ヤワラカセカイ
ヤワラカセカイ〜君との恋のエトセトラ1〜
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小学生の時に男子にいじめられて以来、高校卒業まで、幼馴染みの柊以外の同世代男子をずーっと避けて過ごして来た。


それが、ひょんな事から彼氏が出来た。


もちろん、初彼。

もちろん、初リア充。


けれど、付き合って一週間位経った今も、ただひたすら青木さんが好きって感情しかなくて…片思いの時と違う感覚はあまりない。



そんな、恋愛超初心者の私が……


「あ、あの…青木さん…授業が…は、始まります…」
「…ちょっとだけ遅刻しよ。ね?ちょっとだけ!」


何故か、昼休みの終わりに、人気のない大学構内の林の中で、壁ドンならぬ樹木ドンされ、長い腕に腰から抱き寄せられて


「沙香ちゃん大好き。」
「んん……っ」


……甘い(様な気がする)キス。



ど、どどどどうして、こうなった?!





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ーさかのぼる事数分前ー



昼休みの終わりに青木さんが飲み物買ってくるって、一旦ベンチから居なくなった。


残された、私と瀬名さん。


ずっと気になっていた事を聞けるチャンス…だよね、これ。


「…あの、瀬名さん。」
「んー?」
「えっと…瀬名さんは、何で私が二次元好きだと…」


スマホのゲームをしていた瀬名さんは、私を一瞥してまたスマホ画面に目を落とした。


「あー…まあ、何となく“同じ匂い”がしたっつー感じ?」
「同じ匂い?」
「そ、山Pと…俺と?」


「まあ、俺は男同士のなんちゃらには興味ないけど」と言いながら丸っこい指先がスマホの画面を滑る。


「だからね、合コンの時に一か八かの勝負に出たんだよ。」


顔をあげて、こっちを見た瀬名さんは口角をキュッと上げて得意気な笑顔。


…可愛い。
その丸っこい指先も、何故かぴょこんと1カ所跳ねてる髪も全てがセットで可愛い。


「…やっぱり、私瀬名さんに生まれ変わる。」
「はあ~?やめてくれます?俺に生まれ変わんのは、俺だっつーの!んな事より、あなたはまーくんの為に、今を生きろや。」
「…瀬名さんが、良いこと言ってる。」
「本当にお前、俺には強気だな。つか、俺はいつだって良いこと言いまくってますけど。」
「……」
「黙んな。 」


とにかくさ、と顔を私に寄せる瀬名さんが、呟くように小さな声で囁いた。


「二次元女子ってことはいいとして、真大は、あなたが妄想好きだって知らないんだから、がんばんなさいよ。」


も、妄想癖までバレてた!


サーッと私の血の気が引いたのが、瀬名さんに勘づかれたらしい。
更に顔を近づけて間近でニヤリと妖艶な笑みを浮かべた


「まあ…せいぜい頑張って?」


こ、これは…場合によってはばらされるのでは。


『真大、あの人すぐ妄想するから気をつけて』
『えっ?!そうなの?えー…沙香ちゃん…(苦笑い)。瀬名なら可愛いけどね!』
『やめてよ…///』
『瀬名…』



「言ってる側から、違う世界に行くな、こら。」


むぎゅーっと右頬をつねられて、我に返った。


「い、いだい!痛いです!」
「へっ!」


いや、“へっ”って………


瀬名さんていつもこんな感じなのかな…。
そりゃ、山ちゃんも恐れおののくよね、これじゃあ。


「…山ちゃんには優しくしてあげてください。に、二次元好きだけど。」
「んだよ、いきなり。つか、 別に優しーだろーが、俺は。」
「いいんですか?山ちゃんが二次元女子でも。」
「……“優しい”をスルーすんな。」


あーあ!って立ち上がって腰をトントンと叩く瀬名さん。


「別に、二次元好きだろうが、三次元好きだろうが、山Pは山Pでしょ?まあ、それはあなたもそうだけど。
それに別に二次元の世界って素晴らしいんだからさ。あの人は……今のままでいいんだよ。」


微笑む瀬名さんの表情が、ふわりと優しくなった気がする。


…もしかしたら、瀬名さんなりに山ちゃんの事を温かく見守ってるのかな。


「おっ、まーくん、お帰り。」
「うん…ただいま。」
「んじゃ、俺は行くわ。ちょっと購買寄りたいから。」


戻って来た青木さんと交代と言わんばかりに、肩をポンと叩いて、瀬名さんは去って行く。


その後ろ姿を見ていたら、青木さんが代わりにストンと隣に座った。


「そろそろ、お昼休み終わるから、校舎に戻りますか?」
「あー…うん。でも、その前に俺、沙香ちゃんに見せたいものがあるんだけど。」


見せたいもの??

「行こ!」って手を引っ張られて連れて行かれた、林の中。


「ほら、あそこ」


青木さんのスラリとした人差し指の指す少し遠くの比較的低めの木の上には鳥の巣があって。

雛がいる……


「どう?」
「は、はい…」


うわ~…小さい…
ピーピー言ってる…。


「青木さん、教えてくれてありがとうございます!うわ~…か、可愛い…。」


凄いな、青木さん…どうやって見つけたんだろう…


「沙香ちゃん」
「はい!」


嬉しくて、勢いよく青木さんの方を見た瞬間、クルリと身体を回転させられて、背中にトンっと幹がぶつかった。


そのまま、腰から抱き寄せられて…


「…やっと二人きりになったね。」


青木さんの優しい声が耳をかすめた。



そして……… 冒頭に至る。


私が…
二次元の中で生きてきた私が…


とか、言ってる場合じゃないよ、これ…


「沙香ちゃん大好き。」
「んん……っ」


甘い(様な気がする)キスが、突然降ってきて、頭の中はパニック状態。


ど、どうしよう~……


目…つ、つぶって…えっと…息は?して良いの?


でも…鼻から息出して、青木さんに当たったら?
ムダに、『ヒュー』とか変な音がしちゃったら?


とりあえず呼吸を停止させてみる。


……でも。


ただでさえ、青木さんに包まれている感触で気を失いそうなのに、息を止めたもんだから、息苦しさで思わず青木さんの服をギュッと掴んでしまった。


「…沙香ちゃん、可愛い。」


か、可愛い…?
こんなに必死なのが??


あ、酸欠で若干私の妄想が混線してて、『雛が可愛い』とか『沙香ちゃんカワウソ』とかと聞き間違えた??


おでこを付けて微笑む青木さんが鼻をすり寄せる。


ま、待って…一度、身体に酸素を貰っていいですか?


距離が近すぎて息を一気に吐き出せなくて、少しずつ吐き出し始めたら


「沙香ちゃん…」
「んんっ…」


また、キスが降ってきた。


漫画や乙ゲーで見たことのある、いわゆる恋人達の甘いキスシーン。


…呼吸の仕方、どっかで出て来てた?
何でもっと隅から隅までしっかり読んでないかな、私。

こうなったら、今日から柊監修の筋トレに呼吸を長く止められる様になるメニューを入れて貰おう…。


「…沙香ちゃん、今日はバイト?」
「は…ぜえ、ぜえ。」


し、しまった…
苦しすぎて「はい」って言えなかった!


「あああの…私、提出物もあったんだ!あの先生、最初に回収で…すみません、行きます!」


咄嗟に離れて、歩き出したけど


「あ、待って沙香ちゃん…」
「え?」


顔だけ振り返った途端に


ビタンっ!


ものの見事に、斜め後ろの木に激突した。



「沙香ちゃん大丈夫?!」


ああ…恥ずかしい…


痛さでしゃがんだ私の前に、青木さんもしゃがんだ。


「みして?」って言われてかがめてた顔をあげたら、目の前に黒めがちの目が現れて距離の近さにドキンとまた鼓動が跳ねた。


青木さんのスラリとした掌が私の左頬に触れる。


「ちょっと赤くなってる。」
「だ、だい…丈夫…です…」


笑顔は消えて、少し悲しそうな表情。


「…ごめんね?」


どうして…青木さんが謝るの?
私が勝手にぶつかっただけなのに……









ジュースを買って、三人でお弁当食べてる所に戻ってみたら、瀬名と沙香ちゃんが顔を近づけて内緒話してた。


……二人が仲良しなのはわかってる。
大好きな二人が仲良いのは俺だって嬉しいしさ…


だけど、瀬名と話す時の沙香ちゃんて…リラックスしてて、楽しそうなんだよね。
俺にはどっか緊張しててよそよそしいのにな…


付き合ってからだって、一緒に行こうって大学の最寄り駅で待ち合わせして、俺から手繋ぐ位で特に進展も何もないままだしさ…


俺は沙香ちゃんの彼氏でしょ?
俺 だって沙香ちゃんと二人きりになりたいし、もっと仲良くしたいのにって、モヤモヤした気持ちが膨らんじゃって


大人げないのはわかってて、授業時間を気にする沙香ちゃんを半ば強引に林の中に連れてっちゃった。


重ねた沙香ちゃんの唇は、柔らかくて…顔を赤くしながら一生懸命にキスを受け入れてくれてる姿が本当に可愛くて。


一回じゃ足りなくて、もう一回。


ほんと、何やってんだろ、俺。
『大事にするね』って言ったばっかなのにさ……


このまま、空回りして嫌われたらどうしようなんて、今度は焦燥感に駆られて謝っちゃって。


本当に、ずるいよね。


木にほっぺたぶつけて座り込んでた沙香ちゃんを立たせてあげて、手を繋いだら大人しく繋いでくれててそれに少しの安心を貰う。


「…沙香ちゃん、動物好き?」
「は、はい…」
「じゃあさ、動物園行こっか。
ほら、一駅前で降りてバスで行けるとこあるでしょ? あそこ、コアラ居るんだよ?」


途端にパッと目が輝いた。


「行きたいです!」


あ~…やばっ
嬉しそうな顔、本当可愛い…


林を出る手前でちょっと引き寄せて触れるだけのキス。


「じゃあ…今週の土曜か日曜に行く?」
「は、はい…」


それに困った顔で真っ赤になったけど。
俺の手をギュウッて握り返してくれたから、またそこに安心を貰えた。


まあ…いいや。


沙香ちゃんの彼氏でいる限り、これから沢山一緒に居られるんだから。


緊張は…ちょっとずつ、なくなってくれればいいよね。











林の中に連れ込まれ、キスをされて、デートの約束。




……どうしよう。



「沙香ちゃん、今日のコーヒー、個性が強過ぎんね。苦い通り越して酸っぱいけど。」


涼くんにバイト中も苦笑いされるほど、上の空で


「お前、マジでいい加減にしろ!仕事なめんな!」


柊にはどやされる。


だって…だって!
初めてのデートだよ!


青木さんと…朝からずっと一緒にお出かけだよ?


お洒落しなくてどうする!
でも、仕方がわからない!


「柊、どうしよう~!!!」
「うるせえ。」


泣きつこうとした私をあっさり拒絶する柊。


「大体、大学で会ってんだから普段通りが青木さんだっていいんじゃねーの?」
「沙香ちゃんはそのまんまでも可愛えーもんな」


…柊も涼くんもアテにならない。



「お前が取り繕ったところでたかが知れてる。二次元ヒロインにはなれないから。」


瀬名さんに至っては諦めろと言わんばかりだ。


「…というか、どうしてここに瀬名さんが。」
「客ですう~。普通に客ですう~。涼さんのコーヒー飲みに来ただけですう~。」
「瀬名は可愛えーのう…」
「間違えた。柊くんに会いに来ただけ。」
「それでも可愛い!」
「うるさい、おじさん。」


…涼くん、何でこんなに瀬名さんに丸め込まれてるんだろうか。


『涼さん、俺、失恋したばっかでさ…』(ウルウルお目々付き)
『えーよ?俺が癒やしちゃる』


「……瀬名さん、お願いですから涼くんをたぶらかさないでください。」
「俺を違う世界に連れてくんじゃないよ。」


コーヒーを飲んで瀬名さんが顔をしかめた。


「…つかさ。野郎に相談するより、もっと良き相談相手がいるじゃない。
ほら、あなたと仲良しの…」


ああっ!そっか!


「連絡してみます!」
「そうね、ここに呼んで?」
「はい!」


スマホで連絡してから一時間後


「やっほー!瀬名久しぶりじゃん!」
「相変わらずイケメンだねー。」


彩月さんとアイコさんが到着した。


「…どうも。」


瀬名さん、めっちゃ不機嫌!

私を一瞥して、涼くんのナポリタンを頬張り、ほっぺたを膨らましたまま、ぼそりと言った。


「二次元女子のクセに使えねーな。
普通仲良し呼べつったら、山Pだろーが…」


…山ちゃんは仲良しだけどさ。二次元の話するなら山ちゃんだけどさ。
お洒落を習うといったら、圧倒的にこの二人のイメージが…


というか、そんなに会いたいなら自分で呼び出せば良いのに。


「そういえば、沙香ちゃん、大変だったんだってね…聞いたよ?柊に。」
「あいつら…今度会ったら、ギッタギタにしてやる!」


彩月さんが口を尖らせるアイコさんを「アイコ」とたしなめて、また私の方を向いた。


「……“美は一日にしてならず”だよ?沙香ちゃん。」
「はい…反省してます。」
「じゃあ…デートに向けて少し頑張ってみる?」
「はい!」


やった!
これで、少しはマシになれるかも…


「じゃあまずは髪型変えてみる?」
「はい!」
「沙香ちゃん、ボブだから切るとなると…アイコが行ってる所がいっかな。ショート得意だよね。」
「沙香ちゃんきっと可愛くなるよー!私の所の美容師さん達、髪型へのこだわりが半端ないから。どう?」
「はい!よろしくお願いします!」


来る青木さんとのデートの為に、行ったヘアサロン。


ショートボブになって、首元が軽くなって。
控えめのブラウン系だけど、人生初のカラーリングもして。


「変わりましたねー。」
「凄く素敵になりましたよ!」


ヘアサロンの人達の口上に乗せられて、まんざらでもない笑顔をつい返してしまう。


美的センスが残念であろう私でさえ、雑誌に載ってそうと思うくらいの可愛い髪型。
それなのに、違和感無く私の髪としてそこにある。


ヘアサロンてすごい!


「お会計、初回割引ありですので、15000円になります。」


そして高い!


今まで、イレブンカットで済ませていた私には痛すぎる出費…


泣く泣く払って、カフェで待ち合わせしていた彩月さんとアイコさんにお披露目したら、顔がパッと輝いてくれる。



「沙香ちゃん、超可愛い!」
「これは青木さんも惚れ直すね、絶対」


でも、二人のお墨付きを貰えるならば、少しくらい高くてもしかたないな…。



「よし、じゃあ次は服!」


仕方ない……よね。


「服とアクセはこれで大丈夫だね…。
あ、メイクの練習もしないとね。コスメ、どこで買う?」


仕方……ない…


「ネイルサロンは前日かな…」


しか…た……ない……



「下着はどうする?上下揃えたいよね~」


下着?!
そこまで??


「あ、あの!初めてなのでそこまでは!」
「そう?」
「えー。勝負下着は大事だよ?」
「ほ、ほら…“美は一日にしてならず”!ね?」


デートって、するまでにこんなにお金がかかるもんなの?!



私が読んできた少女漫画の中では、そういう過程ってすっ飛ばして当日だったり、あったとしても軽く2ページ位にまとめてあって、あまり描いていなかったけど…


主人公達は色々と苦労を繰り返して初デートを迎えていたのかと、尊敬の念を抱きながら迎えたデート当日の土曜日。


朝から雲1つない晴天で、太陽がまぶしい位に光っている。


青木さんにぴったりな天気だな…


温かい風に吹かれながら、駅の改札前で空を見上げた。


青木さん…少しだけでも可愛いって思ってくれたらいいな…。


会える嬉しさで気持ちが弾む。
勝手に緩んで来てしまう頬を抑えて、視線を改札口にずらした所で、ドキンと強く鼓動が嫌な音を立てて、身体がこわばった。



あの時の…男の人だ。


『この子、十中八九処女でしょ?』



覚えてる…
その少しウェーブがかった固そうな髪も、細めのクッと上がってる眉毛と堀の深い、彫刻の様な目元も…。


あの時、鼻が捕らえたたばこ臭さを思い出して、ゾクリと身体が粟立って、思わず目をそらした。



「あ~…くっそ。財布忘れた。時間ねーのに…。」



な、何だろう…困ってるのかな。



「んだよ…スマホも忘れてんじゃん。」



あー…もう…と、改札から離れてこっちに歩いて来る。



ど、どうしよう…困ってそう…時間が無いって言ってたし。



キュッと一度唇を結んだ。



べ、別に…ついていくワケじゃ無いし。


「あ、あの!」


話しかけてはみたけれど、「お前誰だ?」怪訝な顔をされる。



「い、以前…その…変な部屋で一度だけお会いして…」
「……ああっ!あん時の!
ふーん…随分雰囲気違うな。」



目線が…嫌だ。



「あ、あの…電車代無くて困ってるんですよね!」


早く終わらせたくて、財布から1000円札を出して押しつけた。


「こ、これで足りますか?」
「まあ…って、はっ?」
「足りるなら良かったです!返さなくて良いんで!私ももう二度とあなたには話しかけません!では!」
「ちょっと待てよ…」


腕をガシッと掴まれて、鼓動が大きく跳ね上がる。


「は、離してください…」
「あんたさ襲った相手に金貸すって…」
「だ、だって…困ってるんですよね?」
「そうだけど…」
「とにかく離してください!」
「や、お前さ…」
「離してくんない?嫌がってんじゃん。」


泣きそうになっていたら、その人の腕をスラッとした掌が力強く掴んだ。


青木…さん…。


全く笑顔のない顔。
艶やかな髪がサラリと風に揺れて、余計に無表情の恐さが際立った。


「…またあんたかよ。」


私の手を離すと、乱暴に青木さんの手を逃れるその人



「…今日の所は、恩に着るわ。マジで助かった。」


千円札をひらりと私に向けて一瞬笑顔を見せて立ち去っていく。



助かったなら…良かった…かな。
ほっと一息ついたら、ギュッと手を繋がれた。


「…沙香ちゃん、行こ。」
「え?は、はい…」


強く引っ張られて、そのまま改札を通って電車に乗る。
動物園に一番近い駅に着いてバスに乗り込むまで、青木さんは全く喋らずに、顔も合わせてくれなかった。



ただ、手を固く繋いだまま。


明らかに…怒ってる…よね。



『大学でも一緒に居るんだから普段通りで良いんじゃねーの?』


不意に柊の言葉が頭を過ぎる。


私がいつもと違う雰囲気になったから…嫌、だった…とか?
ど、どうしよう…

だって、青木さんとの初めてのデートだから…少しでも可愛くって…



まだ朝が早いせいか殆ど人が乗っていないバスの中。
バスの一番後ろの席に並んで座った所で、掌が握り直されて指が絡み合った。



…それでもこうやってずっと繋いでくれているんだ。
優しいな…やっぱり。


キュウッと気持ちが音を立てる。


謝ろう…とにかく。


「あ、あの…ごめ…なさい。
わ、私…初めて男の人とデートするから…よ、要領がわからなくて…その…」


奥に座って窓の外へ顔を向けていた青木さんが私の方に視線を向けてくれた。
それに嬉しいやら苦しいやら、情けないやらで、目頭が熱くなる。


「……は、恥ずかしいですよね。こんな…張り切ってお洒落しちゃって。」


泣かないように一生懸命笑って見せたら、青木さんは、無表情だった顔が不服満載の表情になって、目を少し細めて、アヒル口に変わりため息をつく。


「……沙香ちゃん」
「は、はい…」


青木さんの顔が近づいて来たって思ったら、フワリと触れ合う唇同士。



……え?!
ふ、触れ…?!

こ、こんな公共交通機関の中で?!


ま、漫画や乙ゲーでしか見たことなかった……“車チュー”ってヤツだ…よね、これ。


「…可愛いよ。
すっごい、可愛い。」



しかも、甘い言葉付き。



「あ、あわわわ…」
「でも、怒ってはいるよ?…って聞いてる?」


目の前で怒ってる青木さんに、カクカクしながらぎこちなく首を縦に振る。


「あんなヤツに何で話しかけんのよ!しかも親切に電車代なんて貸しちゃってさ…」
「だ、だって困ってたから…」
「沙香ちゃんはいい人すぎ!」


……不機嫌だったのはそのこと?
わ、私が…張り切ったからどん引きしたんじゃなくて?


「よ、良かったです!」
「はっ?!何にも良くないよ!」


あ、ああ…そうか、良くないよ。
あの人にお金貸して怒ってるんだもんね。危ないことしたって。


「あれは…貸したんじゃありません。
言うなれば…お餞別です。二度と話しかけませんと言いましたし。
私だって、この前の事はとても恐かったし…許してはいません。
だから……み、見逃して…ください。」
「……。」


口を尖らせたまま、フウと青木さんがまた溜息をついた。


「……沙香ちゃん。」
「は、はい。」
「張り切ったの?」
「え?」
「だってさっき、言ってたじゃん。『張り切った』って。」
「そ、それは…」


カアッと身体が熱くなる。


ど、どうしよう…は、恥ずかしい……
言葉がどうしても出せなくて、また、ぎこちなく、コクンと首を縦に振ったら、青木さんの指が、私の横髪に差し込まれた。



「…おかっぱも可愛かったけど、ショーットも似合うね。」



顔を上げて見えた優しい微笑みに、緊張がほどけてく。
目に涙が溜まってしまって、流すのを堪えようと自然と口がへの字になった。



「…ごめんね?怒って。」



優しい言葉に、絡めてる指に力が入る。



良かった…笑ってくれて。


「…青木さん。」
「んー?」
「青木さんも…かっこいいです。」
「えー?そう?俺、いつもと変わんないよ?見た目は。」


おでこ同士がコツンとぶつかった。


「これでも、結構緊張してんの。
……今日、沙香ちゃんと一緒に動物園行くの超楽しみにしてたから。」


おでこの暖かさと笑顔。そして優しい言葉にキュウッと気持ちが掴まれる。


ああ…青木さんが大好き。


「おかーさん!あのひとたち、おでこごっつんこしてるよ!」
「しっ!ダメよ、そんなこと言っちゃ…」



乗ってきた小さな子が私達を指さして、お母さんが申し訳なさそうに苦笑い。
それに私達も「すみません」と苦笑いで返して二人で自嘲気味に顔を合わせて笑いあった。











待ち合わせの駅に行ってみたら沙香ちゃんが誰かに話しかけてるのをたまたま見かけて。
誰だろ…って近づいてったら、沙香ちゃんがそいつにいきなり腕を掴まれた。


って、この前沙香ちゃんのこと襲ってたヤツの一人じゃん!


怒ったのは、そんな危ないヤツに話しかけて!って言うのが主だったけど。
……それだけじゃなかった。


『だって、困ってたから。』


その言葉に、思い出したハンカチを貸してくれた4月の沙香ちゃん。



…自覚はしてるけどさ。
俺だからハンカチを渡してくれたわけじゃないって。


沙香ちゃんはきっと後先損得なんて気にしない。
目の前に困っている人が居たら助けたいって思うんだって…


そう理解していてもどうしても嫌だった。


…だけど。
初めて見たスカート姿。
膝丈くらいでフワリと揺れるスカートに、ハイカットのスニーカー合わせて。髪の毛も少し短くなっていて、それがまたよく似合ってる。


女の子って、服装や髪型変えただけで、こんなにガラリと変わるんだって、一瞬びっくりしたけど、その全てが『俺とデートするため』って一生懸命に首を縦に振ってくれる沙香ちゃん。


…勝手なヤキモチでへそ曲げてる場合じゃ無いよね。
せっかくの初デートなんだもん。


沙香ちゃんのおでこの暖かさに、やっと気持ちが落ち着いてから行った動物園。



まだ梅雨に入らないこの時期は結構賑わってはいたけれど、沙香ちゃんとゆっくり歩く事は充分出来た。


「わー!キリンの模様が綺麗!」

「カバがあくびしてる!」

「コアラ…親子で寝てる…可愛い…」



目を爛々と輝かせる沙香ちゃん。


「フラミンゴって、凄いバランスで寝ますよね…」
「確かに。ほら、片脚で目、つむるの難しいよ?」
「…青木さん、イケメンフラミンゴみたい。違和感無いです、混ざっても。」
「それ、褒められてんの?」


沢山、笑ってくれて



「ほーら、ここ!ここだよ~!エサ!」
「あ、青木さん…手、離してください!このカピバラ、勢い凄すぎて恐い!」


沢山、楽しそうにしてくれて…


「沙香ちゃん、お昼にしよっか。」
「あ、あの…お弁当…少しだけど作ってきました…」


恐る恐る出したお弁当も、おにぎりとかサンドイッチとか唐揚げとか、卵焼きとか…俺の大好物がいっぱい詰まってて、すっごい美味しくて。
お洒落だけじゃなくて、そこも頑張ってくれたんだって思ったら、今日、デートに誘って良かったって、心底思った。


「沙香ちゃん…ごめんね?」
「え…?」


最後にたどり付いた展望台で、街の景色を眺めながら呟いたら、目をパチクリして俺を見る沙香ちゃん。
それに、笑って返して、景色に目を向けた。


俺…本当に沙香ちゃんが好きなんだよね。
だから、いろんな事にモヤモヤしちゃって、つい…一人で暴走したり怒ったり。


でもさ、きっと沙香ちゃんは沙香ちゃんのペースで、俺との事考えてくれてるんだって…今日、ちゃんとわかったから。
これからはもっとちゃんと沙香ちゃんのペースをよく考えるからね。


清々しい気分で景色を見ていたら、不意にギュッと手を握られた。


「あ、あの…わ、我が侭…言ってもいいですか?」


我が侭……?


「何?」って少し覗き込んだら、ビクンと身体を揺らす沙香ちゃん。
顔を真っ赤にして、目に涙がいっぱい溜まってて…


「…“ごめん”は嫌…です。」


チラリと一瞥して、また目線を外す。


「わ、私…青木さんと居て楽しいとか嬉しいって感情しかありません。
だから…“ごめん”て言われると悲しくなるんです…青木さんは違うのかな…って。」


「す、すみません!我が侭で!」って、俺の手をめいっぱい握り占める沙香ちゃんに勝手に顔が緩む。



さっき心に決めたばっかなのにもう決意は崩れ去って、手を引っ張って、ゆでだこになっている沙香ちゃんを抱き寄せた。


「沙香ちゃんだって、今謝ったじゃん。」
「そ、それは…す、すみません。」
「ほら、また!」
「うっ…。」


夕方の少し涼しい風が足元を通り過ぎてく。
涼しさが余計に沙香ちゃんの温もりを心地よく感じさせて、回してる腕に力を入れたら、沙香ちゃんの腕が俺の背中に回ってきた。


「…沙香ちゃん、明日バイト?」
「い、いえ…明日はお休みです。」
「そっか、俺も明日は休み。だからさ、行こっか。」
「ど、どこに…」
「俺んち。」


驚いて顔を上げた沙香ちゃんは、さっきよりも真っ赤になっててそれがすっごい可愛くて。


「そ、それは…」
「俺の我が侭も聞いて?」
「うっ…。」


のど元まで、「ごめんね?こんなヤツで」って言葉が出かかって
『やばっ“ごめん禁止“なんだった』って、にやけながら慌てて飲み込んだ。











青木さん…「俺んち行こう」って言ってるけど…待って?


青木さんて一人暮らし、だよね。


と、言う事は……


漫画や乙ゲーでいつか見た、あんなシーンやこんなシーンが頭に過ぎる。


私と青木さんが…あんな事やこんな事を…?


いや、いやいやいや!

キスの仕方すらよくわかってないんだよ?

無理だよ!
絶対、無理!


………とは思ったものの


「沙香ちゃん、帰ろっか。」


青木さんの腕の中は温かくて、優しくて…


結局、ただ頷くしかできなかった。


ああ…どうなるんだろう。
せめて下着までちゃんとお金をかけるべきだった。


自分の浅はかさに脱力し、彩月さんとアイコさんの細やかな女子力に尊敬の念を抱きながら、ついて行った青木さんのおうちの近くのスーパー。


「買いだししてこっか。」


カートを青木さんが押してくれて、一緒に店内を回ったけど


「あ、このお菓子美味しそう!食べる?」
「は、はい…」
「後は飲み物買おっか。」


爽やかに、そしてサクサク買うものを籠に入れて行く青木さんに、ピンクのオーラはまるでない。


…もしかして、本当にただ、おうちに行って二人でゆっくりして親睦を深めようって意図だったのかも。

それなのに、私は勝手に如何わしい事を考えて……
これだから、リア充慣れしてない人は!!


青木さん、すみません!


心の中で、全力で土下座。


「あの!私、お夕飯にカレー作ります!」
「本当?超嬉しい!」


ああ…満面の笑みがお日様みたい。
私、本当に恥ずかしい。


今日は、心を込めて、カレー作りに精を出します!


そう気合いを入れてお邪魔した青木さん宅。


よし、まずは野菜を切って…と、気合いを入れてキッチンに立った途端に、フワリと身体を背中から包まれた。


「…もうカレー作るの?」
「は、はい…えっと…煮込みに時間がかかるし…」
「そっか。じゃあ一緒にやろ?」


身体を回転させられて、腰から引き寄せられてコツンとおでこ同士がぶつかる。


お、おかしいな……
青木さん、さっきまでとだいぶ雰囲気が…。


「あ、あの…カレー…」
「二人でやるんだから、もう少し後でも平気じゃない?」


少し鼻にかかる甘え声が吐息と一緒に鼻先に降りかかり、キュウッと心が音を立てた。
鼓動が、うるさく騒ぎ立てて、身体が一気に熱を持つ。


青木さんの顔が傾いたのを合図にギュッと目をつむったら、身体の奥から緊張で震えが起こった。


……チュッ。


あ、あれ?


予想に反して、軽く触れ合っただけで離れる唇


おでこをつけたまま、今度は少し鼻をスリスリ。


「…沙香ちゃん、動物園楽しかった?」
「はい…とっても。」
「カピバラに気に入られてたね。」
「あ、あれは…エサを持ったままの手を青木さんが抑えてたから…。」


口を少し尖らせたら、クスリと笑った青木さんにまた触れるだけのキスをされて
それからより引き寄せられて、今度は唇で挟み込む様に、はむってされた。


不思議……この前林の中でしたときとは違って、戸惑いも消えて震えが止まってる。


「…もうちょっとだけ。」


そう甘えた声で囁く青木さんに、小さくコクリと頷いた。


再び重ねた唇。


柔らかくて甘くて……幸せ。


相変わらず、息をどうしたら良いかとか、よくわからなくて息苦しさはあるけれど、そんな事…どうでも良く思える。


角度を変えて、小刻みに何度も何度も口づけられて、そのたびにどんどん夢中になっていって。


なんだか…ふわふわする。


もっと唇に触れて欲しくて青木さんの服をキュッと掴んで、少し背伸びした。












「私、カレー作りますね!」



強引に連れてきちゃったなーって思ってたけど、買い物の途中から、緊張がほぐれたのか、そう言ってくれた沙香ちゃん。


うちに来て、早速キッチンにカレーを作る為に立ったけど…


沙香ちゃんが俺の部屋に来たってだけでテンションが上がってんのに、キッチンに立ったんだよ?
そんなの、更にテンション上がるに決まってんじゃん。


野菜を袋から出そうとしてる沙香ちゃんを背中からギューッて包み込んじゃった。


もちろんね?
沙香ちゃんをうちに呼んだのは、いっぱい話して…もっと仲良くなりたいなーってそういうことだよ?


…けどさ、仲良くなるためには、ちょっとイチャイチャも必要でしょ?


なんて心ん中で言い訳しながら、正面に向けさせて顔を近づけたら、真っ赤になって緊張して、震えてる沙香ちゃん。


…俺、林の中で結構無理矢理キスしちゃったもんね。


チュッと少しだけ唇くっつけたら、涙目がパチパチと瞬きして、震えが止まる。
その反応が嬉しくて可愛くて、またそっと触れるだけのキスをした。


こうやってさ…少しずつ沙香ちゃんのペースで進んでけばいいんだよね……


なんて思ってたのに。
何度かキスを繰り返してたら、俺の服をキュッと握りしめて沙香ちゃんが俺に吸い寄せられる様に自ら顔を寄せてくる様になって。


…ヤバい、よね、これ。


ドキン、ドキンって、鼓動が大きく早く動き出す。


沙香ちゃん…初めて男とデートしたつってた…
って事はさ…もしかして初めての彼氏って事で。
これ以上は……


なんて思ってみても。


目の前の半開きの柔らかい唇が色っぽくて、それに逆らうなんて事絶対無理だって思った。


……ごめん。
絶対、これから大事にするから。


俺の服を握ってる手を外して、首に回させて、俺ももっかい沙香ちゃんを抱き寄せ直す。
さっきよりも、ずっとずっと深いキスを落として、離れない様にその身体を閉じ込めた。


「んんっ……」


息苦しそうに反応する沙香ちゃんは、それでも俺を引き寄せる。


「…沙香ちゃん、もっと…する?」


こんな聞き方ずるいって分かってるけど、もう抑えらんないくらいに気持ちが逸ってて


荒い息づかいで目を潤ませたまま、弱々しく首を縦に振る沙香ちゃんを、ベッドにひっぱってって沈めた。











「もっと…する?」


青木さんの優しい声が、半ばぼーっとする頭の中に優しく響く。


もっと…キス…したい…。

青木さんに…包まれてたい……。


「おいで」と手を引かれて、そのままベッドに身体が沈んだ。
上から青木さんが被さるように身体が密着して、ギシリとベッドのスプリングが音を立てる。


フワリと唇同士が重なって、その暖かさに心地よさでまた頭の中が満たされる。


指が絡み合ってギュッと握られて
青木さんのもう片方の手が私の髪を優しく何度も撫でた。


カレー…作らないと…

そうは思っても、キスの甘さにあらがえない……


心地よさに酔いしれ、絡めている指に少し力を入れると、髪を撫でていた青木さんの手がスルリと降りて…

スカートを少し捲りあげ、太ももに指先が触れた。



…………え?
ふ、触れ………


「んんっ…!」


唇を塞がれたまま、咄嗟に足を動かしてみたけど、余計にスカートが捲れるだけ。
さするように太ももに触れる青木さんの掌。


ど、どうしよう……ま、まって…
わ、私………


下着が可愛いヤツじゃ無い!


咄嗟に、開いてる左手で青木さんの胸元を思い切り押しあげてた。


少し乱れた青木さんの髪が、一瞬置いてサラリともとの場所に戻る。


「あ……。」


見開いた黒目がちな目が、少し潤いを増した気がした。


「そ、その……か、カレー…そ、そろそろ作らないと…。
お、遅くなっちゃう…から。」


しどろもどろな私をどう感じたかはわからない。
「あー…」と溜息まじりに身体を起こしてベッドにあぐらをかくと、うつむいたまま、後頭部を少しかいた。
私も起き上がって、目の前に座る。


「青木…さん…」


覗き込んだら、青木さんは白い歯を見せて苦笑い。
私の頭にポンと手を乗せると、そのまま丁寧に髪を整えてくれる。


「…カレー、作ろっか。」


怒っては…いなそう。


優しい指先と笑顔に、ホッと胸をなで下ろす。


…嫌なわけじゃないのは確か。
太ももを触られたとき、びっくりしたし、焦りはあったけど、『嫌だ』とは思わなかった。


でも…どうしても勇気が持てなかった。


…ごめんなさい、青木さん。
もう少しだけ、時間をください……。











俺の胸元を凄い力で押した沙香ちゃんは、赤い顔して目を潤ませて…手が震えてた。


……また暴走しちゃった。
沙香ちゃんは何も知らないんだから、キスしかしたくないに決まってんじゃんね…。


あー…最悪、俺。


自己嫌悪に襲われて俯いたら、俺の顔色を伺うように覗く沙香ちゃん。
笑顔を作って伸ばした指先は拒否られる事なく沙香ちゃんの髪に通せて、少し安心を貰った。


……“ごめん”禁止、結構つらいかも。


だって、結局恐がらせちゃってさ…俺、沙香ちゃんの事、あんまり大事に出来てないもん。


それでも、カレーを作ろうって再び立ったキッチンで、なんの躊躇いもなく、俺の隣に並んでくれて


「ジャガイモの芽って取りにくいですよね…」
「そう?じゃあ、俺やろっか?」
「…わっ!青木さん、凄い上手!器用ですね…」


楽しそうに笑ってくれる沙香ちゃん。


可愛いから、すぐキスしたくなっちゃうんだよね、こうやって一緒に居ると……


そこまで思って気が付いた。


……待って?
そもそも、それがいけないんじゃない?


『青木さん…すぐそうやってキスしたり触ったり…私、困ります。』
『でも、恋人だしさ…』
『だったら、付き合いたくない!』


「待って!それはダメ!」
「えっ?!隠し味にケチャップとソースは入れちゃダメですか?!」


あ…しまった。
意識が違う方に飛んで行ってた。


「じゃあ、ヨーグルトだけにしよっかな」と笑う沙香ちゃん。


………絶対我慢しよ。

せっかく両思いになったんだよ?
沙香ちゃんと別れるなんて絶対ヤダもん。


「うしっ!」って気合い入れたら、沙香ちゃんが不思議そうに俺を見る。


その頭をポンポンって撫でた。


「いっぱい食べたいから気合い入れたの!」


俺の言葉にふわりと嬉しそうにまた笑顔。



……うん、やっぱ俺、今日から気合い入れて頑張る。


『俺は沙香ちゃんを大切にしてるんだ』ってちゃんと示さないとね。


『暫くは触れない』と心に固く誓って、沙香ちゃんと二人で作ったカレーを大口あけて頬張った。











結局その日は、カレーを食べて、テレビを観たり、ゲームをしたり、話をしたりして過ごして、夜がだいぶ遅くなってしまったからと、青木さんがおうちまで送ってくれた。


閉店後の喫茶店のキッチンで下ごしらえしていた涼くんにも礼儀正しく挨拶をしたせいか、涼くんもいつにも増してニッコニコで


「沙香ちゃんの彼氏ええ男やね」なんて楽しそうにしながらコーヒーを振る舞っていて


私には諸々反省点があるけど…


これは、初デートとしては成功だったのでは…?
(どう考えても青木さんのおかげだけど)


なんて思いながら、アイコさんと彩月さんにお礼のメッセージを送ってから終了した当日。


次の日からも変わる事なく、大学近くの駅で待ち合わせをして、大学に行って。

相変わらず美澄先生の講義には青木さんと瀬名さんと二人とも参加してて、美澄先生はニヤニヤ見てて。


お昼も一緒に食べてたし、夜も軽いメッセージのやり取り。


いつでも優しくて笑ってくれている青木さんと一緒に居られる事がただただ嬉しくて、毎日が本当に楽しかった…


……はずなんだけど。


どうやらそれは、私が鈍感なだけだったらしい。


雨が降りしきる梅雨の始め頃


客足の伸びない涼くんの喫茶店に瀬名さんがいつも通りやってきた。


「あっ!瀬名さん、いらっしゃいませ!」


ご機嫌で挨拶をしたら、「どうも」って笑顔を浮かべながら寄って来て…柱に私を追い詰め

ドンッ!!

「おおっ!すげえ!初めて見たぞ!
壁ドンだろ?壁ドン!」


涼くん…「若者の言葉知ってんだぞ!」ってふふんとドヤ顔してるけど…多分もう、“流行り”って括りとは違う気がする。

そんなことより…この天使の微笑みで怒り狂ってる人、何とかしてー!


「…お前、まーくんに何したよ。」
「な、何って…いたって健全なお付き合いをさせて頂いておりますが!」
「お前が何かしなきゃ、あんな変になんねーだろーが。
まーくん、優しいからね。そこにつけ込んで調子に乗るとかあり得ないんですけど。」
「乗ってませんよ!青木さんは確かに優しいですけど…わ、私だって頑張ってます!」
「何を?」
「そ、それは…」


来る、二度目の青木さん宅訪問の日に備えて
ナイスバディになるべく、筋トレをしてお肌をメンテナンスして…可愛い下着を買うために一生懸命バイトをしてる。


…けど、それを瀬名さんに言うのはどうかと思う。


「色々と、です!」


押しのけて、涼くんの背中に逃げて、カウンターの前に座った瀬名さんに顔だけ見せた。


「だ、大体、瀬名さんだってお昼一緒に食べてるんだから、毎日見てるじゃないですか…青木さんと私が一緒に居る所。青木さん、ちゃんと笑ってますよ?」


涼くんに出されたコーヒーのカップに口をつけたまま、上目遣いに私を見る瀬名さん。

ふわふわな髪の毛に、白いもちもちそうな肌は毛穴レスな上に自己発光し、小ぶりな鼻はスッと筋が通っていて、カップにつけている唇も程よくピンク。くっきりな二重に丸めの目の中の琥珀色の瞳…そして、丸っこい指。


……破壊的に可愛いんですけど。
何でそんなにムダに目がウルウルしてるんですか。
瀬名さんだったら、別に下着が変でも、究極三枚1000円のヤツとかでも大丈夫なんだろうな…。


「…やっぱり、生まれ変わるなら瀬名さんがいい。」
「ダメだつってんだろーが。俺は俺にしかなれません。」


ふうと呆れてため息をつきながら、瀬名さんは静かにカップを置いた。


「……まーくんはさ、無理してるとすぐわかんだよ。
笑顔が引きつったり、どんなに楽しそうに見せてても、ほんの一瞬だけど真顔に戻っちゃったり。
まあ、あなたに好かれようって必死なのかもしれないけど?
ここ最近、どうも様子がおかしい気がすんだよね…。」


ずずっとまたコーヒーを一口飲むと、また少し上目遣いに私を見た。


「あの人、気にしいだから、意外と気にしてんじゃないかなー。あなたに好かれてるかどうかって。」


お弁当を青木さんの分も作って行って、それを一緒に食べて…他愛も無い話をして笑う。
そんな毎日じゃダメって事?


でも、言葉でいきなり『好き』って伝えるのは、そういう場面にならないと難しいよね。

二人きりになって、ちょっと雰囲気が良くなって……


「………。」


……あれ?


バイトを終えて自室に戻って、瀬名さんの言葉について考えていたらふと気がついた事。


そういえば、青木さんのおうちに伺った後、あまり手を繋いでいない気がする。


キスも…した?
そもそも、誰も居ない空間で二人きりになったことあったっけ?


急激に沸いてきた焦燥感。


私があの日、拒んだから、嫌になった…とか?


いや、でも…


『あなたに好かれようと思って必死なのかも』


瀬名さんがああ言ってるって事は嫌われているわけではないのかも。


考えてみたら、今まで青木さんに好きだって示して貰ってばっかりで私から示したことなかった。
その上、あんな風に拒否をしてしまったら、いくら優しい青木さんだって気を悪くする…よね。


本当に私って鈍感だな…


とにかく、ちゃんと「好きなんです」って私から示そう。
よし、『善は急げ!恋は急げ!』だ!

まずは私からメッセージを送って…

『青木さん、おやすみなさい。明日も一緒に大学に行くの楽しみにしています。』
『うん!おやすみ!』

すぐに既読になって、すぐに返信。


それにものすごいだらしなく顔が緩んだ。


…こんなに好きなんだもん。


明日から、頑張ろう。


布団に入って、散々シュミレーションしてたら、どんどん目がギンギ ンになってく。
結局、大して眠れぬまま夜が明け、彩月さんやアイコさんに教わったメイクで、はれぼったい目を誤魔化して(誤魔化しきれてないけど)


緊張しながら早めにたどり付いたいつもの待ち合わせ場所。


「あれ?今日、ちょっと早くない?」


ああ…朝からお日様みたいな笑顔。爽やかな風が少し茶色いサラサラな髪を揺らしてさらに爽やかにしてくれてる。
そして、今日も七分丈のジーンズが長い足によく似合ってる。


…とか言ってる場合じゃ無い、行動しなきゃ。


行こっかって歩き出した青木さんの隣に並んで、ピタリと距離を寄せる。
緊張で震える身体に力を入れながら…そっと青木さんの手を握った。


一瞬、ピクリと青木さんの指が揺れる。


「……あ~…あっ!沙香ちゃん、見て?雀の大群!」


青木さんの掌がスルリと私の手の中から逃げて、近くの電線を指した。


「行こ!バス、出ちゃう」


そのまま、両手をポケットに入れて一歩先を歩き出す青木さん。


あ、あれ……?


今、もしかして、手を繋ぐ事を拒否された?


「沙香ちゃん!ほら、こっち。」


学生で混み合っているバスの中、私を比較的空いている所で移動して、後ろの人から庇うように立ってくれる。


「混んでるね。沙香ちゃん、大丈夫?」


相変わらず優しい…


やっぱりさっきのは気のせいかな。
本当に私に雀の大群を見せたかったのかも。


じゃあ…昼休みの終わりに二人で久しぶりに雛がどうなったか見に行ったら良いかな。
そしたら、二人きりだし、色々気持ちを話せるかも。








昼休み、瀬名さんが緊張してソワソワしている私を一瞥すると、立ち上がった。


「…俺、ちょっと先行くわ。」
「えっ!何で?!」
「や、ちょっと講義前に庶務課の玲ちゃんの所に行きたいから。急用。」
「そ、そんなの後で良くない?!」
「や、だからさ…急用なんだって…」


……青木さん、いつにましても瀬名さん引き留めてません?


いやいや、私が二人きりになりたいって思ってるからそう感じちゃうだけ…な、はず。
瀬名さんが立ち去っていく後ろ姿を、若干狼狽気味に見ている気がする青木さん。


その隣に立ち、声をかけた。


「あ、あの、青木さん!ひ、雛がどうなったか…見に行きませんか!」

………けれど。


青木さんは一瞬真顔で私を見て、それからどことなく愛想笑いを浮かべる。


「…今日はやめとこっかな。」


え……。


「ほら!沙香ちゃん、次の先生、最初に提出物出さなきゃいけないって言ってたでしょ?」
「はい…。」
「じゃあ、行かないと!」


行こう!って私の分の荷物も持ってくれて歩き出す。


私…やっぱり拒否されてる?


心の中がモヤモヤと曇って、不安を覚えた。



青木さん…やっぱりあの日のことで、私の事………嫌になったの?







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