彼女はエリート外交官の求愛から逃れられない
 チェストの上の写真を見た。

 彼はこの写真を二人で撮った時、次回海外へ出るときは一緒に連れて行きたいと言ってくれた。

 それが彼のプロポーズであることは明白だった。嬉しかった。

 結婚よりも、近くで直接顔を見て暮らせる毎日が約束されたようで嬉しかった。

 引っ越すしかないのだから、姿を消すには好機だ。彼には悪いが適当に別れを告げて、彼が日本へ戻る前に連絡を絶とう。そう決めた。

 ぽたりと手の上に涙が落ちた。ぽたぽたと涙が落ちて、写真立てにいる彼の顔がぼやけて見えなくなった。

 決めた時にやらないと決心が鈍る。私の手は携帯の彼のアドレスを表示した。文章を入力した。

 携帯の画面を見ながら、もう出ないと思うくらい泣きはらした目から涙が出た。人ってこんなに泣けるものなんだ。

 あれから海の向こうに住む忙しい彼とは時差もあり、画面越しの月数回の逢瀬で我慢してきた。やっと彼と将来を考える時が来たのに、私にはその選択は許されなかった。

『あの記事は私に多くのことを気づかせてくれました。玲さんも大変だったでしょうけれど、私も色々ありました。辛い時あなたの代わりに私を助けてくれた人がいます。玲さんごめんなさい。私と別れてください。あなたを待てなかった私のことはどうか忘れて幸せになってください。今まで本当にありがとうございました。さようなら』

 数回読み返して、目をつむりながら震える指で送信ボタンを押した。あちらは真夜中の時間だ。

 驚くべきことになぜかすぐ既読が付いた。いつもならこの時間に連絡すると既読にならない。どうして?

 そして手元で携帯が震え始めた。着信だった。もちろん、玲さんからだった。私は震える手でそれをすぐに切ると着信拒否の設定をした。

 はー、はーと肩で息をする自分がいた。まるで悪いことをしているみたいだ。いや、悪いことをしているんだ。あんなに優しい彼を裏切ろうとしている。

「ううっ……うっく……ごめん……なさい……玲さん……!」

 休みを取っていたその日、私は急いでネットであたりをつけていたアパートを紹介してもらうため不動産屋へ連絡した。彼と違う時間がその時から動き出した。

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