私達には婚約者がいる【菱水シリーズ④】
知久は自分の妹のことなのに冷静だった。
むしろ、そうなるだろうというくらいの口調だった。

「そのためのコンクール出場だ」

「うまくいけばいいけど……」

「唯冬がいるから大丈夫。小百里に俺がいるようにね」

「コーヒーが冷めるわよ」

知久がウインクをして言ったのを軽くかわした。
コンクールに出場して賞をとり、音大を受験してピアニストの道にもう一度戻る。
道は険しい。
それでも、幸せになって欲しい。
唯冬と暮らし始めてから変わった。
暗い顔をして、一人でこの店にやってきていた頃の彼女とは違う。

「姉さん、そろそろ帰るよ」

「小百里さん、ごちそうさまでした。それから、こちらでピアノを弾かせていただけるって、聞いて。ありがとうございます」

「いいのよ。いつでも使って。ピアノ教室に使うのは二階のピアノで十分だし、お店のピアノは唯冬が買ったものだから」

千愛ちゃんのためにね……
ちらりと唯冬を見ると、そうだよと千愛ちゃんの隣でうなずいていた。
コンクール出場、音大受験となると練習量が必要になってくる。
彼女が天才と呼ばれていたのは過去のこと。
過去の勘を取り戻し、ブランクを埋めるのは容易いことではない。

「千愛、行こう」

唯冬の差し出した手を千愛ちゃんは恥ずかしそうに握る。
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