夜を導く光、それは赤い極道でした。
Lux6:扉の向こう
【第1話】その笑顔の奥に
やわらかな朝に、
うまく笑えない誰かのために
言葉ではなく、香りで伝える
そんな優しさがあるとしたら
とじた扉のむこうには
まだ名もない祈りが あった
すき、は言わない
でも、ずっと願ってる
声にならない光を
今日も、運びにいこう
────
千代子の傷の手当てを終えた澪達は屋敷の廊下を歩く。時刻はまだ6時すぎだが、何人かの組員とすれ違った。
幹部の久我山に、No.2である参謀の妻。そしてその間を歩くのは、絆創膏だらけの女子高生。まるで夢か幻のような、その異色な組み合わせに二度見する者ばかり。
当の本人達は何も気にはしていない。
「なんだかお腹すきました」
「おまえ、ほんっとマイペースだな」
「たくさん走ってカロリーを消費しましたからね」
呆れる久我山に相変わらず呑気な澪。右肘と右膝に擦り傷を負った為に絆創膏を貼っている姿は、やんちゃをした小学生のようだ。
「澪ちゃん、ごめんなさいね。私が突き飛ばしたから怪我させちゃって」
それを見て、千代子が申し訳なさそうにするが澪は首を大きく横に振る。
「いえいえ、千代子ママのおかげでこの程度ですんでるんです。だから気にせず……いや待てよ、これは……千代子ママに初めてつけられた傷?これはもう、運命ですね」
「おい、言い方」
「やっぱり治るまで私が責任をもって……ケジメをつけないと」
澪のふざけた言動にも真面目に取り合う千代子。悲しげな表情は本気で責任をとろうとしている、その気持ちが伝わる。そんなことをされれば、澪はずっときくこと共にいることになる。もちろん護衛である久我山も。
それが嫌でしょうがないからか、面倒なことになる前にと久我山が澪へと耳打ちする。
「ほら、おまえのせいだぞ。どうにかしろ」
「えー?私がですか?」
「おまえが言い出してんだから当たり前だろうが」
「確かに、始まりは私。けれどそれをフォローするのが護衛の務めでは?」
「知るか、いいからやれ」
澪のペースに惑わされない久我山。唇を尖らせてアピールしても無意味。まあ確かに自分が招いた種だしなと澪は、千代子へと声をかけた。
「そんな顔をなさらないでください。この通り、私は元気ですよ」
「でも……」
「んー、それでしたら今度私にチョコをください。チョコを食べたら元気100倍間違いないですから」
ニッと笑みを見せる澪。裏表のない純粋な笑みはこの世界では目にすることは少ない。笑顔の裏にある本音を探る心配もない。
千代子が目を細めたその瞳に、かすかな潤みが宿っていた。
「あれー?こんな朝早くから、3人一緒なの?」
背後から忍び寄る声音。穏やかな口調のそれは、背筋が凍るような冷たさを伴い、澪は驚いて振り返る。そこにいたのは声とは結びつかないほどに、常に笑みを浮かべる人物。
「のぶ兄さんでしたか」
「おはよう澪ちゃん」
「こんな朝早くからお仕事の始まりですか?そういえば極道のみなさんはシフト制です?日曜日も関係ない感じですか?」
昨夜と同じようにピシッとスーツを着た信昭を見て澪は問いかけた。
「そうだねぇ、シフト制じゃなくて基本土日休みって感じだけど、俺たちは相手があっての仕事だから」
「相手の出方次第ですぐさま出勤になると」
「そうそう。嫌んなるよねぇ、せっかくのお休みを愛する千代ちゃんと過ごしたかったのに」
穏やかな笑みを浮かべたその声音は優しいもので、先程聞いた声は勘違いだったのかと澪は首を傾げた。けれどわざわざ言う必要はない。喉の調子など、悪い時もある。だから気にしないことにした。
「澪ちゃんたちは今から朝食?」
「お腹が空きましたので、そのルートになりますね必然と」
「そっかー、じゃあ俺たちは部屋に行くから」
信昭は、千代子の手を取る。隙間からしか見えないが、包帯を巻かれている部分。怪我をしている方の腕を。千代子は何も言わない。表情にすら出さない。信昭を見つめる眼差しは熱を持ち、表情は菩薩の笑みのまま。
これが、この2人の関係性。2人にしかわからない愛の形。澪は人の恋愛に首を突っ込めるほどの経験も知識もない。恋愛小説は、たくさん読んできたがそれはどれも真っ当な愛され方をしているものだ。
歪んだ愛は、よくわからない。
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掌の温度は誰のため
優しさが過ぎると、誰かの足を縛る
笑顔が過ぎると、誰かの心が冷える
包帯の下に沈む願い
触れられた手は、傷よりも熱かった
愛がただ、正しいものであればよかった
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