私達には婚約者がいる【菱水シリーズ④】

3 近くて 遠い

渋木(しぶき)の家は国内外の不動産を所有しているだけでなく、多方面に事業を拡大している大企業だった。
そして、昔から渋木と並ぶ名家だったのが陣川(じんかわ)家。
陣川製薬は食品から医療機器まで幅広い分野で事業を展開している。
そんな家に生まれ育った知久(ともひさ)は金銭的に不自由なく育ってきた。
けれど自由は一切なく、自分で決められることはわずかだった。
自由に見える知久も音楽をやらせてもらっている限り、家からの援助を受けている。
私達はお互い家を無視することなんてできない。

「小百里と一緒に弾くのは久しぶりだなー。俺のこと、小百里は避けていたから」

「そんなことないわ」

知久はなにを考えているのかよくわからないタイプで本心を上手に隠す。
そして、私も。
嘘をつき合って、微笑みを交わした。
知久は留学前より、ずっと魅力的になって帰って来た。
それに比べて、私の四年間は家からどうやって自由になれるか足掻(あが)いていただけの四年間だった。
周りを傷つけず、波風をたてずに過ごしただけの―――自由に会えなかった四年間は彼を魅力的にしたけれど、私をより慎重にさせた。
だから、私はなにも言わずに微笑んで、静かにピアノの前に座った。
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