ヤワラカセカイ
ヤワラカセカイ〜君との恋のエトセトラ2〜

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「へー…なんだ、嫌われてたんだ。ごしゅーしょーさま。」
「………。」
「そういうこと?真大、それで悩みがちだったのか?」
「……。」


喫茶店のカウンター。
瀬名さんが左隣で飄々とコーヒーを啜り、右隣で柊がスタイリッシュに腕組みして椅子を少しくるくる揺らす。


「沙香ちゃん、イケメンに囲まれて、イケメンパラダイスだ!」


さも『俺は若い子の情報をしてんだぞ!』って顔して目の前で涼くんが楽しそうに笑った。


「…おじさん。イケメンパラダイスって何年前のドラマ?」
「ありゃ、名作だ。」
「や、俺もドラマは観てたけどさ…って、口を尖らせても可愛くない。」


…可愛いって思ったんだね?瀬名さん。
確かに涼くんは、30代とは思えない可愛さの持ち主だけども。


「とにかく、瀬名さん、涼くんをたぶらかさないでください。」
「お前はもっと真大をたぶらかさないと本気で捨てられるな。」


ぐっ……。


『真大、無理しないで?』
『瀬名…俺、やっぱり瀬名が良い!!』
『もう…まーくんはしょうがないね…』
『瀬名ー!!!俺もう沙香ちゃんとは別れる!』


「待って!ヤダ!」
「うるせえ。帰ってこい、違う世界から。」


勢いよく立ち上がろうとした私の頭をボスンと柊の手が押さえ込んだ。


「で、でも…青木さん優しいよ?」
「そりゃ、まーくんよ?彼女として飽きたとしても、傷つけちゃいけないって、優しくするでしょ。」
「まあ…それは分かるな。真大ってそういうとこあるよ。」


しゅ、柊まで~…


「沙香ちゃんは可愛えーよ?真大だってメロメロのはずだ!」
「涼くーん!」
「んふふ。可愛えーのう…」
「気付け。おじさん、めっちゃ悪い顔してんだろーが。」


感極まって涼くんに抱きつこうとした私を今度は瀬名さんが押さえ込む。


「うへへへっ!」
「…涼さん、無理すんな。ちゃんと会話には入れてやるから。」
「柊は相変わらずイケメンやのう…」


くふふと優しい笑みを浮かべる涼くんに、ふうと瀬名さんが一度息をはいてから私を見た。


「…あなたさ、何かしでかした?」
「え?」
「あー…だな。真大が理由も無くよそよそしくなるとは思えねーよ、俺も。
二週間前位からだよな…
笑顔がこわばってんのもそうなんだけど…
時々、従業員休憩室で、あー!って叫んだり、いきなり「おし!」って気合い入れ直したり…その割に、上の空だったり?」


二週間前…じゃあ、やっぱり…


考え出した私を二人が両側から覗き込む。


「…何か思い当たる節がありそうだな。」
「まーくんに関わる事だからものすごーく知りたいけど、聞きたくない。」
「わかる。ほっとこうぜ。」


二人同時にガタンと立ち上がった。


「まあ…真大とお前の問題だからな。お前がどうしたいか、じゃね?」
「そうだねー。
ま、どうあっても、まーくんはあなたを無下にしないって事だけはわかるけどね。」


二人で「出かけようぜ」って去って行く。


「俺も行く!」
「おじさんは働いてください。」
「ちえっ!」
「涼さん、2つ先の角の焼き鳥屋でお土産買ってくるわ。」
「柊はええこやのう…」


カランとドアのベル音が余韻を残した。


…私、次第か。

気持ちを伝えるチャンスは欲しい………けど。


『私、嫌じゃないんです!ただ、下着が可愛くなかったから!』


そんなこと、恥ずかしくて伝えられないんですけど。


そうだ…漫画を読み返して見よう!
何かヒントがあるかも!


初めて彼氏が出来て付き合って…ってやつ…


本棚に行って気がついた。


あれ、瀬名さんに人質に取られたままだ!

一巻と最終巻ととその前…
予想していたがごとく、見事にそういうシーンがあるところを持ち去られている。


…と言うか、やっぱり初デートは何もなく駅でお別れしてるよ?


私はどこで道を誤ったんだろうか…


悩んでてもどうしても分からなくて、結局頼りになるお姉さん二人に相談。


「そっかー。そんな事になってたんだ…何か、青木君、がっかりだなー!」


大学帰りに一つ手前の駅で待ち合わせをしてカフェに行き、話したらアイコさんが、少し口を尖らせた。


「もー…アイコはまたそういう言い方をして…」


「ごめんね?沙香ちゃん。」と彩月さんが苦笑い。


「…でもさ。まだ優しいって事は、これから挽回は出来ると思うよ?
そういうのって、言葉でストレートに伝えるのは無理でも、ほら、それとなく示す、とかね…」
「あ、あの…手を繋ぐ、とか、二人きりになれる場所に行こうって誘うとか…やってみたんですけど、拒否をされてるっぽくて…。」


離された青木さんの手の事を思い出したら、キュウッと気持ちが苦しくなった。


やだ…な…このまま、青木さんがどんどんよそよそしくなって、側に居られなくなったら。


鼻の奥がツンとして、思わず誤魔化す様にへヘッと笑って見せたら、彩月さんとアイコさんが顔を見合わせた。


「ねえ、だったら少しだけ色気を出してみるって言うのも手、だと思うよ?」


えっと……。
ゆるキャラな私に、色気を醸し出せと……?


「私に出来ますかね……」
「出来るよ!
前にも言ったでしょ?沙香ちゃんは女の子として、これから磨かれて行くんだから。似合わないなーって思っている事でも、工夫次第で自分に馴染ませる事は出来るんだよ?」
「色気だったら…もう少しだけ、露出を多くするとか…仕草を研究するとか。
まあ、青木さんが触れたくなるように仕掛けるって感じかな。」


露出……なるほど。
スカート、この前は膝丈だったけど、今度はもっと短いのに挑戦してみようかな。

それで…下着もちゃんと毎日可愛いのをつける。


お色気ムンムンになるのは無理でも、出来る色気があるかもしれないな…。


これで青木さんを引き留められるのかもしれないって思ったら、なんだか急に気持ちが前向きになった。


「沙香ちゃん…?あくまでも“少し”だよ?」
「はい…ありがとうございます!やってみます!」


次の日、膝上丈のワンピースにウェッジソールのサンダルで出かけた大学。

待ち合わせの駅でソワソワしながら青木さんを待っていた。


「…沙香ちゃん?」
「あっ!おはようございます…」


…昨日スマホで調べた、ショートボブで色気の仕草。


“サイドの髪を耳にかけながら小首を傾げて控えめに微笑む”


「……い、行こっか。」


心なしか、動揺している様に見える青木さんが私の手をギュッと……


……繋いだ!!


「…沙香ちゃん、バス、一個遅らせよっか。授業には間に合うし。並べば次のバスなら座れるから。」
「え?は、はい…」


気遣いが、倍増…。凄いな…色気。


これは、もっと頑張るしかない!


その日から、色気を醸し出せそうな服を選んで、仕草も研究。


「…沙香ちゃん、教室まで送るよ。」

「沙香ちゃん、飲み物買いたいなら一緒に行くから。」


日に日に青木さんの優しい気遣いがどんどん増えて行く。
手を繋いでくれるようになって、バスは必ず一本遅らせて座って
涼くんの喫茶店の前まで送ってくれる(私がバイトの時はコーヒーを飲んで帰る事も)


一緒に居る時間も増えて、青木さんは優しいし…って思っていたんだけど。


ある日ふと思った。


「じゃあ、沙香ちゃん、また明日ね。」
「は、はい…」


喫茶店の前まで送ってくれた帰り道。


そこで「じゃあね」といつも帰って行く青木さん。


気遣いは増えたけど…二人きりになれる感じはまるでない。


二人で居ても、必ず周りには誰か居る所で。


「…俺ちょっと行くわ」
「瀬名!待って!沙香ちゃん、俺達もそろそろ行こう!」


寧ろ、二人きりになるのを避けている様にさえ思える。


…色気が足りないのかな。
もっと、『二人きりになりたい!』って思って貰える様に頑張らないと。


そうだ…柊にだいぶ足が引き締まってきたって褒められたし、台形のミニスカートはいてみようかな。

あと…深めのVネックのカットソーも…。

下着も黒のレースのやつ!
“見せブラ”ってやつだっけ?

チラッと見えても恥ずかしくなくて、アイコさんに「色気は保証する」って言われたからこれにして…



自分の持ちうる、色気アイテムを大集結させて挑んだ、火曜日。



バスをやっぱり一本遅らせようって言った青木さんと順番待ちで並んでいたら、男の子達がすれ違いざまに私を一瞥した。


「…すげっ。」
「んだよ…男ありかよ…もったいねえ。」


通りすがりの人にお墨付きを貰えた!


私…頑張った!


「…バス、来た。乗ろ。」


青木さんが、その男の子達とは反対側に私を押しやり、先にバスに乗せてくれる。
そのまま手を繋いで一番後ろの席の窓際に私を連れて行ってくれた。



…最近、バスは必ずこうやって窓際に私を座らせてくれる。
混んでいる車内でも、何となく、二人だけの空間に近い気がして


今、一日の中で一番幸せな時間かも……


…いやでも。
二人きりになれているわけじゃないから。


二人きりになりたいって思って貰える様にもっと頑張らなきゃ。



そう決意をし直したその日の昼休みもいつもと変わらず、3人でお昼ご飯。


「じゃあ何?まーくんさ…」
「えー!瀬名知らないの?透くんがさ…」


…青木さんて瀬名さんと話している時、本当に楽しそうだよね。
二人の仲むつまじい感じは見てる私でもだらしない顔になっちゃうんだよな…。


「瀬名ー!」
「なっ!いきなり抱きつくな!腰が痛くなるわ!」


ああ…仲良し…


カチャン


「あ……」


多分、二人の仲良しぶりにデレ過ぎて、全身の筋肉が緩みまくったんだと思う。
思わず持っていた箸を落としてしまった。


「すみません…」


振り向いた二人に謝りながら拾おうとかがんだ私の前に、すかさず青木さんが立ちはだかる。


「俺が取るから!!」


突然の怒鳴り声に、思わず身体が固まった。


「あ、りがとう…ございます。」


私が箸を受け取ると、フイッとそのまま視線を逸らす青木さん。
お弁当を仕舞って、荷物をまとめ出した。


「沙香ちゃん、家まで送る。瀬名、代返しといて。」
「あー…うん。わかった。」
「ごめん。ありがと。」


瀬名さんが去った後、私に「行こ」と促す。


「あ、あの…私も授業が…」
「そんな格好で授業、受けないでよ!」


そんな…格好………


青木さんがハッと目を見開いて、今度は慌て出した。


「や…さ…あのさ…」


…そっか“似合わない”って思われてたんだ。
バスを一本遅らせて椅子に座らせてたのは、目立たない様にするためで…
私が変な格好してるから、心配で過保護になってた。


そりゃそうだよね。
青木さん優しいもん。

面と向かって『似合わないからやめろ』なんて言うわけ無い。


恥ずかしいな、私。
勝手に舞い上がってたんだ。


「…ごめんなさい、帰ります。
送ってくれなくても大丈夫です。」
「ちょっと待って沙香ちゃん…」
「離して!」」


咄嗟に掴まれた手を力任せに振り払ってしまった。


もう……嫌だ。


青木さんが大好きだから手も繋ぎたいし、キスもして欲しい。
その先だって、青木さんとなら頑張りたいって思ってるって…


それをただ伝えたいだけなのに、どうして上手くいかないの?


「…すみませんでした。」


呆然としている青木さんに頭を下げて、その場を走って立ち去った。
バスに乗り込んで駅前まで行くと、商店街にある古びた洋品店でジャージの上下を買って着替えてそのまま電車に飛び乗る。


…私にはやっぱり彼氏なんて、壁が高かったんだ。
二次元で夢見て楽しんで…それだけで充分だったんだ。


そうは思っても


「青木さんと居られなくなるなんてやだ…」


そんな欲だけはいっちょまえに残ってて。
ダッシュで帰って布団に潜りこむと、枕に顔をつけてひたすら泣き続けた。













「……。」
「…落ち込むのは勝手なんだけどさ。なんで俺の部屋なんだろうか」
「それは三澄透先生の部屋が汚い為に、比較的でっかい彼でも身を隠しやすいからでは」
「ああ…そういうこと?って別に汚くねーし!埃落ちてねーし!」
「や、そこじゃないんですよ…」


書類やら文献やらが山積みでものすごい見通しの悪い透くんの部屋の中、二人の言い合いを横目に、本棚の片隅の小さな空きスペースに膝を抱えて俯いた。



「…透くんとこ落ち着くんだもん」
「青木くん、いくらでも居ていいからね?」
「……すぐにほだされるのやめて貰っていいですか?
贔屓っていうんですけど、それ」
「瀬名も居ていいよ」
「じゃあ、聞かなかったことにする」


ふうっと大きく息を吐き出したら、二人ともピタリと会話を止めて俺を見た。



…デートの日から。
なるべく沙香ちゃんに触れないようにしながらも、今まで通り仲良く…って頑張ってた。


でも、やってみたら結構それが難しくて。
ニコニコ楽しそうに隣に居てくれると…手繋いだり、抱き寄せたりしたくなっちゃってさ…


我慢している反動なのか、沙香ちゃんと居ない間も余計に沙香ちゃんのこと考える様になっちゃって、バイトでも何度も失敗して、働くことに真面目な柊でさえ「真大、ちょっと休めば?」なんて心配する程。


あ~…いつまで続ければいいんだろう…


なんて思ってた矢先

急に沙香ちゃんの服の趣味が変わって。


最初は、丈が短めなワンピースってだけだったけど…
それだって、今までの沙香ちゃんだったら下にパンツを履くレベルの長さ。


いつもより出ている生足に、ついつい目が行っちゃって。


…これ、混んでるバスに乗せて他のヤツに触られたりしたらすっげーヤダ。


なんて、勝手にモヤモヤ。


それから沙香ちゃんは、何かわかんないけどどんどん露出高めな服を着る様になっていって。
本人が好きでやってるんだからって、特になにも言わなかったけど


……可愛いんだよね。実際。

意外とって言ったら悪いけど結構似合ってるの、それはそれで。


実際、バス待ちでも大学内でも、振り向くヤツが増えてきて、通り過ぎた後に何かニヤニヤ笑ってるヤツとかまでいる様になって、隣に居て気が気じゃない。


なるべく一緒に居て、変な虫がつかないようにしなきゃって、必死だった。


けどさ…。
今までだって触れないようにってするのが辛かったのに、一緒に居る時間も増えて更に隣でそんな色気たっぷりの格好で微笑まれたらさ…俺だって、葛藤で大変なわけ。


だから、俺も余裕が全くなくなってたんだって思うけど……今日のは、マズかったよね。


普通にしてても上から下着が見える位の深めのVネックに、座っただけで前から中が見えそうなスカート。
そんな格好で、転がった箸をかがんで取ろうとした沙香ちゃん。


…瀬名が居るのに。

格好は好き好んでだから仕方ないけどさ
だったらそんな無防備はダメじゃない?

もっとさ…自分がどういうことしてるか自覚してよ!


なんて、頭に血が上っちゃって…


『そんな格好で授業受けないでよ!』


気がついたら怒鳴ってた。


「まーくん、そろそろ行きません?」
「……5限サボる。」
「えー!俺、教える側なのにサボりの片棒担がされんの?」
「透くん、聞いたからには共犯です。」
「…瀬名は出りゃいいじゃん」
「何でまーくんがサボるのに、俺だけ出なきゃいけないのよ。おかしいでしょ、それ。」
「……そう?」


コトンと、目の前の文献の束の上に透くんがコーヒーのおかわりを置いてくれた。


「…まあでも、“凹む”って行為は過度にストレスを伴うけど、人間の成長過程においてとても重要な事だからね。
ゆっくり凹めば?」
「…いい、の?」
「いいんじゃない?凹むって事は自分やそれに伴う行動を省みてる証拠。
そっから新たなプラス行動が生み出されるなんて言ってる学者もいる位だからね。」


ズズッとコーヒーを美味しそうに啜る透くん。


「悩んだり、怒ったり、前に進めなくてフラストレーションが溜まったり…それは人間が人として生きてる証拠だからね。
それをプラスの方向へと導ける力を身につける為に奮闘すればいい。」
「プラスの方へ…。」
「そ、青木くんは得意なはずだよ?俺が見てる限り。」


そのふっくらとした整った唇の片端がクッとあがった。


「…青木くんは、思いのままに行動しても平気でしょ。
その結果、100%思い描いた通りにならなかったとしても、周囲に幸せを振りまいてるのは確実だから」
「あーまあね。それは俺も思う。」


瀬名が俺の隣によいしょって腰を下ろした。


「…あなたらしいのが一番でしょ。」


照れくさそうに、少し耳を赤くして目を合わせないまま笑う瀬名の横顔。


「あー…それで言ったらあの人も同じか。」
「あの人って…沙香ちゃん?」
「そ。あの人も単純だから、すーぐ笑ったり凹んだりすんじゃない。でも、見てる方嫌な気がしない感じだよね。飽きないっつーかね…」
「ああ、望月さんてそういうタイプみたいだね。
俺が授業中にやけて見てると、完全に『気まずい』って表情になって赤くなるし。」


「でもさ」と透くんがカップのコーヒーを飲み干した。


「最近、結構色気のある格好に変わって、男子どもがあちこちで噂してるよね。」
「あー…透くんの耳にも入ってんの?」
「うん。講師の中でもそういう話するし…廊下ですれ違った学生が噂してたりね。『話しかけよっかなー』って」


やっぱり…そうなんだ。


「まあ、似合ってはいるしね、ああいう格好も。
浮かれたヤツは出てくるかもね、あわよくばーみたいに…「そんなのダメ!」


立ち上がった俺に、二人してニヤリと笑みを浮かべる。


「…復活?」
「ですね。」


俺の背中をポンッと瀬名が叩いた。


「もうさ、あの人に関して色々考えたり気を遣ったりするのやめなさいよ。
好きなんでしょ?一緒に居たいんでしょ?
単純な話じゃない。」


微笑みの中で、一瞬だけ、その綺麗な琥珀色の瞳が揺れた。


「……そうできる相手なんだから。
そうしてあげなきゃ、自分が可哀想だよ?」


瀬名……


透くんが少し後ろでどことなく、穏やかな眼差しで瀬名を見てる。


「ほら!今からでも出るよ!授業。
その後あなたバイトでしょ?そろそろちゃんとしないと柊にキレられるよ!」
「う、うん…」


透くんの部屋を出た後、少し先行く瀬名の背中を見つめてた。
そんな俺にいつもみたいに眉を少し下げて『早くしなさいよ』って丸っこい手をヒラヒラとさせる瀬名。


「ねえ、瀬名」
「んー?」
「瀬名ー!」
「おわっ!くっつくな!ってか、ホールド!入ってる!
ねえ、バカなの?苦しいって!」


ありがとう…瀬名。
いっつも俺に付き合ってくれて。
いつか、俺も瀬名の心を前向きに変えられる日が来るといいって思ってる。


だからさ、その為にも俺は俺でちゃんと前を向かなきゃね。











泣いて泣いて泣きはらして迎えた次の日の朝。
布団の中から手を伸ばして見たスマホには青木さんからの着信履歴が10件以上残ってた。



メッセージは……無い、か。



きっと、着信無視しているって思われたんだろうな…



とてもじゃないけど、青木さんに会えない、今日は。



待ち合わせの時間間際になって


『すみません、今日は休みます』

とだけメッセージを送って、再びスマホを手放した。


…着信には出ないで、素っ気ないメッセージのみ。
完全に嫌われるよね、これ…。



でも、もういいのかも。


『取り繕ったところでたかが知れてる。二次元のヒロインにはなれない。』


瀬名さんの言うとおり、私が無理したってイタイ子なだけで恥ずかしいんだから。


もう、浮かれたり頑張ったりするのは止めて、学業に専念し……………ああっ!


思わず布団からガバッと起き上がった。

し、しまった…美澄先生のレポートの提出期限、今日……だ。


サーッと血の気が引いていく。

どうしよう…単位、落としたくない。
もう出来上がってはいるから、直接美澄先生のお部屋に渡しに行けば間に合うかな。


洋服着替えなきゃ…


クローゼットを開けて、一旦手が止まる。


……もう、格好とかどうでもいいや。


側にあったTシャツとGパンを着て、化粧もせずに髪も跳ねてたけどそのまま家を出た。



6月下旬のどんより曇り空を見上げて、ふうと深く溜息を出す。



…なんだか、憂鬱だな。


山ちゃんからの『大丈夫?』のメッセージに



『大丈夫!今から大学にレポート提出に行くね』


と、返してから向かった駅。



大学の最寄り駅に着く頃には、お昼あけの講義が1つ終わるくらいの時間になっていた。



…美澄先生、今日は何時まで大学にいらっしゃるんだろう。



大学行きのバスが出発して、窓に見慣れた風景が流れ始める。



そういえば、付き合ってから一緒にバスに乗った時…青木さん、色々教えてくれたよね、見える景色について。


『沙香ちゃん、見て!あそこね?向こうに伸びてる道の先に釣り堀があってさ。
毎朝エサ狙ってアヒルがいっぱい来るんだよ!』


頬を近づけて私を覆うように一緒に窓の外を覗く青木さんに緊張してドキドキして。


『あそこの定食屋さんはねー唐揚げ美味いの。なのに瀬名はいっつもハンバーグでさ…沙香ちゃんも今度行こ?』



でも、楽しくて、嬉しくて

耳元でする青木さんの笑い声に癒やされた。


青木さんの彼女になれて、本当に幸せだなって…そう思ったあの時。



それからだって、ずっと青木さんは優しくて。
だから、どうしてもその優しさが離れていくのが恐かった。


だったら青木さんに求められたら受け入れた方が良かったのかもしれない。



だけど、どうしても勇気が出せなかった……。


目頭が熱くなって風景がぼやける。


もう…一緒に居られないのかな、私…



大学の最寄りの停留所にバスが到着した。
今にも降り出しそうな曇り空は、まるで私の気持ちが広がっているみたいに思えて、フッと息を強めに吐き出した。



…とにかく美澄先生のお部屋に行ってみよう。



青木さんに会ったら気まずいな…なんてドキドキしながら、講師室のある4階へと進む。
階段隣のエレベータを降りると廊下が奥まで延びていて、一列に部屋が並んでいる状態で、『美澄透』と書かれたプレートは3番目位のドアにかかっていた。


木枠のドアをコンコンと叩いてみると、中から「はーい」と陽気な声がする。


初めて入るな…美澄先生のお部屋。


講義の感じだと、とてもスタイリッシュで清潔感溢れる感じだから、お部屋もキチンと整理整頓されていて…


ガチャリとドアノブを回した途端に、思わず目を見張ってしまった。




本やら文献やら、冊子やらが不規則に至る所に積まれていて、美澄先生は…見えない。


棚やボックスのようなものの間に人が一人通れる位の道が出来てはいるけど。


「お忙しい所を失礼します。
一年の望月と申します!」


少し大きな声で挨拶をすると、少しキイッっと椅子の脚が鳴る音が奥からする。


「あー…ごめん。
ちょっと散らかってんだけど、道は続いてるから、奥まで来ちゃって?」


道は…続いてる…
よ、よし。


どれもきっと貴重な本や文献なんだろうと、当たらない様に気を遣いながら奥へと進んだ。


「やー…悪い…ちょっと文献まとめててさ…でも歓迎する、望月さん。
来てくれてありがと。」


意味ありげに、ニヤリと笑う美澄先生は、ふわふわな無造作な髪も、計算して作られたであろう感じで、とても素敵に見える。


「す、すみません…私、今日、講義を休んでしまって…。レポートの提出今からでも大丈夫でしょうか。」
「ああ、うん。平気。
俺は“今日まで”って言ったんだから。問題無い。」


私が差し出したレポートを受け取って机に置くとまた私に向き直った。


「なんだ、てっきり青木くんの事で相談があんのかと思った。」


え……?


「なんて、俺にしねーか」ってまた楽しそうにクッと笑っている美澄先生。


「あ、あの…青木さん、ここに来たんですか?」
「や、今日は来てない。
けど、よく来んだよね、遊びに。」


コーヒーメーカーの前に立って、「…ごめん、切らしてる。コーヒー入れてあげらんないわ」と苦笑い。


「あいつ、どこまで油ウリに言ってんだよ…」
「あい…つ?」
「あー何でも無い、こっちの話。
でさ。
青木くん、最近ずっと何かちょっと挙動不審でさ…前にも増して興味をそそられてたんだよね。」


座り直した椅子に深く腰掛けてから太ももに肘をつき私を見るその姿が、とても様になっている。


「…望月さんに関係があんのかな?って思ってたんだけど。」
「ど、どうして私…」
「青木くんのバロメーターは、望月さんとどう絡んだかで振り幅すごいからさ。
特に最近は結構振り幅をプラスに振り切りたいのを抑えてる感じに見えたんだよ。」
「そ、それは、どういう…」
「端的に言うと欲求不満?」
「欲求…!?」
「あくまでも端的にわかりやすくまとめると、だから。
人間行動学的には、欲求不満は別に男女の色恋の事だけじゃねーからさ。
欲求にも段階があって、食うとか、寝るとか…人間に必要な事から始まって、『ああしたい』『こうなりたい』っていう、自己実現までのピラミッドみたいに表される。」
「青木さんは…どの段階に不満を…」
「面接したり対象者としてしっかり見たわけじゃないから結論ではないけどね?
青木くんは、どうもピラミッドに当てはまりきらない感じじゃねーかな?って。」


美澄先生が長い背もたれに身体を預けると、その重みでギッと椅子が音を立てた。
足を組んで小首を傾げ微笑む姿は、まるで映画のワンシーンのよう。


「もともと青木君て、アンバランスな所があって、衝動的に動く事が多いのに、繊細だから、自分の興味範囲の人の事を気にしがちなんだけど…。
望月さんに関してはそのアンバランスが更に強くなって…認められたいとか、気に入られたいとか、嫌われたくないとか、逆に好きになって欲しいとか?
そういう気持ちが空腹で食べ物を欲するのと同レベルになってるっつーのかな。」


じゃ、じゃあ…青木さんは私のせいでずっとお腹空いてる状態…って事…?


目を見開いた私を面白そうに含み笑いする美澄先生。


「あ、あの…もし、そんな状態で、して欲しくない事を私がしてたり、逆にして欲しい事を私が拒んだりしたら…。」
「そうだなー。空腹のままは辛いんじゃない?
誰だって、すげー腹が減ると苛ついたり、感情が不安定になったりすんじゃん。」


ど、どうしよう…私、もしかしたら青木さんにものすごいストレスをかけてたの?
でもじゃあ、態度で示してみても、交わされたり、『みっともない』って怒られたりしたのは何で…


そこまで思考を巡らせて、ハタと思った。


…というか、あれでもう私の事は嫌いになって空腹は解消されてスッキリ爽やかなのでは。


今度は急に気持ちがギュッと苦しくなって、涙がポタンと落ちてしまった。


「す、すみません…」
「や、平気。」


ほらって差し出されたハンカチは、綺麗に四角にたたまれていて。それを受け取ると美澄先生は「返さなくて良いよ」と微笑んだ。


「…私、多分青木さんの“して欲しくない事”をして、空腹をピークにさせてしまったんだって思います。」
「そっか。だったら答えは単純明快じゃん。望月さんが満たしてあげたら?もう一回。 」
「で、でも…もう青木さんは私の事…嫌いになったかも。」


ニッと整った唇の片端をあげる美澄先生。


「…人間てさ。一度好きになった人間を完全には嫌いになれない生き物だって俺は思うけどね。
特に、青木くんの望月さんに対する接し方見てんと、“嫌い”は最終手段だって思う。
もっと信じてもいいと思うよ?『青木真大』って人間を。」



『どう転んでも、まーくんはあなたを無下にしないって事だけはわかるけど』


不意に瀬名さんの言葉が過ぎった。



あれだけいつも、優しくして貰ってて…


『沙香ちゃんはいい人すぎ!』



怒る時だって、どこか温かくて。



そんな青木さんを私はちゃんと信じていなかった……
自分の失態で少し怒鳴られた位で『もういいや』なんて投げやりになって…


ガチャ


「すみません、遅くなりました。
あ、来客でしたか。コーヒーを…」


あ、助手の……


私の顔を見るなり、青ざめる、牧田さん。


「だ、大丈夫?!
何があったんですか?
み、美澄先生……これは一体」
「ああ、俺の個人授業に感動して涙してる最中」


目を細めた牧田さんは、全くと呆れる様に溜息をついてコーヒーメーカーの前に立った。


「…俺が学生に手え出して泣かせてるとか疑わねーの?」
「先生はそんなこと出来ませんから。」
「んだよ、つまんねーなー!」
「はいっ?!つまらないっておっしゃいました?
わ、私だって…人間行動学的に面白い箇所もありますよ?み、美澄先生がご存知無いだけです!」
「や…だからさ…つまんねーって意味がさ…」
「何ですか?」
「だから、俺はさ、お前に興味があんの。」
「チャラい!いい加減にしてください!」
「チャラくねーし!」


……何だろう。
すっごい至近距離で言い合いしてる。

しかも、美澄先生…ちょっと楽しそう?


「し、失礼…しました…」


お邪魔してはいけない気がしてそっと部屋を出た。


校舎の外に出てみると、最終講義が終わる時間で、空の色もさっきよりもどんよりと曇り空。


これ…早く帰らないと雨が降ってくるかもしれない。



足早にバスの停留所まで行くと丁度バスが到着した所だった。


…青木さんには会わなかったな。


そりゃそうか。
広い大学の中、待ち合わせもせずに会うなんてこと、奇跡に近い。


そう………奇跡に。


バスの窓際に座り、行きに見た景色をもう一度眺めながら駅へ向かう道。
大きく、深く息を吐いたら、驚くほど、気持ちが前向きになっていた。



……青木さんと出会って、恋人になれた奇跡をムダにしちゃいけない。
青木さんの空腹は、私が満たしたい。





.





駅から降りて歩く帰り道。

最初は降っていなかった雨が、途中からザアッと降ってきたけど、この気持ちがまた揺るがないうちに青木さんに連絡を取りたいって、喫茶店に一目散。




喫茶店の裏口から入っていったら、私のびしょ濡れ具合に、涼くんが、少し口を尖らせた。


「すっげー濡れてんじゃんね。ちゃんと風呂は入れよ?」


……青木さんに連絡取ってからにしよ。


二階に上がって部屋に入ってすぐに鞄からスマホを取り出す。



前髪から少し垂れて来る水滴を拭いながら、青木さんとのメッセージ画面をタップした。


…私が朝送ったっきり、メッセージが既読にはなっているものの、青木さんからの連絡はない。


もしかして、もう愛想尽かされているのかも…


また、気持ちが揺らぎ出して、ギュッとスマホを握り占めた。


“『青木真大』を、信じる。”


美澄先生の言葉を頼りに



“真大はあなたを無下にはしない”


瀬名さんの言葉をお守りに


『話したい事があります。
明日、会って貰えませんか?』


タップする親指が少し震えたけど、覚悟を決めて送信をタップした。
はああと脱力して、ぼんやりと青木さんの笑顔を思い浮かべる。

白い歯をニカッっと見せて、目尻に少し皺を作って、楽しそうに笑う…青木さんの笑顔に会うと、嬉しくてでもまぶしくて…気持ちがポカポカ暖まる。


本当に、お日様みたいだよね……


白く光る蛍光灯を眺めながら、ふと思った。


考えたら青木さんのそんな笑顔、最近全く見ていなかった。


最後に見たのは…初デートの動物園…かな。



本当に楽しかった動物園を思い出しながら待つこと1時間。

けれど、返信はおろか、既読にすらならないメッセージ。


「は……ックシュ!」


さ、寒い……。
とりあえずもうお風呂に入ろう…かな…


よろよろと立ち上がって、お風呂に入ってみたけど。


おかしいな…なんだか頭がグルグルして、ぼーっとする。


フラフラと部屋に戻っては来たものの、立ってるのも辛い。


仕方が無いからお布団にはいって、瞼を閉じた。
暖をより取る為に身体を丸めて、スマホをギュッと握り占める。


青木さん…お願い…
わずかでもまだ、私にチャンスをくれるなら…返信を…ください……


いつまでも何の反応も無いスマホを抱えたまま、いつの間にか意識を手放した。













…ここは、時計塔の下のベンチ?

目の前に広がる景色がどこか不鮮明でぼやけていて、思わず目を少し凝らした。


暖かさも、寒さも感じないそこは、緑が木漏れ日を運んで、白っぽい光でベンチを包んでいた。


そこには、一人、座る青木さんの姿。


出会った時と同じ、涙を流して、グスグスと泣いている。


花粉の時期…過ぎたけど。
あ、もしかして、梅雨鼻炎かな??


とにかくハンカチをと、持っていた鞄から真っ白なハンカチを取り出して差し出した。


……けれど。
鼻の頭を赤くして、頬に涙の跡を沢山つけている青木さんに笑顔は無い。


と、言うよりも、表情が無い…


「…お前のハンカチなんか要らない」


鼻にかかるような少し特徴的な声は確かに青木さんなのに、ものすごく冷めた声


「一人で調子に乗って、似合いもしない服着てさ…キモい。大嫌い。 」


大…嫌い…


「青木君、大丈夫?」


あ、あれ…誰?
凄く綺麗な女の人。

ハイヒールを履いて、フワリと巻いた髪を柔らかく1つ縛りにしていて…
フレアスカートとYシャツを着ている大人っぽい人。


青木さんの隣に腰を下ろすと小首を傾げて花柄のハンカチを渡す。


「ありがとう!やっぱり色気はこういう感じじゃないと!」


途端に青木さんの目が爛々と輝き、お日様のような笑顔になる。


「行きましょ。」
「うん!」


えっ?!ちょ、ちょっと待って…
わ、私…話が…


「バイバイ、沙香ちゃん。」


待って、待ってください!

青木さん…!


追いかけたいのに金縛りにあったかの様に身体が動かない。


もう…私はダメなの?
青木さんと一緒に居られないの…?












「…ちゃん?沙香ちゃん!」


ギュッといきなり手を掴まれた感触で、ハッと瞼が開いた。


視界の先には、心配そうに私の顔を見る青木さん。


「大丈夫?すっごい魘されてたよ?やっぱりまだ熱、高いのかな…」
「手で計った感じだと、37.5℃くらいだけどなー。」
「えっ?!そんなこと分かるんですか?!凄い!」
「んふふ。真大、ごゆっくり。」
「ありがとうございます!」


コーヒーカップをローテーブルに置いて出て行く涼くんに青木さんが礼儀正しくお礼をしてる。


これは……現実?
じゃあ、さっきのは夢?


むくりと上半身を起き上がらせたら、青木さんが「大丈夫?」とまた心配そうに私を見た。


「昨日、メッセージくれてたよね。俺バイトしてて気がつかなくてさ…終わってから連絡したんだけど、沙香ちゃんからのリアクションないし、朝も連絡取れないからさ…直接来ちゃった。」


窓の外に目線を向けると、いつの間にか雨は上がって、雀の鳴き声が爽やかに響いていた。


「沙香ちゃん……?」


名前を呼ばれて振り返ったら、やっぱりそこには心配そうに私を見てる青木さん。


どっちが夢なんだろう…



手を持ち上げて右のほっぺたをギュッとつねってみたら


「い、痛っ!」
「沙香ちゃん?!」


もう一回、今度は両方のほっぺたを思い切りつねる。


ああ…痛い。


嬉しくて、ほっとして、涙があふれ出してきた。


「うっ…くっ…よ、良かっ…た…」
「ちょ、ちょっと、沙香ちゃんてば!」


私の両手をほっぺたから青木さんが引きはがす。


「良かった…夢で良かった…。青木さんに大嫌いって言われて……」


泣き止もうって、一生懸命に身体をこわばらせたら、フワリと抱き寄せられた。


「…そんな夢見ないでよ。
沙香ちゃんのこと『大嫌い』なんて俺が言うわけないじゃん」


少し不機嫌そうな声が耳元で聞こえる。
その優しい温もりがすごく嬉しくて、そっと瞼を閉じた。



「好き過ぎて、ヒかれない様に頑張ってんのにさ…夢でもそんな風に扱われんの?」



そっか、好き過ぎて…………

………………。

………………………え?



顔をあげて瞬きしたら、青木さんも不思議そうに私を見る。


「あの…初めてデートした日、私が拒んだから嫌だったのでは。
そして、そんな私がなんだか空回りしてお洒落し始めたから恥ずかしかったのでは」
「え?!」


青木さんのその黒目がちな目が見開いた。


「沙香ちゃん、そんな風に思ってたの?」
「……違うんですか?」


小首を傾げたら、青木さんは苦笑い。


「違うけど…遠くはないかな。
嫌になったのは確かだけど、それは沙香ちゃんがじゃなくて、俺自身に、でさ。」


青木さん自身??

あの日、青木さんになんか落ち度があったっけ?
最初の不機嫌だって私の突飛な行動のせいだし、その後はずっと優しかったし…


「青木さんが自分を嫌になるようなこと、何もしてません!それは、私が保証します!」


ムッと口を尖らせて、眉間に皺を寄せたら青木さんは困り顔。


「…沙香ちゃん。」
「はい!」
「あんまり、誘惑しないで?」
「え?…っ!」


フワリと唇同士が触れ合った。


「ごめんね?俺さ…すぐこうやって沙香ちゃんに触れたくなっちゃうの。
でもそれって、沙香ちゃんの気持ち考えてんの?大事にしてるって言えるの?って思ったらさ。
やっぱ、控えないとなーって。」


もしかして…それでずっとキスもしないし、手もあまり繋いでくれなかったの?


優しい眼差しに、キュウッと気持ちが掴まれて、吸い寄せられる様に顔を近づけた。
そのまま、その唇に自分の唇を触れさせる。

再び青木さんの目が見開いた。


「沙香…ちゃん?」
「あ、謝ったから!ば、罰です!」


カアッと顔が熱くなって、再び少し、視界がぼやける。


……知らなかった。
キスって自分からするの、こんなにドキドキしなきゃいけない事だったんだ。


青木さん…いつもしてくれて。
それだけでも、『好き』って示されてるって気がつかなきゃいけなかったのに。



「わ、私、青木さんに触れられるのを嫌だなんて思わないです。
き、緊張したりもするけど。もっと、もっと…触れて欲しいって思ってます。
だって、私…青木さんの彼女だもん!」


また涙が込み 上げてきて、抑えようと、口がへの字になってしまう。
驚き顔だった青木さんの表情が、フワリと満面の笑みに変わって、コツンとおでこをつけられた。


「…うん。沙香ちゃんは、俺の彼女。」



唇が少しの時間、重なる。
それから二人で笑顔になった。


「…沙香ちゃん、まだ熱がありそうだね。おでこ結構熱いよ」
「す、すみません…うつしちゃったら…」
「大丈夫。バカは風邪引かないって言うじゃん?」
「…青木さんはバカじゃないもん。」
「じゃあ…風邪ひいたら、沙香ちゃんに看病して貰う!そっちのがいいかも、俺。
だから、うつしちゃって沙香ちゃんは早く治って? 」


ギュッて抱き寄せられて、私も背中に手を回してギュッと引き寄せた。


青木さんは、私の事を考えてくれて触れない様にしてくれていて…私は触れて欲しくて、焦って空回り。


そんなすれ違いで知った、相手に気持ちを伝える大切さ。


今こそ、ちゃんと示そう
私の『気持ち』を。


「あ、あの…治ったら、看病じゃなくても、青木さんのおうちに遊びに行ってもいい…ですか?」
「…うん!もちろん!」


笑う声が耳に届いて、気持ちが優しく穏やかになる。


良かった……やっと少しだけでも伝えられた。



何て、安心してたら


「…あっ!」
「え?!」


いきなり何かを思い出した様に青木さんが私の身体を少し離した。


「…沙香ちゃん、ごめん禁止だけど、ごめん。先に謝っとく。」


え……?


「な、何ですか…?」
「んとさ、パジャマのボタン、上から3つ外して?」



予想外の言葉に、ドキンと鼓動が大きく跳ねた。



「や、あの……そ、それは…」
「出来るでしょ?あんなに胸元の開いた服着てたんだよ?3つ開けたってあの服よりは露出少ないと思うけど。」


あ………。


目を見開いた私に、少しイジワルな目を向け笑う。


「外して?」


ど、どうしよう……やっぱりまだ、似合わないものを着てしまった事を怒ってる…?


ボタンに手をかけたけど、恥ずかしさで震えてうまくボタンを外せない。


「もー…しょうがないな。んじゃ、俺が外すよ?」


青木さんの手がボタンをプチン、プチン…っていとも簡単に外していく音に自分の速い鼓動が混ざりあって耳に響く。


ど、どうしよう……すごく恥ずかしい。


咄嗟に胸元を隠そうとした私の両手を青木さんが掴んで広げた。


「…よく見せて?」


ジッと見つめられて、鼓動がもっと早くなる。
顔も身体も奥からどんどん熱さを増して、それに準ずる様に汗ばんだ。


次の瞬間


少し乱暴に引き寄せられて、噛みつく様なキスが降ってくる。


両掌が握り直され、指が絡み合った。


「……沙香ちゃん、超色っぽい。」
「っ…!」


青木さんの唇が私の唇から離れて、口角、顎、首筋と触れながら下がっていく。


そのたびに、身体がその柔らかさに反応して、キュウッとこわばった。


「あ、青木さ……」


弱々しく呼んだ声は、絡めている指に力を入れられ遮られ、胸元に到達したその唇が、さっきよりもしっかりとそこに付けられて、少しだけチクンと痛みを伴った。


「…よし。」


顔を上げた青木さんは満足げに笑う。


胸元には、ポツンと赤い痕が残ってて……


えっ?!あ、赤い痕?!
これって…もしかしなくても、キスマークってヤツじゃ…


わ、私が…キスマークをつけられた?!
漫画や乙ゲーでしか見たことなかったのに!


「あ、あわわわ…」
「これで、沙香ちゃん、胸元開いてるやつ、着れないね。あ、太ももにもつけていい?そしたらミニ履けないでしょ?」
「だ、大丈夫です!はははは履きませんから!」
「本当に?約束する?」
「は、はい…に、似合わないと自覚しましたので…」
「え?そう?あれはあれで可愛かったけど。」
「…え?」
「でもさ、エロ過ぎてダメ!
ああいう格好は俺と二人きりの時だけにしてよ。他の野郎に見られるの、絶対ヤダ!
大体、あんな格好で瀬名の前でかがむとかさ…ダメだよ、絶対!
瀬名の前もそうだけど、柊の前でも…涼くんの前だってダメ!見て良いのは俺だけ!」
「涼くんも…?」
「ダメ!」


かぶせ気味に、そして真剣にピシャリと言う青木さんに、またキュウッと心が掴まれた。


『そんな格好で授業受けないでよ!』


あれは…『似合わない』って思っていたんじゃなくて、あの姿を沢山の人に見て欲しくないって事だったってこと…?


私…本当に何も見えていなかったんだ。
青木さんのそんな気持ちも、表情の変化すら。


ダメだな…もっとちゃんとよく考えなきゃ。


「あの…すみません。
私、青木さんを誘惑する事しか頭に無くて…。他の人の目がどうとか全く気にならなかったというか…」
「誘惑……?」
「はい…青木さん、デートした日以来、手繋いだりとかなくなったので、私、愛想つかされたんだって思って。
それで、何とか私の気持ちを示そうってそればっかりで…」
「沙香ちゃん!」
「きゃあっ!」


突然抱きしめられてそのまま二人して布団にひっくり返った。


「あー…もう…何だよ。空回りしてたのは俺じゃんね。」


くぐもった声が耳に届いたって思ったら、そのまま耳たぶを唇で挟まれた。


「沙香ちゃん…大好き。」


直接鼓膜に響くような掠れ声に、身体の奥が熱くなって少しだけ震えが起きる。


…うん。
私も青木さんが、大好きです。


その大きな背中に腕を回すと引き寄せて、今までで一番、ゆっくりと時間をかけて、深く口づけた。





.






結局、熱が下がってから二度目の青木さんのおうち訪問は叶っていない。



けれど、青木さんは相変わらず優しくて


「沙香ちゃん、鳥の巣見に行こっか!」


二人きりになれる時間をちゃんと作ってくれる。
そして二人きりになると、その長い腕でぎゅーって抱きしめてくれたりもする。


「沙香ちゃん、夏休みにどっか行く?海とか。」
「っ!行きたい!」
「……でも水着の上にちゃんとパーカー羽織るんだよ?」
「…は、はい。」


抱きしめられて感じる、まるで綿菓子のようなふわふわした柔らかく甘い幸せ。


夏休みの為にも絶対に追試は免れなければ!

なんて、テストにも気合いが入る。


そうか、リアル恋愛って、色々なプラス効果があるんだな。

リアル恋愛万歳!
と、言うより、青木さん万歳!

なんて、思っても、やっぱり私はまだまだ恋愛に四苦八苦する運命らしい。




.





「あ~!やーっとテスト終わったよ。柊のトコは?」
「ああ、うちも終わった。真大追試は?」
「今回はなかったの!すごくない?」
「まーくん、頑張ったもんね~」


試験終わり、涼くんの喫茶店のバイトに入ってたらコーヒーを飲みに来た3人。

そんな会話をしながら瀬名さんが意味ありげに私を見た。


「…ま、追試になるわけにいかないよね、今年は。」


私があまりにもデレっと笑ったんだって思う。
ニコニコしてる青木さんを挟む柊と瀬名さんが同時に『浮かれんな』って白い目。


…だって仕方ないでしょ?


大学最初の夏休み。
青木さんと過ごす、初めての夏休み。


浮かれなくてどうする!


不意にドアが開いてカウベルが人が入って来るのを知らせた。


「すみませーん、パンの配達で来ました。“パンかたおか”です…」
「おっ!パン来た!沙香ちゃーん、悪ぃけど出てくんねーかな。今手が離せない。」
「はい…っ!」
「パン、配達なんだ!」
「青木さん、好きかも。“パンかたおか”のパン。」
「柊のお墨付きなら相当美味いね。」


涼くんに言われて、カウンター横の空きスペースで待つパン屋さんに4人同時に目を向けた瞬間


私と青木さんは、同じ目を見開いた表情で動きが止まる。


「え?!お前…」


この人…この前の初デートの時に、駅でお餞別あげた人だ…。


「ど、どうして…」
「ああ、俺、実家のパン屋継ぐことにしてさ。ほら、この商店街入り口位にある“パン『 かたおか』”あれ、俺の実家。
お前は…涼さんの…娘?な、わけねーか… 」
「わ、私は…ここの二階に下宿してて…バイトさせて貰ってて…」


気後れして一歩下がってしまったら、トンっと誰かに背中がぶつかった。


「…仕事で来たんでしょ?お客さんが居るんだから、立ち話してないでさっさとやれば?」


青木さん……


私の両肩に手を置いて少し押すと、庇うように自分の背中に押し込める青木さん。
それを見た片岡さんがニヤリと笑った。


「ふーん…やっぱそういうこと、なんだ。」


伝票を切ると、「まいど」って私の代わりに青木さんにそれを手渡して、少し小首を傾げて後ろにいる私を見る片岡さん。


「…またな、”サコ”」


カランとカウベルを響かせて去って行った。


「あいつ……」


青木さんがムッと口を尖らせて眉間に皺を寄せる。



「恋のライバル登場!」
「何か落ち着かねーな…お前と真大。」
「んふふ」


事情を知らない傍観者3名は楽しそう(瀬名さんも顔は知らない)


「涼くん!あいつ出禁に出来ないの?!この前沙香ちゃん襲ったヤツの一人だよ!」
「マジかっ!出禁だ出禁!」
「…無理じゃね?涼さん、“パンかたおか”のパンを食べなきゃ生きてけないって言ってたじゃん。」
「…おう。まい、がー。」
「涼さん、俺がボコる、安心しろ。」
「いや、柊…そりゃ無理だ。片岡のおやっさん、昔この一体仕切ってた強者…」
「うん、無理だね。柊でも返り討ちかもよ。違う方法考えよ。つか、普通に片岡のオッサンとやらに訴えたら息子ボコりそうじゃない?そういう人って律儀なんじゃないの?知り合いに。」
「それだ、瀬名!可愛ええ!」
「…瀬名は確かに可愛いけど、今、関係あるか?」
「柊もイケメンだぞ!」
「ダメだ、オジサン、興奮して混乱してる。柊、こう言う時どうすんの?」
「まあ、仕方ねーよ。産まれた時から沙香を可愛がってんだから…」
「んふふ、昔から沙香ちゃんは可愛かったんだぞー。おねしょしてな…?」


……ものすごく片岡さんから話が逸れてる。
そして、青木さんに私のおねしょ話を聞かれたくない。


「あー!もう!
とにかくさ、沙香ちゃん、あんなやつに自分の状況話しちゃダメじゃん!」
「ご、ごめんなさい…つい…」
「おしっ!出来た。真大、ナポリタン食うか?」
「食うよ!大盛り!」


乱暴に席について、涼くんのナポリタンを頬張る青木さん。


「安心しろ、真大は今落ち着こうとして葛藤中だから」
「そうです。無意識に空腹を満たせば落ち着くことを知ってる」


柊と瀬名さんの言葉に、不意に美澄先生の話が過ぎった。


“望月さんを求めるレベルが、空腹で食べ物を欲するのと同レベルになっている”


ああ…私、また青木さんのお腹を空かせてしまった……


「 まあ…あの事件が絡んでんなら、元々あなたの暴走によるものなんだから、全部怒りを受け止めろって思いますけど。」


瀬名さんの言葉がグサリと突き刺さる。



リアル恋愛はヤワラカセカイ。
けれど…それだけでは終わらない。

青木さんと私の色恋沙汰は、まだまだ落ち着きそうにありません…




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