私達には婚約者がいる【菱水シリーズ④】
外に出られず、車の中から灰色の海を眺めた。
窓からは湿った雨の空気と潮の香りがして、あの日とは違う海を私と知久は見ていた。

「なかなか会えなかった四年の間に小百里は俺に対して意地悪になった気がするな」

「大人になったと言って欲しいわね」

「大人ね」

シートベルトを外す音がして私の両手をつかみ、押さえつけると知久は深いキスをした。

「……っ!知久、誰かに見られたらどうするの!?」

焦る私に知久は動じない。
写真でも撮られてしまえば、問題になる。
婚約者以外の女と浮気をしていたと報道されれば、陣川製薬の広告塔として傷がつく。

「やめない。小百里がどうして俺を避けるのか聞くまでは」

「わかってるでしょ? あなたはもうバイオリニストの陣川知久で陣川製薬の大事な……」

無理矢理、唇を重ねて知久は言葉を消した。

「くだらない理由だね」

「私にとってはくだらない理由じゃないわ。私はあなたを応援したいって思ってるの。知久だけじゃない。唯冬も逢生君もよ!」

知久は友人の名を聞いて冷静になったのか、体を離した。

「傷つくのは知久一人じゃないのよ。傷つけてもいい、なんて考えないで」

「……わかった」

ゴツッと知久はハンドルに額を押し当てた。

「簡単じゃなければいいってことが」

「わかってないじゃないの!」

まったく反省していなかった。
知久は怒る私を見て、なにか気づいたのか、ふっと微笑んだ。
そして、私の首に指を伸ばし、鎖に指を絡め音を鳴らした。

「やっぱり小百里は嘘つきだ」

知久がくれたティアドロップのネックレス。
服で隠していたのに目ざとく見つけてしまったようだった。

「そろそろ店に帰ろうか」

知久は車の窓を閉めた。
私はなにも答えない。
けれど、私達は同じ香水をつけていた。
車の中はどちらの香りなのかわからない甘い香りで満ちていた。
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