアイコさんみたいだったらよかったのにな…」
溜息を深くついた私を4人同時に見る。
「…沙香ちゃん?」
彩月さんが、私を覗き込む様にして、優しく笑いかける。
「沙香ちゃんが、私達の事を『可愛い』って思うのは…
多分、私達が『事後』で、沙香ちゃんはまだ『事前』だからっだって思うの。」
ぶっ!!
柊がコーヒーを盛大に吹き出した。
「え?!やっだー!柊、まさか、そっち方面考えた?」
「やらしー!」
彩月さんとアイコさんに笑われて、柊が「うるせえ!」って慌ててる…けど。
“そっち方面”とは一体。
「ね、ねえ…事前、事後って…」
「ばっ!だ、だから…そ、それは…」
柊がこんなに顔を赤くして気まずそうにしてるって…まさか、そういうこと?
私が慌て出す前に、アイコさんが、あははと豪快に笑う。
「確かに、まあ…スると綺麗になるって言われてるけどね。
沙香ちゃんの場合は、彼氏が出来る前の話なんだからさ…そうじゃなくてね?
『可愛くなるにはどうしたら?』って事に興味を持っているか、持つ前かの違いじゃない?って事だよ。
きっかけは色々あるけど沙香ちゃんはそれが『好きな人』って事でしょ?」
「え?!す、好きな人?!ち、違いますよ?!
あ、青木さん…優しいから。一度親しくなったら『やっぱりヤダ』は出来なくて…親切にしてくれて。
だ、だったら、私も青木さんに少しでも『可愛い』って思って貰えたら…い、いいかなって…。」
だって、それは瀬名さんの為で。
青木さんと仲良くならないと、協力に限界があるから……
私の慌てっぷりに、柊と彩月さん、アイコさんが目を目を合わせ、涼くんはんふふと柔らかく笑った。
「…沙香ちゃん、うちでバイトすっか?パウンドケーキ位は焼けるようになんじゃねーかな、沙香ちゃんなら。」
「いいじゃん、料理上手女子!」
「だね。おシャレするなら、お金がそれなりに必要だし。」
「じゃあさ、どのくらいかかるのか、ちょっと下見行ってみる?」
「あーアイコ、自分が買い物したいだけでしょ!」
「あははっバレた?」
行くよ!と引っ張られ
半ば呆れ気味の柊と「若者はえーの…」とニコニコしてる涼くんに見送られて行った先は、大きな駅の駅ビル。
「あっちのお店は?」
「沙香ちゃん似合いそうだよね。」
二人で私を案内してくれるけど…
確かに、洋服一枚、一枚がそこそこの値段だって思った。
化粧品なんかも、揃えるとなるとそれなりにお金がかかる。
そっか…気合いを入れて可愛くするなら、確かに少しバイトをしないといけないな…
大きな発見をしたことに、彩月さんとアイコさんに感謝しながら色々な店を回ること数時間。
「下見も済んだし、ちょっとお茶する?」
彩月さんのお気に入りのカフェがあるからと駅ビルを出て立ち寄った繁華街。
少し歩いた所で
「ねえ、これからどこ行くの?」
急に私達の前に数人の若い男性が現れた。
皆…同じ歳かもう少し年上かな。どこか軽い感じのノリというか、明るい雰囲気だけど会話しずらい圧がある感じというか…。
そんな事を思いながら、目線を向けたけど私のことは眼中に無かったらしい。一人も目が合わない。
要するに彩月さんとアイコさんと話がしたいんだなって思った。
「俺達とクラブとか行かない?イイとこ知ってんだよねー。」
「絶対楽しいからさ!」
も、もしかして、これって世に言うナンパってヤツなんじゃ…
彩月さんとアイコさんはニッコリと可愛く小首を傾げて笑う。
「んー…残念だけど無理!」
「だね。行こ、沙香ちゃん。」
アイコさんに手を引っ張られた私を男の人達が今度は一斉に見た。
「あー…そっか…確かに、“今日は”無理だよな。“コブ付き”じゃ…ね。」
「じゃあ、連絡先教えて?今度行こ」と、一人の男の人達が彩月さんの腕を掴む。
「…私達の中に、コブ付きなんて居ませんよ?ごめん、連絡先とか無理なんで」
彩月さんが、「ではでは!」と爽やかに掴まれた腕を振り払い、三人で歩き出す。
どうにかやり過ごせた…のかな、これ。
なんて安堵の溜息をついた所で、背中から聞こえて来た男の人達の会話。
「あー…あの野暮ったいヤツさえ居なきゃうまく行ったのに。」
「二人とも上物だったよな…」
「くっそ…あのブス、覚えとけよ。」
……『ブス』か。
柊と居てもそうはっきりと言われたことがあるし、いいんだけどね、どう思われても。
でも、あの人達にそう見えたってことは、やっぱりきっと一緒に居て恥ずかしいよね…青木さんも。
頑張って、少しでも可愛くならなきゃな、私…。
…なんて、思ってみても。
一朝一夕で可愛くなれるなら、世の中全員可愛いってことになるわけで。
結局、バイトを始めたばかりでお金も無いし、さほど何かを出来るわけでもなく、月日はどんどん過ぎていく。
とりあえず、涼くんに料理を教わり、柊に寝る前の筋トレとストレッチを教わっているけど、他のことは何も変化は無く
「沙香ちゃんの作った唐揚げ超美味い!」
相変わらず、青木さんは私とお昼を食べてくれていて
「…まーくんは何でも美味いって言ってくれんだよ。調子に乗らず精進しろ。」
もちろん、瀬名さんもいて
「わ、私はお昼は食べないから!」
山ちゃんは絶対に逃げる。
そんな変わらない毎日。
変わったといえば…
『沙香ちゃん、可愛くなったね!嬉しい!』
『あ、青木さん…///』
…私がそんな少女漫画的な妄想ばかりするようになったこと位で。(現実逃避とも言う)
1年必須の統計学概論の講義が終わったタイミングで、はああ…と盛大な溜息をついたら、山ちゃんが私を心配そうに見た。
「ねえ…さーちゃん…。その…さ。水野さんにいじめられてない?」
「…いや。」
今思えば、どちらかというと瀬名さんは、青木さんに近づいた私を受け入れているスゴイ人なんだって思う。
まあ…『協力する』って言ってるからなんだろうけど。
「あ、そろそろ私サークルに行かないと…」
「うん、山ちゃん、頑張ってね…」
山ちゃんを見送りながら、提出しなければいけない書類を持って学生課の窓口へと向かった。
「ちょっと確認させて?」
対応してくれた牧野さんに書類を窓口越しに手渡して待っていたら、少し離れた後ろの方で聞き覚えのある声がした。
「絶対楽しいからさー。」
あれって…この前彩月さん達と居た時にナンパをしてきた人だ。
ここの大学だったんだ…
「プロのカメラマンの下でバイトしてるヤツとかもいるから、可愛くなるコツとかも沢山教えられるしさ…」
可愛くなるコツ?!
「もちろん、サークルだから、金もそんなかかんないし、寧ろ撮った写真で稼いじゃってる子も居るくらいで!」
可愛くなった上に稼げるの?!
「望月さん…書類は全部そろってるから、これで預かるね。」
「はい、よろしくお願いします!」
牧野さんに挨拶をすると、結局女の子達に断られたらしいその男の人達の所に急いだ。
「あ、あの…」
「あっ?」
男の人達は、一応足は止めたけど、さっきの愛想の良さはどこへやら。
煩わしそうに、私を睨む。
…く、臭い。
すっごい、煙草臭だな…(睨みよりそっち)
いや…そんな悪臭ごときで、負けてられない。
「さ、サークル…だ、誰でも…入れるんですか?」
一瞬驚いたように目を見開いたけど、その後、眉間に皺を寄せ、私をジッとみた。そのうちの一人の茶髪でウェーブのかかった長髪気味の男の人が、私に少し体を寄せて首を傾げて見せる。
「…あんた、もしかして、この前街で見かけた子?」
「は、はい。あ、あの…さっき、『可愛くなれる』って…。
サークルに入ると、すぐに可愛くなれる方法を教えて貰えるんですか?」
「まあね…何?興味あんの?」
「は、はい!」
「…やめたら?あんたは無理だと思うけど。」
そう言って、行こうぜと言ったその人に、他の男の人が「待てよ。」と制す。
「まあ、たまには“変わりダネ”もありじゃね?」
「え?」
「や、こっちの話。」
「おい、本気かよ。無理だって。お前も、もっとよく考えろよ。」
ウェーブの人が、更に顔を渋くさせて私にそういう…けど。ブスなのは嫌ってほど自覚してるし。だから可愛くなりたいんだし。
「んな、あからさまに、可愛くないって言うなよ。可哀想じゃん。ねえ?
まあ、お前の好みじゃねーもんな、どう考えても。
でも、いいんじゃない?
今からメンバーに会わせるから一緒に来て?
可愛くなれんのは約束されたも同然だから。」
「は、はい!ありがとうございます!」
「お、おい…待てって…」
ウェーブの人が私を制しようと追いかけて来たけど、そんなの気にしない。
やった…これで青木さんと堂々と一緒に居られる様になる!
その人の早足に一生懸命ついていった先。
大学近くの狭いアパートのドアを開けると一室みたいな所に、男の人が数人居て
「あれ?!この前の…」
あ…あの人とあの人、ナンパしてた人だ。
「そ、その節はどうも…」
というか、私以外全員男なんだけど………
いくら気合いを入れて来たとはいえ
煙草とかお酒とか…汗とか…色々な嫌な匂いが、窓も開けていない密閉された部屋の様子に、入る以前に、靴を脱ぐのをためらった。
何か…嫌な予感がする。
「たまには変わりダネもあり?って思ってさ。」
私を連れてきた男の人がそういうと、この前ナンパの時に居た人達もだるそうに立ち上がった。
「変わりダネつってもさ…もう少しマシな子、居なかったのかよ…」
「だよな…」
その反応に、ウェーブがかった髪の人が「ほらな。」とボソッと反応した後、息を吐く。それから、私の前に立ちはだかった。
「んじゃ、俺が貰うわ。別にタイプとかではねーけど…」
近づいて来た顔が歪み不敵に笑う。それに反応して、背中の悪寒が更に増し、後ずさりをしたら、玄関のドアが背中にぶつかった。
「お前処女だろ?イイ絵面撮れんじゃね?」
う……そ。
「あ、あの…可愛くなれるって…」
後ずさりをしたらドアが背中にぶつかって、両腕をウェーブの人に掴まれた。
「もちろん。俺達が最高に可愛い姿、撮ってあげるからねー。」
後ろで高みの見物をしている数人がそう言ってはやし立てた。
ど、どうしよう。
これ…絶対やばいヤツだ。
「離してください!」
「いいよ?あの二人をここに呼んでよ、だったら。」
あの二人って…彩月さんとアイコさん?
「い、嫌です!」
「タダで離して貰おうってそれは甘いんじゃない?」
ウェーブの髪の人の指が頬を撫でた。
「…ま、じっくり可愛がってやるよ。」
「お!お前以外とノリノリじゃん。まあ、ゆっくりやってよ。途中でギブアップしてもらって、あの二人呼んでもらえればいいわけだし。」
ああ…私バカだ。
昔から、知らない人とうまい話にはついて行くなってお母さんに言われてたのに…
「やだ!止めて!」
めいっぱいの抵抗をしようって腕に力を込めて身体をこわばらせる。
何で…こうなっちゃうの?
涙が溢れて、視界が歪む
やっぱり私には無理なの?
可愛くなろうとか…それで青木さんと一緒に居たいとか…
ウェーブの人の顔が耳に近づいてその唇が耳に触れて、ゾクリと身体が寒気を覚えた。
「悪いけど、少し付き合ってもらう。絶対怯むな。靴も脱ぐな。我慢しろ。」
え……?
そう囁かれた瞬間
ドン、ドン、ドン!!!!!
後ろでドアが勢いよく外から叩かれた。
のぞき穴から覗いてみた一人が首を傾げる。
「…あれ?こいつ、女子にすげえ騒がれてる“青木”ってヤツだ…
え?何、お前知り合い?」
ドン!!ドン!!
「開けろよ!沙香ちゃん!居るんでしょ!」
ドン!ドン!
「しつけーな…どうする?片岡。」
「…や、マジでこんなブスのせいで厄介な事になんのはごめんだわ。相手が有名なヤツなら余計に何かあったら目立し。」
ウェーブの茶髪の人はあっさり私の腕を解放して、鍵とドアを開ける。
「沙香ちゃん!」
血相を変えて入って来た青木さんが私を引っ張り、背中に押し込めると、目の前の男の人達を睨みつける。
「や…誤解だって。別に悪い事しようと思ってたワケじゃ無くてさ。
寧ろその子が俺達に言い寄って来たんだぜ?」
「…そう。じゃあ、もう連れて帰ってもいいよね?」
「どうぞ、どうぞー。」
さっさと帰れと言わんばかりに、ドアが目の前でバタンと閉まり、カチャリと最後に鍵の音がした。
「あー…もう。真大、強行突破はマズいって…」
「だって!」
興奮冷めやらぬ様子の青木さんは、後から来た瀬名さんと学生課の牧野さんをキッと睨んだ。
二人ともそれにバツが悪そうに目を見合わせて。
牧野さんが「とにかく、場所を移動しようか」と促した。
.
「彼らのサークルは要注意でね。大学サイドとしてもしっぽを掴め次第解散させようって思ってたんだ。」
行った公園で、牧野さんが私をベンチに座らせてくれて、ココアを差し出した。
「ごめん、もう少し早く追いかけられれば、ここまで危ない目に遭わせずにすんだのに。
緊急の電話が一本入っちゃってね。偶然そこに来た瀬名達に頼んだってわけ。」
「つーより、真大が少し事情聞いただけで、走って追いかけてっちゃったんだけどね。」
「まあね。本来学生にさせる事じゃ無いから。」
牧野さんと瀬名さんの目線に促されて青木さんを見たけど、ずっとそっぽを向いて不機嫌そうに口を少し尖らせている。
そんな青木さんを気にしながら、瀬名さんが、私の隣に腰を下ろした。
「まあ…とりあえず無事で良かった…」
「良くないよ!」
初めて聞いた青木さんの怒鳴り声。
黒目がちの目は少し潤いが増していて、眉間に皺も寄ってる。
「沙香ちゃん、自分がどのくらい危険な事したのかわかってる?!
知らない男にほいほいついてってさ…
マジで信じらんない!
俺達が助けに行かなかったらどうなったと思ってんの?!」
またプイッとそっぽを向かれて、頭を鈍器でガンと叩かれた様な感覚を味わった。
私…青木さんに嫌われたんだ。
そりゃそうだよね…
軽々しくこんな危ない話に乗っかって…
「あの…ご、ご迷惑をおかけして…ごめんなさい!」
「あ、待って。送るから…」
「いえ!牧野さんもすみませんでした!失礼します!」
こみ上げる涙を懸命に堪えながら、その場を走って立ち去った。
『沙香ちゃん、おはよ!』
青木さんの優しい笑顔が目の前に浮かぶ。
握ってくれた掌の感触とか、卵焼きや唐揚げを頬張った後に「美味っ!」って言いながらくしゃってしてくれる笑顔とか…たくさん。
………どうしても可愛くなりたかったんだもん。
青木さんと………一緒に居たかったんだもん。
家に帰って、部屋に入ると布団を被った。
びっくりするほどの涙がシーツを濡らしてく。
「う~……っ」
泣いて、泣いて…だけど、いくら泣いてもやっぱり青木さんの事を思い出して。
もう二度と、優しい笑顔も見れないし楽しい会話も出来ないんだって思ったら、また沢山、涙が溢れた。
…今更気付いた。
私は、青木さんが好きなんだ。
.
「…お前さ。いい加減にしろよな。」
「………。」
布団の向こうで柊の声がする。
「何で俺が、お前の世話焼かなきゃいけねーんだよ…」
そう言っては、涼くん特製の軽食を運んで来てくれること、今日で2日目。
トイレ以外、布団から出ることもなく。
大好きな涼くんのご飯に口をつけることもなく…
「お前、このままだと餓死するぞ。」
「……いいもん。私なんてこのまま消えてなくなっちゃえばいいんだ。
それで生まれ変わったら超可愛い子になる。」
「……」
フウって溜息が聞こえて、バタンとドアが閉まる音がした。
少女漫画でよく、主人公が失恋したりすると布団を被って泣いて夜を明かす…なんて場面がある。
まさか、それを自分が実体験するとは思わなかったな…
とはいえ確かに夜は明かしたけど
そこから怒濤の勢いで眠ったらしくて…気がついたら一日経ってた。
どうやら、現実は漫画みたいにキレイにはいかないらしい。
……そういや、最近少女漫画読んでなかった。
乙ゲーも全然やってないな……。
散々泣いて、泣き疲れて眠って…スッキリした今、私、本当にバカな事をしでかしたんだって、改めて思った。
もちろん、それはあんな危険な人についていった事が主ではあるけど。
『沙香ちゃん!今日は唐揚げ食っていい?!』
…青木さんとたくさん一緒に居たいとか考えて、可愛くなろうなんて。
「………バカだ。」
布団からむっくりと起き上がり、掴んだスマホ。
山ちゃんが心配してメッセージをくれていて
それに「大丈夫だよ。ごめんね!」と返した。
あ…青木さんからも来てる。
『沙香ちゃん、ごめん!怒鳴ったりして!
本当にごめんね!』
鼻の奥がツンとする。
青木さん…本当に優しい人だな。
あんな事して、幻滅しただろうに、私が泣いて帰ったからってこんなメッセージ…。
ふうと息を吐き出した。
…もう、瀬名さんに協力は無理だな。
私、絶対に自分が青木さんと一緒に居たいんだもん。
そんな理由を隠して、瀬名さんに協力するためって青木さんに近づくのは良くない。
それに…きっとまた、ばかなことする。
『返信が遅くなってすみません。
こちらこそ、沢山ご迷惑をおかけしてすみませんでした。』
「…よし。」
返信をタップして、青木さんからの通知をオフにしてスマホを手放すと、棚から少女漫画を手に取った。
ベッドサイドに腰を下ろして少女漫画を開くと、涼君の作ってくれたタマゴサンドを口にする。
フワリと広がる甘みとしょっぱさ、そして、パンの柔らかさ。
美味しい……。
その優しい味がこころに染みて、瞼が熱くなって視界がぼやけた。
もう……戻ろう、二次元に。
『俺がお前を変えてやるよ』
柊…ごめんね。
私が変わるのは無理みたい。
リアルは…私にはきっと向いてないんだ……
ガチャッ
「はい、邪魔するよー。
って、何だ。元気じゃねーか。
大学来いや。お前がサボるとまーくんが心配すんだろーが。」
な、何事?!
「瀬名さん、ど、どうしてここに!?」
「え?下の喫茶店のオッサンが『上にいるよー』って。」
ええっ?!
涼くん、私が下宿して以来、柊以外の男子、入室禁止だったのに!
「り、涼くんに何したんですか?!」
「…前から思ってたけど、お前、俺には強気だよな。
若干失礼だし。」
目の前にあぐらをかいて座ると涼くん特製サンドイッチをパクりと口にする。
「おっ!これ美味い!」
「…何しに来たんですか。」
「助けてやった恩を忘れて随分な言い草じゃない。」
ぐ………それを言われると…確かにそうだけど。
「そ、その節は…大変ご迷惑を…」
「いーえ。俺っつーより、まーくんにちゃんと礼を言って欲しいけどね、俺としては。」
「……よろしくお伝えください。」
勝手にカフェオレを飲み始めた瀬名さんが、カップに口をつけたまま上目遣いに私を見た。
…すっごい、可愛い。
カップにつけてる小ぶりの唇。形の良いぱっちり二重の目。その奥のブラウン瞳が煌めきを放っていて、甘えている子犬みたい。
決めた。
次に生まれ変わるなら、絶対瀬名さんだ。
「…まーくんに会ってやってよ。」
「それは…」
「“協力”はどうなった?」
お断りをしようとしたら、ピシャリとやられる。
そうだよね…一度約束したことを全う出来なかったわけだから。
そこもちゃんと謝らないと。
「……もう協力は無理です。」
「でしょーね。」
少女漫画をパラパラと興味なさげにめくりながら、私に相づちをうつ瀬名さん。
「すみません…志半ばで…」
パタンとそれを閉じると、ジッと一度私を見た。
「…もう、協力はいいよ。
だからさ、最後にちゃんとまーくんと会ってあげてくんない?
あの人、ずーっと気にしててさ。あなたに怒鳴っちゃったこと。」
「そ、それはさっきメッセージで『こちらこそすみません』って返しておきました。」
「あなたはそれで済んだかもしんないけど、まーくんはそれじゃすまないんだよ。
明日、昼休みB号館の前のベンチ集合ね?わかった?」
立ち上がり、本棚をジッと見ると漫画を数冊手に取り、振り返る。
「…人質。明日来なかったから、この子達、薪にしてまーくんと焼き芋やろうっと。」
え、ええっ?!
ちょっと待って!
それまだ一回しか読んでない新しいヤツ!
しかも、最終巻と一巻を持ってった…
……青木さんには会いづらい。
けど、あの漫画が焼き芋の為の薪にされるのも嫌だ…。
「どうすればいいのー!」
「会いに行けよ。」
こ、今度は柊?!
「き、聞いて…」
「わざわざあの瀬名が来るんだから、青木さんの事くらいしかねーだろ。」
“あの瀬名”…?
そ、そんなに普段は動かざる事山のごとしなんだろうか、瀬名さんて。
そっか…青木さんのことが本当に好きなんだね。
そして、ちゃんと青木さんの為にはこうやって動ける。
チクリと胸が痛んだ。
…私なんて、迷惑をかけるだけで、青木さんの役に立てること何も出来なかった。
「…真大ってさ、結構人見知りなんだよね、実は。
合コンも無理矢理出て貰ったから悪かったな…って思ってた。
けど、お前の事は出会ってすぐからずっと楽しそうに話してて。
だから誘って良かった…ってほっとしてたのによ。
昨日バイトで会ったら…すっげー泣きそうな顔してんだよ?」
「柊…」
…もしかして、柊も青木さんが好きなの?
「……断じて、違げえわ。」
エスパー?!
「俺を妄想の中に連れてくんじゃねえ。」
柊が、スラッとした指で私の頬を横にぎゅーって引っ張る。
「お前はとっとと、真大と会ってこい!」
「あいまふ!あふははは~!(会います!会いますから!)」
…そうだよね。
何も出来なかったんだから、最後くらいちゃんとしよう。
ちゃんと会って、助けて貰った事をお礼して。
それで、今までありがとうって、笑顔で言うんだ。
◇
「じゃあな」って沙香の部屋を出て下に降りてったら、瀬名がカウンターに座ってコーヒー飲んでた。
その横に俺も腰を下ろす。
そんな俺をチラリと一瞥した瀬名は、静かにカップを皿にもどした。
「…柊的には良かったの?これで。」
「何が、だよ…。」
「や、さ…」
ハハって誤魔化す様に笑う瀬名にフウって溜息ついた。
「まあ…今回の件はさ。
あいつをたき付けた俺にも責任あるから。」
「仕方ねーよ。沙香ちゃんはそんなとこが可愛えーんだもん。」
俺の前にコーヒーを置いてくれる涼さん。
「下宿決まった時、俺、すっげー嬉しかった」
ニコニコ顔でキッチン奥に戻って行くのを見守って、瀬名がまたコーヒーを一口飲んだ。
「二人は幼馴染みつったけど、ここら辺が地元じゃないんだね。」
「あいつは俺を追っかけて出て来た…っつーか、沙香の両親がこっちに出てくるならそうしろって。俺も涼さんに世話になってるから余計にそれが良いってなったんだと思うけど。」
「歳が少し離れてんだけど、俺の親友なんだ。沙香ちゃんの父ちゃんが。」
カウンターに戻ってきた涼さんの含み笑いに恥ずかしさを覚えて、少し睨むとそのまま目線を逸らした。
……すっげーやりづらいわ、今。
バツの悪そうな俺を瀬名が面白そうに口元を腕で隠して笑う。
「…で?可愛い幼馴染みをなんとかしようって考えちゃったの?」
やっぱ瀬名もお見通しかよ……
小さい頃から、沙香は可愛かった。
特別美人とかそういう事でもないんだけど、愛嬌があるキャラっつーか…ちょっかい出したくなる雰囲気があって。
男なんてさ、そういう子をからかいたくなる人種なんだよ。
嫌がる沙香を面白がって、無理矢理近所で恐れられてた野良犬の矛先を向けさせて。
途中で野良犬は追っ払ってあげるって予定だったらしいけど。
それも出来ず、俺が怒り出したら恐くて逃げてった。
だけど、野良犬が今度は俺を追いかけだして…
最終的に沙香が俺の為に野良犬を追っ払うっていう最低な結果んなって。
…あれ以来だよな。
あいつに寄って来そうな変な男に睨み利かせる様になったの。
一人でヘラヘラしてるあいつが女子校に行ったところでほっとけなくて…今までずっと。
……けど、俺の行為は浅はかだった。
沙香はリアルより二次元に入れ込む様になってって。
現実をロクに知ることなく、大学生になっちまって。
だから、少し刺激与えてやるかって、メンバー的に絶対大丈夫って合コンセッティングして無理矢理参加させた。
それがな……まさか、あんな暴走するとは、さすがに予想出来なかったわ。
「まあ…まーくんですからね。相手が。」
俺の思考を読み取ったらしい瀬名の言葉に苦笑い。
「…つかさ、瀬名こそ、これでいいわけ?」
誰に対しても愛想良く見えて、実は興味を持った相手にしか自分からあまり絡んで行かない瀬名。
それが、真大の為とはいえ、こんな所までわざわざ足を運んでくるってさ…
ジッと見た俺に、瀬名は困った様に眉を下げた。
「やめてよ!ないから。
大体、 まーくんが入れ込んでる相手に入れ込んでどうすんだって話よ?」
…やっぱ気に入ってんだな、沙香のこと。
まあ、一線引ける位だから、どっちかっつーと、お気に入り止まりなんだろうけど。
「俺は大学違うから、おとといみたいな事があっても、あんま手助けしてやれねーから。
瀬名…これからも頼むわ。」
「よく言うよ。あのサークル、裏で手が回って、一網打尽になったって聞いたよ?」
「そ?俺はただ、知り合いにちょっと色々そっち方面詳しい人が居たから、涼さんを通して話して貰っただけ。」
「んふふっ。沙香ちゃんに手え出そうなんて考えんから、そういうことになんだよねー!」
「恐っ!オッサン恐いわ!」
「俺は、恐くねえ!ただのオッサンだ!」
「…“オッサン”じゃないんだね?怒る所は。」
初めて会ったとは思えない二人の軽快なやり取りに苦笑いしながら、一息ついた。
真大はいつも真っ直ぐで色んなことに一生懸命で、だけど人には優しい。周囲の人をなんていうか、笑顔にする力を持ってる凄いやつ。同じ歳だけど、だいぶ俺より、人間力が上だっていつも思う。
…ずっと二次元にしか興味を持たなかった沙香がそんな真大に行き着いたわけで。
そりゃ、何年経ったっても二次元止まりなワケだわ、俺は。
そんな風に思った俺の心をまた読んだらしい瀬名の含み笑いに、今度は笑顔を向けて、苦みの溜まった残りのコーヒーを飲み干した。
「何か、娘を嫁に出す親父だね、柊。」
「あ~…まあね。あいつ、マジでフラフラしてんから。」
「うん。それはわかる。
俺には無理だわ、あーゆータイプは。 」
真大…よろしく頼む。沙香の事……。
◇
柊に引っ張られた頬の痛さが残る翌朝、涼くん特製のモーニングトーストとカフェオレを完食してから家を出た。
とにかく、迷惑をかけてしまったことをきちんと謝る。
そして、今までの感謝を伝える。
………よし。
午前の授業中、何度も何度もそう自分に言い聞かせてから行った、B号館の前のベンチ。
「沙香ちゃん、ほんっっとごめん!」
………え?
「もうさ…俺、頭に血が上るとついああやって食ってかかっちゃうんだよね…」
ちょ、ちょっと待って?
「怖い思いしたのは沙香ちゃんなのにさ…。瀬名や牧野さんみたいに優しい言葉かけてあげられなくて…ほんとにダメだったって思うけど…お願いだから、嫌わないで!」
目の前で手をパンっと合わせて「お願い!」って…
な、何で…私が青木さんに謝られてるの?
「あ、あの…き、嫌わないでって…青木さんが私を嫌いになったのでは…。」
「えっ?!そんなわけないじゃん!俺が沙香ちゃんのこと嫌いになるなんてあり得ないよ?」
私…嫌われてない…の?
あ、あんなに迷惑かけたのに?
青木さん…なんて優しいんだろう。
………ポタンって涙が落ちた。
「えっ?!沙香ちゃん?!」
「ご、ごめ…なさい!あ、あの…違うんですその…」
だって、嬉しかったんだもん。
ほっとしたんだもん。
やっぱり、私、青木さんが大好きだって思っちゃったんだもん。
「わ、私…その…青木さんに親切にして貰ったり助けて貰ったりしてばかりで何も返せなくて。その上迷惑かけて…
だから、青木さんが怒るのは当たり前だって…」
泣いちゃって、絶対、今また青木さんを困らせて迷惑かけてる。
そう思って、涙を何とか止めたいのに、拭っても拭っても涙がポタポタと後から後から落ちてくる。
ヒックヒックとひゃっくりまでし出しちゃって…もうどうして良いかわからない。
「わ、私…ど、どうしても可愛くなりたかったから…
青木さんと一緒に居たくて…だったら可愛くならなきゃって…
だ、だから…『絶対可愛くなれる』って言われて…だから…」
「…え?!ちょ、ちょっと待って?沙香ちゃん、あのさ…」
「あ、青木さんともっと一緒に居たかったんれす~!!!」
ちゃんと謝ろうって思ったのに。
ちゃんとありがとうって伝えたかったのに。
私は、本当にダメなヤツだ。
きっともう…青木さんを困らせた罪で、漫画は薪にされるんだ!
『瀬名、焼き芋もういいよね…って熱っ!』
『あ~…もう。まーくん気をつけて?ほら、軍手。』
『瀬名は気が利くね!大好き!』
『や、やめてよ…///』
……最後に二人のお力になれるなら、本望だ。
お幸せに!
「ごめんなさい!」と頭を下げて、そのまま走り去ろうって方向転換した瞬間だった。
腕を後ろから引っ張られて少しバランスを崩した身体を背中から青木さんの長い腕がクルリと覆う。
「…どこ行くの?」
「ど、どこって…だって…」
「俺と居たいって思ってくれてるんでしょ?だったら居れば良いじゃん。」
………え?
「や、あの…ですね。」
「つか、沙香ちゃんがそう思ってるなんて全然わかんなかった!
あー!マジで嬉しい!沙香ちゃん超好き!」
ぎゅーって後ろから抱きしめられて…“超好き”って………ええっ?!
「す、好き?!」
顔だけ何とか回して、青木さんに視線を向ける。
青木さん、キョトンと少し不思議そうな顔をしてるけど…
「え?うん。俺、沙香ちゃんのことすっげー好きだもん。」
「えっと…そ、その好きは…いわゆる、ゆるキャラをこよなく愛す的な…」
「は?何それ。」
身体をクルリと回転させられて、正面に向けさせられて
そのまままた、フワリと長い腕が私を包み込む。
大きめの唇が綺麗に弧を描いて、若干アヒル口になっている青木さん。
その表情は微笑みを浮かべていて柔らかくて穏やか。
「沙香ちゃん、俺の彼女んなって?」
これは………夢?
私、青木さんと一緒に居たいあまり、都合の良い夢を見てるの?
だってこんな少女漫画みたいな展開…
「やっぱり夢かも。」
「え~?違うって!」
「そうだ、ほ、ほっぺた!……痛っ!」
ほっぺをギュッとつねった手を「も~ほら!そういうことしない!」って青木さんの手が包み込む。
そのまま、青木さんの整った顔が近づいて来たって思ったら、フワリと唇が重なった。
柔らかくて…温かい。
青木さんの表情と同じ感触。
「……ね?夢じゃないっしょ?」
コツンとおでこ同士がぶつかって、目の前の白い歯を見せて笑う青木さんがぼやけた。
「あ〜マジで嬉しい。」
青木さんのそんな言葉を聞き、「私もです!」って答えたいのに。
涙がどんどん出て来て声にならない。
だって……二次元にしか生きられなかった私が、瀬名さんの恋路をお手伝いして…
…………して…?
……………しまった!
「あ、あの!やっぱり無理です!」
思い切り胸元を押した私に、青木さんが首を傾げて怪訝な顔をする。
「あ、あの…あの…や、やっぱりその…お、お付き合いとか……」
だって、こんなの瀬名さんに顔向けできない…
「もう協力しなくて良いって言いませんでした?俺。」
ひいっ!瀬名さん!
離れようとしたら青木さんの腕が、私をグイッと引き寄せる。
って、待ってください、青木さん!
私…こ、殺され…いや、人質を薪にされる~!
「瀬名!やったよ!」
「おめでと、まーくん。」
ああ…ニッコリ笑うその表情が余計に恐い…。
「あ、あの、あの、あの、こ、これには深いわけが…」
「言っとくけど、俺は女の子大好きよ?」
…………へ?
「え?何のこと?」
青木さんがキョトンと黒目がちな可愛い目をパチクリさせる。
いや、私も可愛くない目を瞬きさせたけど。
「ゆるキャラより女が好きって話。もちろん、男よりも断然女の子。まーくんは好きだけど、それとは別。 」
「え?!何?沙香ちゃん、瀬名と俺ができてるって思ってたの?!
それで瀬名と接する時おびえてたの?!」
「怯えてって…まーくんも言うね……。 」
瀬名さんが近寄って来て、戸惑う私の横を通り過ぎる瞬間、ぼそっと私の耳元で言った。
「まーくん不幸にしたら、末代まで呪う。」
ひいいっ!
「…沙香ちゃん?」
「な、何でもありません…」
「んじゃ、お邪魔さま」と去って行く猫背がちな瀬名さんの背中を若干息切れしながら見送った。
『もう協力はしなくていいって言ったでしょ?』
瀬名さん、認めてくれたのかな、私の事…。
というか瀬名さん、どのくだりから見ていたんだろうか。
不適な瀬名さんに、若干の畏怖を感じていたら
「沙香ちゃん」
青木さんに名前を呼ばれて、腰からグイッとまた引き寄せられて。
視界が青木さん一色になった。
整った顔とサラリとした髪が、日の光を浴びて黄金色に輝く。
「俺さ…ちゃんと沙香ちゃんのこと大切にするからね!」
黒目がちな目が真っ直ぐ私に向いていて、真剣そのもの。
気持ちがキュウッて音を立てる。
……ごめんなさい瀬名さん。
この誘惑に勝つのは無理です。
「…よろしくおねがいします。」
「うん!沙香ちゃん!」
ギュウッて抱きしめられて、頬が緩む。
やっぱりどうしても、青木さんと一緒に居たいや、私。
「…沙香ちゃん、もう変な人に付いてっちゃダメだよ?」
「は、はい…」
「本当に?約束だよ?」
こうやって、抱きしめられて感じる、青木さんの柔らかな世界。
二次元では味わえない、リアルな感触がここにはあって
ずっと、ずーっとこのまま、この世界に居られたらな…。
何て、思った私は、まだまだ二次元から脱し切れていなかった。
リアル恋愛は、ヤワラカだけど、前途多難。
それをこれから私は思い知る事になる……。
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