私達には婚約者がいる【菱水シリーズ④】
「けっこう町にも慣れたから、心配しないで大丈夫! ドイツ語の勉強とピアノの練習をして待ってるね」

 見送られて俺は複雑な気持ちになったことは言うまでもない。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 
「ちょっとミチヒロ、イライラしないでよ」
「ミチヒロ、チューニングの音が乱れているぞ」

 不機嫌さを隠していたつもりだが、オケの同僚達にあっさり見破られてしまった。
 音に出るほどイラついているとは思わなかったが、いつもと違うのがわかるらしい。

「うるさい」

 これから、白鳥を弾くというのに―――サン=サーンスの白鳥。
 俺の一番得意とする曲をさわりだけ弾いてみる。
 
「白鳥が湖でばた足しているのが見えるわよ」
「ミチヒロが表現したのは食事中の白鳥じゃないかな」
「奥さんとケンカしたなら、謝った方がいいよ」

 同僚達がたたみかけるようにしてダメ出ししてきた。
 それに俺はげんなりした。
 悪くない演奏だったと思うが、からかわれているのか?

「ちょっと外に出てくる」

 冷静になるため、リハの途中で抜けた。
 同僚達が背後で『奥さんに謝るんだろう』『きっと夫婦喧嘩ね』と、話しているのが聞こえた。
 なにが夫婦喧嘩だ。
 出発する前に濃厚なキスをし、連絡も毎日している。
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