私達には婚約者がいる【菱水シリーズ④】

30 お見合い


――私は嘘つきだ。

知久のことが好きなのに好きとは言えないまま、ここにいる。
お見合い会場は父が指定したホテルのレストランだった。

「いらっしゃいませ。渋木様のお嬢様ですね。お部屋にご案内します」

レストランの個室を貸しきってのお見合いは初めてで、父が相手に気を遣っているのだとわかった。
父から指定されたお見合い場所は以前、知久がバイオリンを弾いていたレストランだった。
私は久しぶりに着物を着て、髪を結い上げている。
それは父から、きちんとした服装で来るようにと命じられたからだった。
お見合い相手は渋木の家と同等かそれ以上。
笙司さんの時のように、なにかあって、婚約解消という可能性はなくなった。
暗い気持ちで、前を歩く店員の背を見詰めた。
個室に入ると、すでに父達が待っていた。

「あら、小百里さん。着物なのね。よかったわ」

すでに父と清加(きよか)さんが席に座り、清加さんは着物姿で、私が洋服でくるかどうか、心配していたようだった。
私のために父と清加さんが同席するなんてことは初めてで、このお見合いが渋木にとって、いかに重要なものであるかがわかった。
店は以前来た時とは雰囲気が変わり、大きな窓からは明るい日差しが降り注いでいた。
白のテーブルクロスと白のテーブル、木を白く染めたオブジェが飾られ、白で統一されていた。
一番いい個室のようだった。
知久と一緒に弾いた場所にピアノはなく、なにも置かれてないステージがぽっかりとした空間を作っていて、もうあの日には戻れないのだと思った。

「知久……」

今日は知久がいない。
だから、あの日のように助けはこない。

「小百里。突っ立ってないで、早く座りなさい。もうすぐ相手が来る」

私を促す声に足が動かなかった。

「ごめんなさい。私、結婚できません」
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