暴君と、令嬢。
ワイルドと檻の鳥
その男の視線は、まるで夜そのものだった。
黒くて、深くて、どこか濡れていて。
だけど、決して冷たくはない。
むしろ、熱を孕んでいる――わたしの皮膚の内側を撫でるような、そういう眼差し。
志摩 蓮。
暴走族《轟焔》の幹部で、最年長。
無口で、時に粗暴で、人懐こさとは無縁の男。
だけど、彼は“言葉では触れない部分”をじっと見てくる。
「……やっぱ、ただのお嬢さんじゃねぇな」
蓮は廊下の片隅で、わたしに背を預けながら煙草を咥えて、火をつけずに口で噛んだ。
「その制服も、その髪も、その喋り方も、
なーんか、張りついたガラス越しみてぇで……壊したくなる」
「……そういうの、嫌われるってわかってて言ってる?」
「知ってる。けど、俺は嘘が嫌いなんだよ。
本当の顔、見せねぇやつは、興味持たねぇ。
でも、お前は……“泣く顔”だけは嘘じゃなかった」
――あの夜。
焚き火の火がちろちろと燃えていた時。
わたしがひとり、うまく笑えずにいたのを見ていたのだろうか。
蓮は、ふっと目を細めた。
「夜、付き合えよ」
「……は?」
「バイク。後ろ、乗せてやる」
その誘いは、優しさでもロマンスでもなかった。
ただ、“知りたい”という衝動だけで出来ていた。
「拒否権、ない感じ?」
「あるけど、乗りたくなるようにしてやるよ。
空、すげぇ綺麗なとこ、教えてやる」
その一言に、なぜかわたしは心がぐらついた。
◆
そして、夜。
彼のバイクの後ろに乗る自分を、
わたしは数時間前には想像できなかった。
エンジン音と、夜風と、遠ざかる街の灯。
髪がほどけ、リボンがどこかへ飛んでいった。
「……どこまで行くの?」
「崖の上。街の灯り、全部見下ろせるとこ」
彼の背中は大きくて、どこか不安定で、
でも、触れたら壊れそうなほど人間くさかった。
わたしが生まれてからずっと触れてこなかった、
“汚れていて、綺麗な世界”。
バイクが止まり、夜の崖の上に立ったとき、
わたしは言葉をなくした。
「……星が、こんなに」
「ほらな。お前みてぇな奴ほど、こういうの知らねぇ」
わたしの横顔を見ずに言うその声が、やけにやさしくて、
胸の奥でなにかがひとつほどけた。
「……志摩さんって、誰にも心開かなそうで、
でも誰よりも、人を見てる」
「それ、お前のことな」
蓮はそれだけ言って、煙草に火をつけた。
その火が、夜風にちらりと揺れて、わたしの瞳に映った。
「檻の中で育ったお嬢さん。
そろそろ、外の世界に慣れてきたか?」
わたしは、答えずに空を見上げた。
そして、ほんの少しだけ、微笑んだ。