私達には婚約者がいる【菱水シリーズ④】
くるくると髪を指に巻き、歌うように言った。

「不安なら不安だって言えばいい。小百里のためならいつでも帰ってくる」

「馬鹿ね。ドイツからどれだけ、時間がかかると思ってるの」

「やっといつもの小百里になった」

私が言おうとした別れの言葉はいつの間にか消えていた。
別れたくない―――別れたくないのに。

「寒いし、そろそろ帰ろうか」

知久は私に手を差し出した。
手をとると、体温が伝わり、温かかった。
この手にもう触れることもなくなる。
それが私を苦しめ、このまま、時間が止まればいいのにと思っていた。
そんなことできるわけないのに。

「知久。この後、どこか行くの?」

「陣川家と高窪家で留学前の送別会を兼ねた食事会があるんだ」

「そう」

当然、そこには婚約者である毬衣(まりえ)さんもいる。

「小百里?」

「帰りましょう。遅れると困るでしょ」

さく、と砂を踏む音が鳴った。
歩くと砂は音をたて、一歩進むたび現実がやってくる。
留学の期間は四年。
四年間、私のそばから知久がいなくなる。
今までどれだけ私にとって彼が支えになっていたか、痛いほどわかったけれど、止めるわけにはいかない。
笑顔を作った。

「体に気をつけてね」

「他に言うことはない?」

「ないわ」

< 92 / 172 >

この作品をシェア

pagetop