夜を導く光、それは赤い極道でした。
【第4話】その手を、握る理由
千代子を前にして澪は、至極真面目な顔をした。
「──私、ワンコロストーリーが好きなんです」
「それって、アニメの?」
「はい、ヒロインの美人なワンちゃんが大好きなんです」
急に話を切り出した澪に千代子は首を傾げる。
「小さい頃に観たアニメでして、ふわふわの茶色のウェーブの毛並みで、すごく気品があって。でも飼い主を守るときは全力で走っていく。……綺麗なだけじゃない。強くて優しいって、こういうことだなって思ったんです」
「そう……」
「千代子さんみたいです」
澪はまっすぐに、千代子を見つめる。
「……それは、私が犬だから?」
微笑みを絶やすことなく、問いかける声音は優しいまま。澪はハッキリと言わずに、それでも紡いでいく。
「千代子さんの言葉を借りるなら犬という点でも似てますね」
「なら、足手まといの犬は置いて逃げなさい。囮にでもなんでもなれるわ」
「主人の命令を守るためですか?」
「そうね、私は……信昭さんをガッカリさせたくないの」
「そうですか……」
澪は言葉を切る。考えた。何度も。どうしたらよいのか。自分には今、何ができるのか。千代子のように庇う度胸もなければ、戦う実力もない。打開策を見つける頭もない。
けれど……
「でも、それはあなたの考えであって。私が千代子さんを見捨てる理由には、なりませんね」
それだけは、ハッキリと断言できる。
澪は立ち上がる。千代子が止めようと手を伸ばすが、澪の表情にそれは叶わない。
「千代子さん。私は何の力もないただの子どもです。──けれど、私にもできることはあります」
そこには、不敵に笑う澪がいたから。
「なにを……」
「私は、信じていますから」
──“彼を”
そう、告げた瞬間。大きな音を立てて車が目の前へとつっこむ。千代子が澪を庇うように手を前に出すが、運転席にいた人物に目を丸くする。
「ったく!てめぇ、何してんだ!!」
久我山が咆哮しながら、澪を睨みつけた。
「タイミングバッチリでしたね、くーちゃん」
「いいから、さっさと乗れ!」
「それでは、千代子さん行きましょうか」
「え……」
「一緒に帰りましょう。のぶ兄さんのところへ」
澪はニッと笑い、千代子の手を引いて車の後部座席のドアを開ける。2人が乗り込むと久我山がアクセルを踏み、敵の追撃を逃れながら走り出した。
「わ!銃で撃たれても窓割れないんですか?ドアも?」
「ドアには鉄板入ってんからな、つか体を下にしとけ」
久我山に言われるままに体を下にして、澪達は屋敷まで帰っていった。
******
「くーちゃん、ありがとうございました。助かりました」
屋敷に着いた澪達は車から降りて、澪は深々と久我山に頭を下げる。その隣にいる千代子を目にしてから久我山は大きなため息を吐いた。
「あのな、出かけるなら俺を呼べっていったよな?」
「朝早くだったので迷惑かなと」
「関係ねぇから。俺はおまえの護衛なんだからよ」
そう告げる顔は険しい。それでも今回は彼のおかげで救われたのだからと澪は感謝しかない。
「澪ちゃん、どういうこと?なんで久我山さんはきてくれたの?」
澪と久我山のやり取りについていけない千代子。澪は自身の胸の前にある物を見せる。
「スマホ?」
「千代子さんにつけられていた時に、通話ボタンを押してたんです。くーちゃんに繋がるように」
「え?」
驚いた声を漏らす千代子に、澪はスラスラと説明を始めた。
「昨夜、くーちゃんがある設定をしてたんですよ。それがなんと、位置情報とかいう、ストーカーアプリ」
「おい、そのおかげで助けにいけたんだろが」
「つまり……澪ちゃんの電話から危機を察知して位置情報を頼りに車を飛ばしたと」
「御名答です」
「そんなことを……」
千代子は久我山へと目を向ける。久我山自身も何か思うところはいろいろあるはず。けれど彼が口にしたのは、一言。
「俺は、こいつの護衛なんで」
その言葉だけでよい。それが全て。
千代子は澪と久我山を見比べる。信じていると言った澪。その通りに彼女に応えた久我山。早計だったのは、自分の方だったのかもしれないと、浅く息を吐いた。
「私は、何もできなかったわね」
「そんなことありません!」
呟いた千代子に澪が詰め寄る。
「私のこと、守ってくれたじゃありませんか。千代子さんがいなければ、私は撃たれてあの世ですよ」
「それは、大人としての義務だから。信昭さんにも頼まれたし……」
「それでも!私はあなたのおかげで生かされてます」
澪の言葉は真っ直ぐに千代子へ向けられる。
信頼されるのが、与えられるのが恐ろしかった千代子を包み込んでくれた信昭。彼だけしかいないと思っていた世界。
そんな千代子の心に染み込む澪の眼差し。
「それにですね、私を守ってくださっていた千代子さんは……すごく、素敵な……まるで幼い子を必死に守る、ママのようでしたよ」
「っ……」
思いもよらない言葉に千代子は初めて表情を大きく変えた。菩薩の笑みが崩れるが、澪は気にはしない。むしろ、人間らしいなと思えた。
「なんだそりゃ。他にいいようあんだろ」
「母性あふれていたということです。ん!千代子ママって感じです」
「はあ?おまえ勝手に変な呼び方すんな」
久我山に苦言を呈される澪。それを眺めている千代子。心にあるのは、なんなのか……。
「……澪ちゃん」
「はい?」
「これからも、私のこと……千代子ママって呼んでくれる?」
千代子の表情は眉を下げ、微笑んだもので。少しの不安が滲み出ているもので。
「──千代子ママ!」
そう、満面の笑みで告げる澪に向けるのは菩薩のようであって違う。
心からの笑み。
「つか、早く手当に行きましょう」
「わわ、そうでしたね。千代子ママ、行きますよ」
澪が手を差し出す。それを千代子は優しく握り返す。
「──ええ、澪ちゃん」
上部だけではない。命令されたからではない。自分の意思でも、この手を掴んでおきたいと千代子は思える。
その表情は、晴れやかだった。
それを屋敷のとある部屋から眺める影が一つ。
「あーあ……あんな顔、俺以外にもするなんて」
声音は優しいのに、目は笑っていない。
「厄介な子だなぁ、澪ちゃん」
信昭の声は、静かに消えていった。
────
この手を取るのは
命令なんかじゃない
あなたの声が
私の心を呼んだから
私は、もう
自分で歩ける
Fin