ヤワラカセカイ
ヤワラカセカイ〜君との夏のエトセトラ1〜








降り注ぐ太陽、どこまでも続く青空に、ぽっかり浮かぶ白い雲、そして…穏やかな波の音…


そんな爽やかな、海辺……


……どころじゃない。



「あ、あの…青木さん…海に入らないんですか…?」
「…入るよ?でも…沙香ちゃん、どうすんの?」


どうするのと言われても…


「ラッシュ脱ぐなんてダメだよ?」
「じゃ、じゃあ…このまま…」
「それもダメ!透けるじゃん!」


さっきから、この押し問答を、人気がほぼ無いテトラポットの裏側で繰り返している。


しかも……上半身裸の海パン姿の青木さんの腕の中で。





.





私を襲おうとした連中の一人が同じ商店街のパン屋の一人息子だと発覚した夏休み直前のとある日。


青木さんは発覚直後からほっぺたが膨らみ、唇が尖りっぱなしで。
大盛りナポリタンを軽々と平らげ、私の部屋に移動してもなお、まだナポリタンを口いっぱいに頬張っているのではないかと言う勢いで口が尖りほっぺたを膨らまし…鼻息が荒い。
不機嫌そのもので、ラグマットの上にあぐらをかいて座る青木さんの前に、恐る恐る正座した。


「あ、あの…。」


顔色を伺う様に、その顔を見つめたら、目線をあわせないまま、深く溜息をつく青木さん。


「……わかってるよ、俺だって。仕方ないもんね不可抗力だからさ。
わかってるけどさ…。よりによって、あいつが…しかも。涼くんがパン気に入ってるとかさ…」


心配…してくれているんだろうな。
青木さんはいつだって、私の事心配してくれて考えてくれるから。


もとはと言えば、私が暴走したから、あの人に絡まれたんだし。
その後も…ちょっとした出来心で、あの人に話しかけたのは私で。


『全部怒りを受け止めろって思いますけど。』


…その通りです、瀬名さん。
どう考えても私が悪い。

ちゃんと、怒りを受け止めるし、話をしなきゃ。


「青木さん…。私、あの人とは話しません。」
「……。」


青木さんが私と目線を合わせてくれた。唇はまだ尖ったままだけど。


「あんな事があったんだもん。私はあの人とは関わりたくないって思ってます。
近所だから会釈位は交わすだろうけど。それだけです。会話なんてしない。する必要もどこにもありません。
軽く挨拶を交わすのだって、涼くんの顔に泥を塗らない為だけです。」


真っ直ぐ見つめている先の黒目がちな目が、少しだけ潤いを増した気がする。唇は…少しだけ尖りが緩んだ。


次の瞬間


腕をグイッと引っ張られて、そのまま抱きしめられる。


「……沙香ちゃん。」
「は、はい…」
「今から俺んち行こ。」


今から…青木さんのアパートに。

と言う事は…


『沙香ちゃん…』


未遂に終わった前回が頭の中を駆け巡る。


『もっと…する?』


ギシリとベッドが軋んで、青木さんが私を上から見下ろして…鼻筋の通った綺麗な顔が近づいてきて…フワリとキス。左手が恋人繋ぎで絡まって…右手が………(振り返り自粛)


…あの続きをする。
今日、突然…


「あ、あわわ…」
「ほら、行こ!支度して?」
「や、あ、あの…今からは…夜も更けてきた事ですし…」
「まだ8時だけど。」
「は、早寝早起きは三文の得ですよ!青木さん!」
「…別に三文損していいよ。沙香ちゃんと一緒に遅く寝て遅く起きたいの、俺は!」


そんな…心の準備と身体のメンテナンスが!


テスト期間中、必死に勉強してたから、ボディークリーム塗るのサボってたし…昨日だって軽くストレッチしただけで、筋トレしてない!


そもそも、あれからセクシーな勝負下着も買いに行ってないし!


うう…どうしよう。

必死になって考えて、浮かんだ事。


「あ、あの!青木さん!海に行きませんか?!」


青木さんの私を引っ張る力が緩んで、黒目がちなその目が私に向いた。


「ほ、ほら…前に…夏休み、海でも行こうって。わ、私…楽しみで。今はその為にバイトを頑張っている様なもので…」
「…そうなんだ。」
「は、はい…」
「……。」


身体ごとくるりと私に向けた青木さんは、溜息を一つついてから、私をフワリとその長い腕で包み込んだ。


「……。」
「あ、あの…青木さん…?」


恐る恐る、腕をあげて私も青木さんの背中に回す。そうすることで、より青木さんが私をキュッと抱きしめた。



『俺、汗っかきなんだよね!』


青木さんは出会った頃からよくそんなことを言ってた。



『体温が高いのかな…汗臭かったらごめん!』
『だ、大丈夫…ですよ?そんなこと一度も思った事ありません。』
『本当〜?だったら良いけど。沙香ちゃんに、臭い!とか思われたら超ショックだもん。』


声高らかに笑う青木さんに、キュウッて心が掴まれて…鼓動がドキドキして。私の方がよっぽど体温高くなってる気がするって思ったっけ…


Tシャツの向こうから聞こえる青木さんの心音と呼吸のリズム。確かに、汗のにおいはするけど、安心する。


…こういう時、改めて私は青木さんが大好きなんだって、つくづく思う。


「…沙香ちゃん。じゃあさ、来週、海に行こっか。で、その後うちに来るのは?」


海で一日遊んで…その後、青木さんのおうちにお泊まり。


……な、なんて素敵な計画!!!


しかも、一週間あれば、水着とか下着とか…色々準備も出来るし、柊にもストレッチと筋トレの分量増やして貰って、身体の引き締めも少しは出来るかも!


「はい!ぜひ!」


意気込んで、思わず青木さんのTシャツを掴みながら、元気よく返事をしたら、耳元でフッと笑う声がした。「沙香ちゃん?」と名前を呼ばれながら腕がほどかれる。


目線が重なった次の瞬間、腰を抱き寄せられて、フワリと唇がくっついた。


穏やかに微笑む青木さんがおでこ同士をコツンとぶつける。


「…もう、延期はなしだよ?」
「は、はい…。」
「本当に?意味分かってんの?」
「え?はい…」


…今日はごめんなさいだもんね。
その代わり1週間後は楽しくなる様に目一杯頑張って準備しなきゃ!


「青木さん、私次は、唐揚げ作ってみようかな。そうすれば、二人で夜更かししてもちょこちょこつまめるし!」
「……やっぱわかってないじゃん。」
「えっ?!だ、ダメ…ですか?お泊まりに唐揚げは。」
「や、唐揚げは嬉しいけどさ…」


「もー…」と鼻をすり寄せる青木さん。


…もちろん、ちゃんと分かっては居るつもりだけど。
でも、そういう事があってもなくても、青木さんと二日間、ずっと一緒に居られるって考えただけで、舞い上がるんだもん。


だから、少しでも楽しく過ごせるように、唐揚げ精一杯揚げます!私!
涼くんにレシピ、教わらなきゃな…後は…唐揚げ以外のメニューも考えなきゃ。



水着は彩月さんとアイコさんにお願いして一緒に選んで貰おうかな。出来れば新たな下着屋さんも教えて貰って…
後は、夜楽しめるゲームか何か知ってたらいいかな…



「…青木さんと一緒に楽しめそうなゲーム?」
「う、うん…夜にね?もしほら…話題が途切れたりしたときにちょっとだけでも楽しめたら違うかなって…」


夏休みに入った3日後、大学の図書館で朝から山ちゃんとデート。
お昼を食べに学食に来た所で、話をしたら、サンドイッチを一口食べて、うーん…と小首を傾げた。


「さっと出来るなら、スマホで出来るヤツがいいよね…。猫の一筆書きのヤツとか可愛くて簡単でオススメだけど…」
「へー…猫の一筆書きか…」
「うん。後はね。私が登録してる誰でもゲームが作れるっていうサイトのゲームも今はスマホでも出来るみたいだから。重たくないやつなら。簡単なパズルゲームが結構沢山あって楽しいよ。」


これこれ、と見せてくれた先には、『マイページ』と書かれた先に、ゲームが羅列されていた。


「…とはいえ、私もサークルの合宿も近いから、今はあまりしてないかな。『虹』さんの作ったゲームだけはもう習慣になってて、今でも毎日やってるけど、他のクリエーターさんのはやってないかも。」
「…『虹』さん?」
「うん。私が昔から好きなクリエーターさんなんだ。」


確かに、羅列されているゲームはほぼ、クリエーター名が『虹』になっている。


一番古いのは…5年前の作品。


「『虹』さんの初期作品はパズル系の簡単なやつだからオススメかも。」
「ありがとう。見てみる!」


「良いのが見つかるといいね」とスマホを閉じる山ちゃんに思った。


「…ねえ、山ちゃん。合宿って…」


それに反応して、トートバッグに手を突っ込んだまま、顔を私に向ける山ちゃん。


「うん。ゲームサークルのメンバーで、2泊3日で海にね…」


……という事は、瀬名さんも?




.





「山Pには、白ビキニでよろしく。」


彩月さんとアイコさんに連れられて、水着を買いに行く事になった、海へ行く3日前。
喫茶店に朝食を食べに降りてきたら、カウンターでコーヒーをすする瀬名さんが居た。


「瀬名、トーストも食うか?ん?」

…涼くん、デレデレ。


隣に腰を下ろしたら、私の前にも目玉焼きが乗ったトーストが出され、湯気から香ばしい香りが鼻をくすぐった。


「そこは…山ちゃんの趣味ですし。私の範疇外です。」
「はあ〜?お前の今日の使命は、山Pに水着を買わせる事だろうが。それしかないから。」
「あ、そうだ!瀬名さん!青木さんはどんな水着が好きですか?!」
「スルーって。
つか、知らないです。真大がどんなの好きかなんて。そもそもまーくんを誘惑しようなんて、100万年早いつってんだろーが。」
「……私のがさっさと決まれば、山ちゃんに水着を買うよう、説得出来ます。」
「真大は、あんま色気がある感じだとヒクんじゃない?」


あっさり教え、そして親身になった!


「まあ、あなたらしいのが一番でしょ。きっと何を来ても喜ぶ事間違いなし。」


キラキラお目々が、ワンコみたいにウルウルしてて、柔らかい笑顔。

ふわっとした雰囲気で可愛い…


「…瀬名さんが着れば良いのに。水着。」
「はあ?!お前の頭の中、本当に花畑だな。つか、日焼けするから海なんて嫌いですう〜。行ってもTシャツ脱ぎませんよ、俺は。」


……戻った。


「じゃあ何で合宿を海にしたんですか。」
「サークルの会長が海の家の知り合いがいたから。破格で止まらせてくれるって。皆で皿洗いやら洗濯やら掃除やらすれば、更に半額。」
「山ちゃんも…」
「バーカ。山Pにそんな可哀想な事、やらせませんよ?野郎がいくらでもいるんだから、野郎がやりゃいいんだよ。山Pは俺の横に置いときゃ良いから。」


…そっちのが可哀想なんじゃ。
だって、山ちゃん相当…その…瀬名さんが…


山ちゃんの行く末を心配しつつ、彩月さん、アイコさん、そして張本人の山ちゃんと合流。


「今日はありがとうね、山ちゃん」
「ううん!私も合宿の諸々揃えようと思ってたから。」
「二人とも、今日はめっちゃ可愛い水着選んであげるからね!」
「あ、アイコさん…私、水着は…」
「あら?山ちゃんは買わないの?」


アイコさんがキョトンと首を傾げ、彩月さんも山ちゃんを横から覗き込んだら、それに苦笑いの山ちゃん。


「…中学の授業で着たヤツがまだ着られるから。今でも時々それで市民プールに泳ぎに行ってるし。」


それは…所謂、スクール水着というやつ…


一度彩月さんとアイコさんが真顔で目を合わせ、それから、山ちゃんと私を同時に引っ張った。


「さあ、行くよ!」
「超楽しみ!水着選び!」
「で、ですから私は…」


引っ張られながら焦る山ちゃん。もろともしない、お姉さん二人。


や、山ちゃん大丈夫かな…


そんな心配をしつつ、行ったお店。
ワンピース型からビキニまで色とりどりの水着がずらりと並んでいた。


…良かった。アイコさんと彩月さんがいて。
山ちゃんと二人だったら、この迫力に、入り口でUターンだった、絶対。


二人は、軽やかにお店に入り、早速水着を数着手に取り、私に当てる。


「沙香ちゃん、やっぱりビキニだよ!」
「そうだね〜。沙香ちゃんは、白とか、ピンクとか清楚や可愛い系が似合うから…逆手をとるの。」
「逆手を?」
「そ。少し大人っぽい水着を着て、視線を引き寄せる。」
「なるほど…」



『沙香ちゃん、今日は大人っぽいね。』(腰を抱き寄せられる)
『あ、青木さん……』



「…ちゃん、さーちゃん?」
「へっ?あ…山ちゃん、ごめん…」


しまった。また妄想の世界に突入を……。



「あ、あのさ…「山ちゃ〜ん!山ちゃんはこれが良いと思う!」
「え?!そ、そんなの着られません…」


…黄色地から始まるオレンジ赤…青になるグラデーションストライプのビキニ。しかも、結構布幅が小さい気が。


「もう!かえってこう言うのを着れば、野郎共も迂闊に近づけないのよ?」
「だ、大丈夫です。どっちにしても近づきませんから…私には。」
「何でよ。」
「ゲームを好きな男の人は、二次元の女性が好きですから。二次元の女性は究極に美しく可愛いです。スタイルも良いし。だから、お二人みたいに可愛く美しいならともかく、私みたいな冴えないリアルには興味ありません。」
「えー?何その安易な考え!山ちゃん、危ない!」
「だね。あの瀬名と海に合宿なんて行ったら餌食だよ。」
「え、餌食…。」


山ちゃん…青ざめてる。


「か、買います!これを着れば、水野さんは気にしないんですね?!」


……必死。


でも、結果白ビキニではないけれど、山ちゃんは水着、しかもビキニを購入した…。
まあ、私ではなく、彩月さんとアイコさんの話術により、だけど。


私も、今までには無い、大人っぽい感じのものを購入。


「ラッシュは脱いでも、濡れてもセクシーな感じで、白っぽいのにしよっか!パーカー式がいいね。」


ラッシュガードも購入。



山ちゃんの行く末を心配しつつ、準備を整え、迎えた念願の青木さんとの海の日。


水着に着替えて、いざ、出陣!


……したはずだったのに。


更衣室から出て、青木さんの海パン姿を見たら、自分の姿よりそっちが気になる。


な、何でそんなに…セクシー?!
ど、どうしよう…これ。

……直視出来ない。


細身な身体は余計な脂肪なんてひとつも無くて。腹筋も綺麗に数個に割れている(直視出来ないから何個に割れてるか数えられない)。


「ねえ!あの人、超かっこいいんですけど!」
「本当だ…今日来てラッキーだったね。」

「どうしよう〜。カッコ良すぎて倒れそう!」
「だね。ねえ、話しかけてみる?」



あ、青木さん…周囲の女性が釘付けですよ!


どう考えても私より数倍スタイルも良くて綺麗で可愛い女の子達が青木さんを見て息を荒くし、テンションを上げているこの状況。

どうしよう…これ、私が話しかけて良いのだろうか。


張り切ってビキニなんて着てしまった自分が恥ずかしく思えて、気まずくなって、海の家の入り口付近で足が進まず、立ち止まってしまった。


『私、ビキニなんて無理かも…。結局スクール水着着ちゃうと思う…』

…山ちゃん。私も無理だった。
あの時は、試着した山ちゃんが可愛すぎて『山ちゃん、着ようよ!私も着る!』なんて豪語したけど、とてもじゃないけれど、視線を独り占めしているかっこいい青木さんの隣には立てない…


「ねえ、一人?」

いえ、一人ではないのですが、一緒に来た人がイケメン過ぎまして………って、誰?


少し後ろから、二人の男の人が何だか知らないけれど、ニヤニヤしながら近づいて来た。


「良かったら、俺達と遊ばない?」
「今、見かけて、超好み!って二人で盛り上がっちゃってさー。」
「そうそう。可愛いから、他のヤツに行かれる前にって。」

か、可愛い…?!
どう考えても私に視線が向いてる男の人達。


「え、えっと…」


でも、疑わしくて思わず周りを見渡したら、ブッと吹き出される。


「そんな周囲を見たって、確実におたくのこと可愛いつってんだけど。」
「でも、その反応もいいねー。やっぱ話しかけて良かった。じゃあ、行こっか。」


…ちょ、ちょっと待って?
いきなり手首を掴まれて、ゾクリと背中が音を立てた。


「あ、あの…私行きません!」
「えー?何でだよ。いいじゃん、少し位。」
「だ、だって…」


どうしよう。この格好のまま青木さんの横に並ぶのは…でも…この人達にどう説明をしていいか…。


「と、とにかく離して…」
「だーめ。」


恐くて、涙目になったら、顔も紅潮する。


「マジで反応が可愛いねー。名前は?」
「教える筋合い無いけど。」


私の横に、新たな男の人が現れた…と思ったら。


あ、青木さん…


無表情なその顔つきが、恐さを醸し出していて、私も男の人達と一緒に思わず息を飲んだ。


「この子、俺の彼女なんだけど。何か用?」
「か、かの…何だよ、男連れかよ。」
「早く言えよな…」


チッと舌打ちをして去って行く男の人達。その姿をジッと見て、それから私に向き直った。
その視線が、痛く感じて、何とも言えずいたたまれない。
どうしよう…怒ってる?
その上、こんな浮かれた格好で…幻滅されて、私と海に来たことを後悔しているのかも…


「…沙香ちゃん。」
「は、はい…」
「こっち来て。」


腕をグイッと引っ張られて、そのまま、海に向かわず、テトラポットの裏へと連れてこられる。
そのまま、テトラポットと青木さんに挟み撃ち。


いつかの『樹木ドン』に引き続き…………今度は『テトラポットドン』。


日陰でヒンヤリとしているそれの感触が背中にあたり、真顔の青木さんの瞳も相まって、少し寒さを覚えた。


…次の瞬間。


青木さんの腕が私の腰を捕らえてそのままギュウッと引き寄せる。


って、ちょっと待ってください!青木さん!

は、肌の感触が…いや、肌どころじゃない。
さっき目の当たりにした筋肉の感触が!
む、胸板!


「あああああ、ああの、青木さん…う、海は…」
「入るけどさ…どうすんの?」


ど、どうするのと言われても…私的にはこの状態の方がどうしようなんだけどな…


「…あんな風に話しかけられてさ。すっごいヤダ。」
「す、すみません…」
「ラッシュ脱いじゃダメ!」
「じゃ、じゃあ…このまま…」
「白いじゃん。水に入ったらすげー透けるじゃん。ダメ!」


ど、どうしよう…一刻も早くこの状態を回避しないと…
心臓が飛び出そうな程、フル稼働していて頭に血が昇ってる。


燦々と降り注ぐ太陽。

私を抱き寄せる青木さん。


ラッシュ越しに感じるその感触。


ああ…ヤバい。
逆上せて来た。


波音が耳に届いて、少しだけ足元に風の涼しさを感じた。


「沙香ちゃん…」


甘い鼻にかかる青木さんの呼ぶ声。

首筋にその唇が触れて、くすぐったい…はずなのに、そうでもない?


「…沙香ちゃん?」


あ…何か…目の前が暗くなってきた…


「さ、沙香ちゃん?!鼻血出てるよ!」
「はわわ……」


ダメだ……目が回る…
目の前が歪んでグルグルしてる…


……そのまま、波音が心地よく聞こえるだけになった。











砂浜と遊歩道の狭間。


銀色のプレハブの入り口には『救護室・迷子預かり所』と書かれた看板が設置されている。

端から見ると熱そうに見える建物の中だけど、冷房が効いていて、寧ろ少し寒いくらいだ。




「沙香ちゃん、大丈夫?」
「……はい。」


部屋の奥のついたての向こう側。
白い簡易的なベッドが置かれていて、そこで横たわっている今。


少しずつ、目の前のグルグルも収まって、意識が鮮明になってきた。



……鼻血も止まったし。



いや、止まったには止まったけどさ


青木さんのかっこよさに逆上せて鼻血って……


かけてくれた大判のバスタオルを頭から被っている今。
とてもじゃないけど、顔をそこから出せない。


「…沙香ちゃん、俺、飲み物買ってくるけど、何が良い?」
「な、何でも…」
「そっか。じゃあ、適当に買ってくるね。」


ガタンとパイプ椅子を引く音がして、気配が遠ざかって…なくなった。



ついたての向こうからは、子供の泣く声と、大人達の「○○ちゃん!」「探したのよ!」「ごめんね」なんて声が聞こえてくる。
ついたてがそことここの世界を遮断している様な気がして、ポツンと取り残された、そんな寂しさを感じた。


…最低だな、私。


青木さんに迷惑ばっかりかけて。


もう…洋服に着替えようかな。
ラッシュも脱いじゃダメ、このまま海に入るのもダメなら着ていても意味はないもん。


ビキニで大人っぽくして色気を出すとか…浮かれてた自分が本当に恥ずかしい。



「…あっ!起きた?良かった。顔色もだいぶ良くなったじゃん。」



バスタオルから顔を出し、起き上がった所に、黄色いTシャツを着た男の人がついたての向こうから顔を出した。


…多分、ここのベッドに案内してくれたライフセーバーの人だよね。



「ダメだよ?ちゃんと水分を取らないと。今日は結構日差しも強いから…ってあれ?一緒に居た人は?」
「あ…今、飲み物を買いに行っていて…」
「そっか。」


さっきまで青木さんが座っていたパイプ椅子にどかりと座る。


「まあ、もう少しここで休んでけば?」
「す、すみません…ご迷惑を。」
「いやいや。具合の悪い人が休む場所だから。遠慮は無用。もっと我が物顔で居て大丈夫。『あたし、具合悪いのよ!文句あるか!』ってさ。」


声を裏返して言うひょうきんな感じが面白くて、思わず笑ったら、その人も真っ白な歯を見せてニカッと笑う。



真っ黒に日焼けをしているから、白い歯がすごく強調されるな…

でも、雰囲気は優しい。

何となく、釣りから帰って来たばっかりの涼くんを彷彿させる。



『沙香ちゃん、えーこ。』


…いかん。
考えたら、涼くんが恋しくなった。


涼くんの作ったナポリタン、食べたいな…甘くてトマトケチャップの味が優しくて…


グウウウ…。


「あ……」

…し、しまった。


盛大にお腹が鳴ったことで、顔が一気に上気する。


「す、すすすすすみません!」


慌てて謝ったけれど、後の祭り。
ライフセーバーさんは、ハッと楽しげに笑って、換えの冷えピタを私に差し出した。


「お腹が空く位なら、もう大丈夫だな。まあでも、お連れさんが来るまでゆっくりしてな。」
「……はい。」


おずおずと受け取って、でも、顔がもう見れない。


「ありがとう…ございます。」


おでこから冷えピタを外して、新しいのを貼ったらひやりと心地よい感触。


「…お連れさん、彼氏?随分イケメンだったけど…帰ってこれるかな。」


ライフセーバーさんがついたての向こうに目をやった。


「今は女子も結構積極的だからね。あちこちで声をかけられてたりして。」


…あり得る。
と言うか、絶対そうだ。


『あのお…私、友達とはぐれちゃってえ…』(←ビキニの似合う美女)
『え?!大変じゃん!一緒に探しますよ!』
『やーん♡ありがとうございますう』(ずっと見つからないように裏で工作)


『いないね…』
『そうですね…。仕方ないですよね…はぐれた方が悪いんだから。』
『そんなことないよ!俺が見つかるまで一緒に居てあげるから!』
『良いんですか…?』
『うん、もちろん!どうせ沙香ちゃんは寝たままだし。変なのに絡まれて面倒くさいもん。ビキニもやたら張り切ってて何かいまいちだし。』
『えー?誰ですか、その沙香ちゃんて…』
『知らなーい』



「そ、そんなのヤダ!」
「おわっ!びっくりした…」


あ…しまった。また違う世界へ行ってしまってた…。


「や…まあ…さ。すぐ戻ってくんだろ。ここに連れてきた時も、ものすごい慌ててて、真剣そのものだったし。とても、連れが休んでるから自分だけ楽しむって感じには見えなかったから。」
「そ、そう…ですか…」


うう…でも、海では数知れない誘惑が…。
…言わなきゃ良かったな。海に来たいなんて。


溜息を思わずついたら、ライフセーバーさんが私を覗き込む。


「…ま。戻って来ないなら、俺が今日の仕事終わるまでここに居なよ。遊ぼうぜ。」


……え?


目をパチクリした私に、また白い歯を見せて笑う。


「だーいじょぶだって!可能性は限りなくゼロに近いから!万が一見捨てられても、俺が居るって思ってりゃ気楽だろ?少しは。」
「は、はあ…」


な、何だろう…この人流の励まし方なのかな。



「沙香ちゃん、ただい…ま…。」
「おっ!お帰りなさい。」


パイプ椅子から立ち上がる寸前、再び私の顔を覗き込んで、「残念。」と小声で呟き笑う、ライフセーバーさん。


「お連れさん、もう大丈夫そうですよ。」


青木さんに爽やかに声をかけると、そのままついたての向こうへと消えて行った。


「……どう?具合。」
「は、はい…もう…」
「そっか。だったら良かった。」


「はい」と“ソルティライチ”と書かれたペットボトルを差し出されて受け取ったのを確認して、青木さんがベッドへ腰を下ろした。


「沙香ちゃん、水分とらないと。」
「は、はい…頂きます。」


コクコクと飲んだそれは、喉を潤し口の中を爽やかにしてくれる。
ホッと一息漸くつけた気がした。


「あの…青木さん、ありがとうございます。すみません…その…色々と。」


それでもまだ青木さんの顔をまともに見ることが出来ない。


…せっかく海に来たのにな。
私が相手じゃなければ、青木さんはもっと楽しめたのかな。


そんなことを思って、目頭が熱くなった。



不意にスッと手からペットボトルを抜かれる。

それは、そのまま青木さんの手によって、サイドテーブルに置かれ、

次の瞬間、腕を引っ張られ、背中に手が回り…唇が重なり合った。


「ん…んん…っ」


引けた腰を引き寄せられて、噛みつく様に、何度もキスが降ってくる。



その最中。
ラッシュガートのファスナーを青木さんの指が下げ、ウエストの辺りをツツ…っとかすめた。


「…っ」


思わず、腰が浮いて、その手に自分のを乗っけたけど…


「…大丈夫だよ。誰も来ないから。ね?」


唇にかかる吐息と甘えた鼻声がキュウッと胸を締め付けて。
首筋から胸元へと唇を這わせていく青木さんに、身を委ねたくなる。


水着の布地すれすれの所に、唇が当てられて、胸に感じたその感触。


その後、チクリと甘い痛みが走った。


「…どうしよっか。ラッシュ、余計脱げなくなったね。」


満足そうに微笑み、その痕を見ている青木さん。


「脱いじゃダメって…」


私が口を尖らせながら息を整えて居たら、また引き寄せられて、コツンとおでこ同士をぶつけた。


「…沙香ちゃん、まだわかんないの?こんな可愛かったら、皆寄って来ちゃうでしょ?」


可愛…いい?


思わず顔を上げたら、フワリと唇同士がぶつかる。


「あ…」


青木さんがハッと笑い、白い歯を見せた。


「か、可愛い……」
「うん。可愛いよ?」
「ほ、本当…ですか?」
「本当に決まってんじゃん。」


ああ…どうしよう…嬉しすぎて…視界がぼやける。


「う〜…」
「ちょっと!何で泣くの!」
「ら、らって〜…あ、青木さんが…か、可愛いって…」


…誰に言われるよりも、ずっとずっと凄い破壊力。
青木さんの“可愛い”は私にとっては力をみなぎらせるに充分です。


「青木さん…」
「んー?」
「海!海に入りましょう!」
「えー…」
「入っちゃえば、見えなくなるから大丈夫です。上がってきたらすぐにバスタオル羽織るし!それに…」


青木さんのスラッとしている首に腕を絡ませ抱きついた。


「こ、こうやってずっと、青木さんにひっついてます!」


そうだよ。 そうすれば、変な人にも絡まれないし、青木さんを美女にかっさらわれる可能性も少なくなる!
そしてこれだけひっついていれば、きっと『隣に並ぶ』ほどの距離もないから、見比べられる事も無いはず!


どうだ!


我ながら名案だと息を巻いたけど


「……。」


…あ、あれ?
青木さんの反応が…ない?


「…あ、あの。」


首に絡めていた腕の力を緩めて離れようとしたら、それを拒むように、青木さんが私を包む腕に力を込めた。



「…沙香ちゃん。」
「は、はい…」
「沙香ちゃんて俺の?」


………は……え?


今、凄い台詞言われなかった?
いや、疑問系ではあったけど。


ほら、よく少女漫画で見かける、イケメンの王道的台詞の一つ。


『お前は俺の』


わ、私が…私が…い、言われ…


「ねえ、そうだよね?」
「あ、あわわわ…」


な、何という凄い現象!

青木さんが…『お前は俺のだ』って(ニュアンス違うけど)…鼻血が再び出て来そう。


や、でも待って?


漫画の主人公達は、大抵答えずに顔を真っ赤にして「もう!」って誤魔化したり、何も言えず絶句してそれをイケメンが楽しんで…みたいな感じなんだけど…


「沙香ちゃん?」


……答えを思い切り求められている。


ど、どうすればいいんだろう…「はい♡」って可愛く言うのも違和感があるしな。
ああ…もっと色々な少女漫画を読んで研究しておけば良かった。


『おーい!東海岸の方から連絡来たかー?』


不意についたての向こうから、さっきのライフセーバーさんの声が聞こえてきた。


“万が一見捨てられたら、俺と遊ぼうぜ”



さっきの言葉が蘇る。
ギュウッと再び青木さんの首に腕を絡め直し、その首筋に顔を埋めた。


「…私。青木さん以外の人に誘われても、話しかけられても、嬉しいって思わないんです。」


青木さんには、『沙香ちゃん』って名前を呼ばれただけで、ドキドキして、嬉しくて飛び跳ねたくなるのに。


「青木さんは…私にとって特別な大好きな人です。」


ちゃんと…伝わるかな。
この気持ち。


「私…いっつもちんちくりんだから。水着を着て少しでも大人っぽくなろうって頑張ってみたんだけど。結局うまくいかなかったなあ…って。でも、青木さんが可愛いって言ってくれて、それだけでいいやって。他の人にどう思われてもいいやって…」
「……。」


青木さんが静かに私をまた引き寄せた。


「……うん。わかった。」


頭を丁寧に撫でてくれる感触が優しくて…嬉しい。


「沙香ちゃん」
「はい。」
「海、遊びに行こっか。」
「はい!」


抱きついたまま元気に返事をしたら、くふふと機嫌良さげな含み笑いが耳をかすめた。


良かった…気持ちが通じたのかな…少しは。








沙香ちゃんと過ごす初めての夏休み。


『海とか行く?』
『はい!行きたいです!』


俺に抱きしめられながら、満面の笑みでそう答えてくれちゃったらさ、張り切るでしょ?そりゃ。


気合い入れて、バイトもテストもとにかくすっごい頑張った。
ついでに、部屋の大そうじまでしちゃってさ。


だって、海に行ったらその足で俺んちに来てくれるって言ってるし、綺麗にしといた方がいいでしょ?


俺の張り切り様に、遊びに来た瀬名はしれっと見てたけど。

最後の最後、沙香ちゃんと海に行く前日になって、面白そうにニヤリと笑いながら


「真大、まあ…ほどほどにね?」


なんて、言って自分の家に帰って行った。


…ほどほどって。
俺、そんながっついてる様に見えた?


や…そりゃ…さ。

まあ…二度目だし?
海に行った後とかだったら盛り上がってるだろうしさ…期待してないつったら嘘になるけど。

そこはさ…この前の反省を活かして、ちゃんと今回は大人な対応しようって心に誓ってるから、大丈夫!



なんて、思ってたのに。

当日、水着姿の沙香ちゃんがナンパされてる所らへんから、すっかり大人じゃなくなった。


沙香ちゃんはナンパされて強引に腕を引っ張られてしどろもどろ。当然、男達はそこにつけ込むわけで。


…どうしてそういうの呼び寄せちゃうの?
もっとさ…自分がどう見られてるか、とか考えなよ。


別に沙香ちゃんが悪いわけでもないのに、どうしてもイライラモヤモヤしちゃって。
テトラポットの裏側に沙香ちゃんを連れ込んだ。


本当にさ…身勝手だよね、俺。
ナンパなんてされて、恐かったのは沙香ちゃんなわけで。

そんな沙香ちゃんに優しく出来なくて「やだ」って駄々こねて。

マジで、子供じゃん。

結局、気を遣ったのと暑さにだと思うけど、沙香ちゃんは逆上せちゃって。


ああ…俺、ほんと何やってんだろう。って反省しながら飲み物買って帰って来たらさ…



『彼氏が戻らなきゃ、俺と遊ぼうぜ』



歳は同じくらいのライフガードの人。
なのに、話しぶりも落ち着いてて、テンポが良くて。


『まあ、そう思ってりゃ気楽でしょ?』


沙香ちゃんもどことなく安心した笑顔。


…ずるいよ。
その表情は俺が見るはずなのに。


沙香ちゃんの彼氏は俺なんだよ。



みっともないくらいに露わになった独占欲
水分補給した沙香ちゃんを捕らえて、半ば強引にキスをした。


ラッシュのファスナーを下ろすと、さっきまで透けて見えていた黒いビキニが顔を出す。


『まあ…ほどほどにね。』


……無理。
瀬名なら大人だから『別に海だしいいじゃない』って言うかも知れないけどさ。


俺は無理。そんなに寛容になれない。
こんなの誰にも見せたくない。


感情のまま、胸元に唇を押し当てた。


浮き出る赤い痕に、少しだけモヤモヤが消えるのを感じる。
俺の言った『可愛い』に目を潤ませて喜ぶ沙香ちゃんに苦笑い。


…沙香ちゃんて、どこがいいんだろ、俺の。
こんな我が侭ですぐ不機嫌になっちゃう様なヤツなのにね。


なんて思いながらも、ぎゅうって俺にくっついて「青木さんから離れません!」と言ってくれる沙香ちゃんに沈んでた気持ちは完全に上向きになれて。
欲がどんどん生まれて「俺の?」なんて聞いちゃった。


でも、そんな俺の変な質問にも、真面目に答えてくれる沙香ちゃん。


「青木さんは…私にとって特別な大好きな人です。」


…あの4月の日、沙香ちゃんが俺に話しかけてくれて本当に良かった。


「海に行こっか」と言った俺に満面の笑みで「はい!」って答える沙香ちゃんをもっかい抱きしめ直す。


「沙香ちゃん」
「はい。」
「海で遊んだら俺んちに帰るでしょ?」
「………。」


沙香ちゃんの腕がギュッと俺を引き寄せる。


「………はい。」


少し遅れた返事は、だけど、ハッキリとしていて。そこに何となく期待をしちゃうのは、やっぱり俺ががっつき過ぎてるから?


『ほどほどに』



瀬名、やっぱ無理。

だって、沙香ちゃんの事、すっごい好きなんだもん、俺。









「あ、もう大丈夫そう?」



ついたての外へ出たら、さっきのライフガードの人が振り向き笑った。


「はい。ありがとうございました。」


そう私が答えると、青木さんが繋いでいる手にギュウッと力を入れて少し私を引き寄せる。


「…ありがとうございました。」


どことなく真面目なその横顔。


青木さん…ちゃんとして、こういう所大人だよな…やっぱり。


ライフガードの人はそんな青木さんにニッと笑顔を向け、目の前に立つ。


「…お気を付けて。」
「はい。もう、大丈夫なんで。ここにお世話になるような事はないと思います。」
「海に100%『大丈夫』はありませんからね」
「大丈夫だって言ってんだろうが。行こ!沙香ちゃん!」


大人、な対応…。


ライフガードさんが、クッと笑って私を見た。


「またね、『沙香ちゃん』」
「っ!?行くよ!」
「は、はい…」


ムスッとしたまま、私を引っ張り救護室を出て、砂浜をずんずんと歩く青木さん。


…今度は一体何で怒ってるんだろう。


「あ、あの…青木さん。」


それでも私の方を向いてくれる青木さんに少しだけ安堵。


「そろそろ…海に入りませんか?」
「………。」


けれど、口を尖らせたまま、ジッと私を見つめている。



うう…どうしよう。
やっぱりこの水着似合わないとか思われてる?


「…ダメ、ですか。」


恐る恐るお伺いを立てたら、腕をグイッと引っ張られて抱きしめられた。


って…!
青木さん!周り!ぎゃ、ギャラリーが!


「イケメンが女の子抱きしめてるよ!」
「やだ、なんかの撮影?」
「あれかな。素人ドッキリみたいな?」
「えーいいな。私もあの人にドッキリされたい!」


…実際やられると、結構辛いですよ。
意識を手放しそうになる自分を食い止めるの。


「あああああの…あ、青木さん…」
「沙香ちゃん…俺、このまま帰りたい。」
「ど、どうして…」
「だって!皆、沙香ちゃんのこと可愛いって!今だって見てるしさ。」


いや、見られているのは多分、青木さんだと思います……


「ちょっと、ドッキリにしてはくっつきすぎだよね〜。」
「早く離れてよ!」


……ほらね。
なのに、青木さんが沢山不機嫌で。


「青木さん」
「何?」
「そんなこと言うならもう帰ります。」
「うん。」
「青木さんのおうちも行かない。」
「何で?!」


凄い勢いで私を引きはがし見る青木さんをムウッと少し睨んだ。


「……青木さんの方がよっぽどモテます。」
「そんなこと無いよ!俺、全然モテないもん!」
「モテます。」
「じゃあ聞くけどさ。いつ?どこで俺がモテた?」


今、ここで、ものすごくモテてます。
こうやって争いをしている様子を、美女達がニヤニヤ見ています。

仲違いしろーって。

よっぽど…私の方が不安なのに。


「……私、言ったのに。青木さん以外興味無いって。それじゃ、ダメなんですか?」
「ダメ…じゃ…ない…けど…」
「けど?」
「けど……」


ふうと息を吐く青木さん。荷物を徐に置くと私の手を取り、引っ張る。


「あ、青木さん?」
「入ろ、海。」


ずんずん入って行くと、あっという間に腰…肩…遂にはあまり足がつかない所まで来てしまった。


「つかまって」と自分の首に私の腕を絡ませるとそのまま私を引き寄せる。
ヒンヤリとしている海の中。心許ない足元。


青木さんの体にぴったりとくっついていることがに安心を覚え、その温もりに心地良さを感じて、気持ちがスッと穏やかになる。


ギュウッと腕に力を入れて、青木さんの首に顔を埋めた。
青木さんもそんな私をギュッと抱きしめてくれる。


「「……。」」


しばらく二人してそのままただ抱き合って。
波に揺られてた。


「……沙香ちゃん。ごめん。」


先に口を開いたのは青木さんで。


「俺さ、すぐああやってムキになっちゃってさ…」


その穏やかな口調が耳に届く。


「沙香ちゃんの事信じてる。でも…どうしてもああいうことがあるとヤダって思っちゃうの。」


ああいう…事?


顔を首から上げて、少しだけ離れる。
そこに、海の冷たい水が入り込む。


コツンとおでこをつける青木さん。


「…沙香ちゃんは可愛いからさ。色んなヤツがちょっかい出したくなっちゃう気持ちがわかんの、俺には。」
「あ、青木さんだって…いっぱい女の子がきゃあきゃ言ってって…」
「沙香ちゃんは、それでヤダって思ってる?」
「そ、それは………」


…仕方ないとは思ってる。
だって、青木さんは本当にかっこいいから。
いまだに、私の事を好きになってくれたのがどうしてなのかわからない。


だけど、やっぱり、他の子が青木さんにキャアキャア言っているのは…


「……嫌、です。」


クスッと青木さんが笑い、鼻の頭同士をくっつける。



「じゃあ…おあいこ?」


…どう考えても青木さんのがそういう率は高い気がするけど。
同じ様にヤキモキするなら…おあいこなのかな。


首に絡めている腕にまた少し力を入れて、青木さんを引き寄せる。


「おあいこ…です。」
「そっか。」


フワリと唇が重なった。

黒目がちな目が目の前で少し揺れる。
相変わらずくっついているおでこと鼻先。


「沙香ちゃん…大好き。」


少し鼻にかかる掠れ声。
波音に消される事無く耳に届いて、キュウッと胸を締め付けた。


照れくさそうにおでこをつけたまま笑う青木さんに私も笑顔。


「沙香ちゃん。」
「はい。」
「うち、来てくれる?」
「はい!」
「でも、このまま帰ったら塩だらけだよね、そういえば。」


…確かに。


少し身体を離して、見てみるけど…まあ、当然ながら海水に身体は浸かっているわけで。
このまま軽くシャワーを浴びて帰った所で青木さんのおうちを塩と砂で汚してしまいそう…


「あ、じゃあ…1回喫茶店に戻ろうかな…それでシャワーを浴びて改めて青木さんのおうちに…」
「えー…それじゃあ、1回解散しなきゃいけないじゃん。それはヤダ。」


「んー…」ってまたおでこ同士をくっつけて口を尖らせて考えていた青木さんが、そのまま上目遣いに私を見た。


「じゃあ…海の家で借りよっか、シャワー。」



青木さんの穏やかで優しい声。
おでこをくっつけあっているせいか、唇にその吐息がかかる。


「…はい。」


穏やかな波と同じ様に、私の心も穏やか…


……だったはずなのに。


「あ、あの…えっと…」


何故か、シャワー室に二人一緒に入ってる。


海からあがって、青木さんに引っ張られる様に海の家に来て…


「ちょっと高いけど、温水の個室のやつにしよっか。」って言ってくれたから、それにはい!って返事はしたけど。


まさか、まさか…一緒に浴びる事になるとは…


「あ、あわわ…」


戸惑う私をよそに、青木さんは相変わらず穏やかで。
狭いシャワー室の中、私を腰から抱き寄せる。


「沙香ちゃん、砂、いっぱいついちゃってる。」


首元をそのスラッとした指が撫でた。


その少しくすぐったい感覚にキュッと少し身を固くすると海の中同様、おでこをコツンとつけられる。


上から降り注ぐ温かなシャワーが二人を静かに包み込み、その後フワリと唇が重なった。


その端からお湯がわずかに口の中へと入り、少し乾きを感じていた口内は水分を感じる。


「……お湯が口ん中はいるね。」


目の前で濡れる青木さんの黒目がちな目は細められ、瞳が光を放ち…髪から雫が滴り落ちる。


あ、青木さん……


そんなに色気を放たないでください!
わ、私…倒れます、また!


少し退けた腰。


けれど、それは青木さんの長い腕によって簡単に引き戻されて


「沙香ちゃん…」
「んんっ…」


今度は少し乱暴に唇を塞がれた。


何度も、何度も角度を変えて繰り返される、噛みつく様なキス。


息苦しさで思わず、青木さんの背中に手を回して力を入れる。


暫くして解放してくれた唇が、湿り気を帯び、そこをさらにシャワーが濡らした。


「…砂、落とそっか。」


私のラッシュのファスナーを青木さんの指が摘まみゆっくりと下ろした。
露わになった水着に恥ずかしさが込み上げて、思わず腕で隠したけれどその手は青木さんによって掴まれる。


「…よく見せて?」
「っ…」


青木さんの視線が、自分に注がれて、身体に力が入って熱くなった。


「あ、あまり…み、見ないで…」
「ダメ。着てきたのは沙香ちゃんでしょ?」


「もっとよく見せて?」とラッシュを完全に脱がされる。


露わになった肌に、シャワーが降り注ぎ、その雫を掬う様に、鎖骨辺りを滑る青木さんの指。


そのままビキニの紐を少しずらした。


「あ、あの…」


慌ててそこに手を持っていくと今度は青木さんの反対側の指先がウェストラインをなぞり出す。


「っ…!」


そのくすぐったい感触に、身体が勝手に強ばって、その手をやっぱり上から覆うと


「んんっ…」


また唇を塞がれた。



……な、何だろうこの感覚。


フワフワと上がる蒸気。
ビキニの肩紐が少し外されて、腕にだらしなく垂れ下がってる。それを指に絡めたまま、更に動く相葉さんの掌。


戸惑いの中で、鼓動がドキドキとして……だけど、キスの柔らかさなのか、ふわふわとあがる蒸気にのぼせているのかはわからないけれど、何かをよく考えられない…


不意に、唇が離れた。


「……そろそろ出ないとね。」


私の乱れた水着を直す青木さんは穏やかな口調で、優しい笑み。


「は…い…。」


息苦しさの中、そう答えたけど……


ほ、本当に何だろう…


今、「キスもくっつくのも止めて寂しい」と思っているこの感情は。


「おし!じゃあ、背中も流しちゃおっか。」


クルンと向きを変えられて、シャワーが今度は背中に当たる。


その雫の流れと一緒に、青木さんの指がツツ…っと背中をなぞった。


「んっ……!」


ビクンと身体がのけぞって、同時に出た聞いたことも無い自分の声。


う、うそ……


漫画で主人公が彼氏に翻弄されて……って読んではいたけど。


り、リアル…で自分がこんな……


カッと一気に身体が熱くなる。


恥ずかしい…
恥ずかしすぎる…よう…


目頭が熱くなって少し視界がぼやけた瞬間、フワリと背中から青木さんに包まれた。



「…沙香ちゃん、可愛い。」


耳元で囁く声に、また、キュウッと気持ちが音を立てて掴まれる。
耳たぶに青木さんの唇が微かに触れる。


「……大好き。」


吐息混じりの言葉が鼓膜を刺激して、更に鼓動が大きく跳ね上がった。


クスリと笑う声と同時に、くっつくほっぺた同士。


「もー…これじゃあ、いつまで経っても出れないじゃんね。」
「……」


…い、今、私確実に思ったよね。


『出たくない。このままがいい』って…


な、何なんだろう…この感じ…


“ずっと青木さんに触れられていたい”


わ、私がそんな感情…だ、ダメに決まってる!


「あ、あ、青木さん!そろそろ出ないと!次の方がお待ちですよ!」
「えー…?さっき借りる時、『個室の方は高くて人気ないからごゆっくり』って言われたから…」
「ダメ!時間は守らないと!長蛇の列が出来てたらどうするんですか!」


断腸の思いで、青木さんの腕をほどくと、無理矢理シャワーを浴びてビシャビシャと手で身体を洗う。


「よ、よし!出ましょう!」


シャワーを止めてドアノブに手をかけたら、その手を上から包まれてクルンと身体を反転させられた。


青木さんの腕が再び私を抱き寄せ、そのままフワリと唇同士が触れ合う。
コツンとまたおでこ同士がくっつけられた。


「…じゃあ、着替えたら海の家の前集合ね?」
「は、はい…」
「変なヤツについてっちゃダメだよ?」
「つ、ついて行きません…」
「ホント?沙香ちゃん、すぐついてっちゃうじゃん」
「い、一度だけです…」
「その一度が大きいんでしょ?」


…確かに、大きいけど。


「あ、あの時は…その…必死だったから。青木さんに、す、好かれたくて…」
「……。」
「は、反省…してます。」


もう、二度とああいうことはしない。
そもそも、青木さん以外の男の人について行こうなんて思わないもん。今は。


少しフウとついた青木さんの溜息が唇にかかった。


「ねえ、沙香ちゃん。今は?」
「今…ですか?」
「だって、あの時は必死だったんでしょ?今はどうなの?」


今…は…


青木さんに可愛いって思われたいとか、その為に少しでも綺麗になりたいとか。
こうやって青木さんの腕の中に居られる事が嬉しいとか……


あの時とは少し感情は違うけれど、『好き』は変わりない。
と言うか……あの時よりもずっとずっと、青木さんが好きでしかたない。


『必死』+αなんだよね、きっと。


青木さんの首に自分の腕を回して、自ら引き寄せた。


「……む、夢中です。」
「夢中?」
「は、はい…。青木さんが大、好き…だから…その…」


……何か、辿々しい言い方だな。


改めて言うのって恥ずかしいから…つい。
けれど、恐る恐る見上げた青木さんの表情。


唇は綺麗に弧を描き、伏せがちの目の端に少しだけ皺が出来てる。


「そっか。」


そう呟いた後、鼻をすり寄せてくれた事が凄く嬉しくて、気持ちが充たされた。


「じゃあ…沙香ちゃん、俺んちに帰る?」
「はい…帰る。」


私の辿々しい告白も、ちゃんとこうやって受け止めてくれて、優しく包み込んでくれる青木さん。


…大好き。


再び重ねた唇の先で、またシャワーがポタンと雫を落とした。









水着からショートパンツとTシャツに着替えた。


…本当はワンピースも持っていたけど。


『お風呂上がりに部屋着として着たら、青木さんテンション上がりそう!』


彩月さん達がそう言ってたから。


行きに着てきたのと同じ服。


そういえば…山ちゃんも同じワンピースを買ってたな……


『山Pは俺の横に置いとくの』


……瀬名さんて山ちゃんについてどう思ってるんだろう。
いつも山ちゃん、山ちゃんて言って、本人に絡んで。


『この水着を着れば水野さんは気にしないんですね?!』


本人に恐れられてる。


それでもずっと、絡んでて……


『あの人はあれでいいんだよ』


山ちゃんの話をする瀬名さんはどこか優しい表情をしている気がするんだよね……。





「え?瀬名?んー…どうだろ。今は…彼女いるのかな…」


青木さんのおうちの近くのスーパーで二人で買い出ししながら、ふと瀬名さんについての事を聞いたら、青木さんは少しだけ怪訝な顔をした。


「…何で?」
「あ…いえ。どうなんだろうな…?と漠然と思ったので…」
「…そう。」


お菓子コーナーを過ぎた所で、炭酸飲料コーナーの陳列棚付近で青木さんがカートを止める。

そっか、ジュースも買わないと…


「飲み物、どれに……っ!」


横に並んで見上げた瞬間、青木さんの顔が近づいて来て、ふわりと唇が触れ合った。


って、き、キス?!
スーパーの中で…人の居ない隙に…キス?!


いつぞや、漫画で、ラブラブになった主人公とイケメン彼氏がやっていた。

そ、それを私が…


「あ、あわわわ……」
「沙香ちゃん、瀬名の事気になるの?」
「い、いえ…あの…」


いや、もう…瀬名さんの事はどうでも良くなりました。


「ちょ、ちょ、ちょっと…山ちゃんの事を思い出しただけです…」
「山ちゃん…」
「ほ、ほら、瀬名さんていつも山ちゃんのこと気にしてるから」


「ああ」と少しだけ青木さんの表情が真顔に変わる。
それから、フッと柔らかく笑った。けれど、少しだけ寂しそう…と言うか悲しそうにも見えるその表情。


「瀬名、どうすんだろうね…」


……どうする?
小首を傾げたら、青木さんは苦笑い。
それから私の頭をそっと引き寄せて、ふわりと唇を触れさせた。


「…沙香ちゃん、俺、炭酸飲みたい!」
「は、はい…」


そこからはいつもの青木さんに戻って、それ以来、あの優しいけれどどこか寂しそうな表情は一切見せなかった。










スーパーについた位から、ふと、沙香ちゃんの表情が心ここにあらずになった。


もしかして…うちに来るのちょっと躊躇ってる?

なんて過ぎった不安。

そしたらさ…


「瀬名さんて…」


なんて、瀬名に彼女が居るのかとか、聞き出した。


……沙香ちゃん、時々あるんだよね。


瀬名の事、すっごい気にすんの。
しかも…多分、無意識。


そりゃさ…瀬名は何だかんだ優しいし、気が付くし、頭の回転も良くて。
俺と違って何でも冷静によく出来るしさ…かっこいいよね。
近くに居たら、気になる存在になっちゃうのは仕方ないって思うけど。


誰も居ないジュースの陳列棚の通路。

思わず、衝動的に沙香ちゃんの事引き寄せてキスしちゃった。

驚いて目をパチクリさせて、それから、パッと顔が赤くなる沙香ちゃん。


「や、山ちゃんの事を思い出してただけです…」


慌ててそういう沙香ちゃんに、心中で苦笑い。


本当に、俺、ダメなヤツだね、すぐこうやってヤキモチ妬いちゃって。


そこで冷静に戻って、思いを少し巡らせた瀬名の事。


瀬名…どうするんだろうな、これから。


『や…どうするも何もさ。ずーっとこのままじゃない?仕方ないでしょ、そこは』


眉を下げてそういう瀬名の表情はどこか寂しそうで。

ううん、俺にはわかる。
寂しいんだよ、瀬名は。

だって…じゃなきゃ、あんなに関わらないはずだもん、山ちゃんに。


でも…俺に出来る事って無いもんね、見守るしか。


『青木くん。青木くんが瀬名と居る事はそれだけで意義があんじゃねーかって俺は思うけど。』


いつだったか、透くんがそう言ってくれた。


だからね、信じるの。透くんの言葉を、そして…瀬名を。
いつか、瀬名が寂しさもこだわりも乗り越えてちゃんと幸せになるまで、俺はただ一緒に居る。


…って今度は俺が心ここにあらずになっちゃった。


少し心配そうに俺を見てる沙香ちゃんにまた苦笑い。
思わず、誤魔化す様に引き寄せてまた唇をくっつけた。


「…沙香ちゃん、俺炭酸飲みたい!」
「は、はい…私も…えっと…炭酸は何が好きですか?」
「んー…グレープ味!」


「じゃあ、これで!」と笑う沙香ちゃんと片手ずつでカートを押して手も繋ぐ。


…瀬名がね?
自分の事に集中出来る様に俺は俺で頑張る。

それが…俺が出来る事だよね。











スーパーで買い出しをして、二人でてくてくと歩くこと10分。

青木さんのアパートに到着した。


以前ここに来た時は、何もわからず、ただ青木さんの住んでいるところを知れたというだけで嬉しくて舞い上がっていたっけ。



それで、抱きしめられて…


“沙香ちゃん…もっと…する?”


急に鮮明に頭の中に、よぎる、青木さんの色気満載の声と表情。


ドクンと鼓動が脈打ち、緊張が走った。


ドアを目の前に立ち尽くし、入らないでいた私に、青木さんがきょとんと首を傾げる。


「…沙香ちゃん?入んないの?」
「え?!は、はははは、入ります!」


ど、どうしよう…急に現実味を帯びて来た感じかも…


懸命に笑顔を作りながら靴を脱ぐけど、その手が…というか、全身が震える。


「お、お邪魔します…。」
「うん。沙香ちゃん、先にシャワー入っていいよ。俺、冷蔵庫に色々しまっちゃうからさ。」


至って、穏やかに、普段通りの青木さん。


…余裕あるな。
変に意識しているのは私だけ…か。


そういや、そうだよね。
さっき一緒にシャワー浴びた時だって、ずっと冷静だった。


『もっとよく見せて?』


黒目がちの目がキラリと光を放ち、妖艶さを醸し出していた、さっきの青木さん。


「〜っ!」


思い出したら、鼓動がまた強く跳ねると同時に、青木さんに触れたい…触れて欲しいという感情が芽生えて思わず頭からシャワーを流した。


…やっぱり、私変だ。


一緒にシャワーを浴びたあたりから、そんなことばっかり考えて。


パチン、パチンと手のひらで頰を叩いてからシャワーを止め洗面所へと戻る。


視線に入った、ワンピース。


『シャワー浴びた後に着たら、青木さん、大変だねーきっと!』


大変…というのはつまり、その気になってくれるって事…


ゴクリと生唾を飲み込みながら、手に取り上から被る。
膝あたりまで、ストンと下ろして鏡を改めてみた。


…青木さん、私に“触れたい”って思ってくれるかな。


「沙香ちゃん、出た?」


ドアの向こうから青木さんの声がして、ビクッと体が跳ねた。


わ、私…今…何を思った?
ふ、触れたいって思ってくれるか、とか…思うとか…ど、どうなの?!


「出ました!すみません!お時間かかって!」


勢い良くドアを開けて出て行くと、「えー?そんなかかってないよ?」と青木さんが笑う。


うう…ダメだ。
くっつきたい。


「じゃあ、俺も入って来ちゃおっかな!」
「は、はい…」
「…沙香ちゃん?」
「え?!」


顔を至近距離で覗き込まれて、ドキンと鼓動が大きく跳ね上がる。


「鶏肉、唐揚げの下ごしらえしといたよ」
「え?!す、すみません…」
「平気!俺ね、結構得意なの、そういうの。これでも結構自炊するんだよ?」


歯を見せて笑う青木さんにどうしようもなく惹かれて、思わず手をのばして、青木さんのシャツをぎゅっと握った。


「…あの。待ってます。シャワーから出てくるの。」


鼓動はドキドキとせわしなく、頰は熱い。

どうして、こんな事言っちゃうのかわからないけれど、青木さんと過ごすこれからが待ち遠しすぎて、逸る気持ちが、そんな言葉に変わって飛び出した。


……んだけどさ。


「……。」


ど、どうしよう。
青木さん、真顔で無言になっちゃった。


そ、そうだよね…そんなわけのわからない事、いきなり言われたら驚き戸惑うに決まってる。

わ、私何してるの!


「あ、青木さん!ゆっくりシャワー浴びて来てくださいね!私、唐揚げ揚げておきます!」


慌てて、離れて慌てて笑って。
キッチンの前に立つ。


「…うん。じゃあ…入ってくるね。」


背中でパタンとドアが閉まる。


青木さんの声が…いつもよりも冷めている気がした。


私…やっちゃったんだ、きっと。
青木さん、呆れて嫌になっちゃったかも。


下味をつけられて、良い香りのする鳥肉の前に立ったら、目頭が熱くなって、視界がぼやけた。


…だって。
抑えられなかったんだもん。
青木さんにくっつきたいって…そんな感情が。


ズッと鼻をすすり、息を吐き出す。



とにかく、唐揚げをあげよう。
シャワーから出て来て青木さんが引き気味だったら、理由をつけてお暇しようかな。


鳥肉を入れた油がジュワジュワと音を立て、唐揚げが上がって行く。


…本当に美味しそう。


青木さんて、あんなにカッコよくて、お料理も出来て…優しくて、完璧だよな…。


私の彼氏と言うことが本当に信じられない。


「……。」


菜箸で唐揚げを踊らせながら、そこで思考を切った。


…それでも何でも。
私は青木さんが大好きだから、一緒に居たいもん。
わ、わけわからない事言って困らせちゃったけど…反省したから。


最後の唐揚げを取り出して、火を止めた。


「…よし。もう二度と言わない。」


そう呟いた瞬間、ふわりと後ろから長い腕に包まれた。


「ただいま。」


頰に濡れた髪がぶつかる。


「は、早かった…ですね。」
「うん。だって、沙香ちゃんが『待ってる』って言うから。超急いだ。」


青木さんの唇が、私の首筋に触れ、そこを挟み込む。


それに反応して、身体が勝手に揺れ強張った。

それが合図だったかの様に、青木さんは少しずつ首に唇を這わせて行く。


「んっ…」


そのこそばゆさに、放った声。
青木さんの掌がワンピースの上を動きゆく。

その感触に、足の力が抜けて、青木さんの腕に支えられる格好になった。


「…ねえ。何を言わないの?」


耳たぶにその唇が触れ、また身体がこわばる。


「そ、それは…っ!」


そのまま、舌先が耳を這い始めた。


「あ、青木さん…やっ…」


や、やだ…私、こ、こんな声…


羞恥心が込み上げて、頰が更に熱くなる。


「沙香ちゃん、可愛い。」


腕に閉じ込められたまま、鼓膜に吐息を注がれて、スカートの裾から中へとそのスラリとした手が入りこむ。


思わず、またぎゅっと体を強張らせた。


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