夜を導く光、それは赤い極道でした。
Lux14:コイン
【第1話】取引の夜
役者が揃うとき、
夜は静かに目を覚ます。
選ばれたのは、運か偶然か。
それとも、誰かの企みか。
名を持つ者に、力が宿る。
名を呼ばれぬ者は、ただ消える。
この世界に正義はない。
あるのは、
“選ばれた者だけが見られる真実”――。
ようこそ、運命の迷宮へ。
鍵は、もう――君の手の中。
────
「それで?澪ちゃんは、俺に何をくれるの?」
購買部のシャッターは静かに閉じられていた。世界から切り離されたようなこの空間に、澪と倖だけがいる。以前ここに来たときとは空気が違った。もっと、冷たく、重く、黒い。
「私が差し出せるものなら、なんでも」
「それは、きみの♡でも?」
倖は澪の胸に向かって手でピストルの形を作ると、わざと「Bang!」と口にする。その表情は悪戯を仕掛ける側の顔をしていた。
「……その言葉、後悔しないでね?」
倖の目元が笑っているのに、声色は冗談めいていなかった。
澪はその一言に、喉の奥がぎゅっと縮むのを感じた。
澪は倖の一挙一動を観察する。今まで接してきた雰囲気とはまた違う、爽やかさよりも妖艶さを含む彼は知らない人みたいだった。
「これはボランティアじゃないし、同情でもない。……俺と“取引”をするってことは、そういうことだよ」
「……覚悟は、できています」
「ほんとに? じゃあ、言ってみて。澪ちゃんが“欲しいもの”」
「ジロを襲った相手の情報です。あなたは、それを知っている」
その瞬間、倖の目が少しだけ鋭くなった。けれど、すぐにいつもの柔らかな笑みに戻る。
「まぁね。俺はなーんでも知ってるから。と、いうより……」
「俺は、知るためならなんだって手段を選ばない。明日の天気予報も、誰が次に“消される”かも。面影庵を壊滅させるキーマンが誰か──なんて、さ」
「……壊滅させる?」
「うん。ゆっくり、静かに。でも確実に……中から腐らせていくやり方だね」
さらりと吐かれた言葉に、澪は目を見開いた。けれど倖は表情一つ変えずに続ける。
「俺は、取引に関しては嘘をつかない。好き嫌いもしないし、正義も悪も持ち込まない。“情報”だけが正義で、価値がすべてだよ」
「……」
「だから言ったでしょ? “何を差し出すのか”が肝なんだ」
倖は指で軽く机をトントンと叩く。それが、不穏なカウントダウンのように澪には聞こえた。
「……まさか、自分がその渦中にいるなんて思ってなかったよね? でも、今の君はもう完全に“ゲームの中”だよ」
その目は、獲物を見定める蛇のようだった。
倖の有無を言わせない圧に澪は身構える。少し、怖い。けれど、ここに来た意味を思い出す。
真次郎を失いたくない。そのために、敵の情報を得たい。面影庵のみんなが、これ以上誰1人傷つかないために。
「……冗談、ってことにしとく?」
「いえ。……します。倖くんと、取引を」
澪の声は震えていなかった。倖は満足げに口角を上げた。
「いいね。そういう顔、嫌いじゃないよ。澪ちゃん。取引、成立」
「……何を、どうすれば」
「明日、夜。指定の場所に一人で来て。護衛の彼にも、誰にも言っちゃダメだよ」
「え……」
「“俺の仕事に付き合って”もらうから。実地体験ってやつだね」
「……そんな、私にできることなんて」
澪は目を丸くする。倖の仕事はつまり……情報屋としての何か?裏社会関係?そんなこと自分ができるのか?……と、澪の中で葛藤が生まれる。
しかし、相手は止まってはくれない。
「やってみなよ、澪ちゃん。君には、見るべき世界がある。それに──」
倖はわざとらしく澪の顔を覗き込む。
「この世界を覗いちゃったなら、もう“戻れない”から」
澪の不安を察しながら倖は、ただ笑った。
******
「……ここ、で合ってるんですよね?」
澪は建物を見上げたまま足を止める。目の前には、まるでドラマの中にしか出てこないような高級ホテル。
街の灯りを反射する巨大なガラス壁に、人の気配を吸い込むような回転扉。そこに立ち尽くす澪は、まるで異国の地に迷い込んだ旅人のように、言葉を失っていた。
Tシャツにローファー姿の自分が、妙に浮いて見えた。
“場違い”という言葉が、全身に重たくのしかかる。
久我山にバレないように屋敷を抜け出して、ここまできたものの少々不安になってきた。
けれど──ここに来ると決めたのは、自分。
「……大丈夫、大丈夫」
誰に聞かせるわけでもなく、小さくそう呟いたとき。
肩を、誰かに叩かれた。
「やほ、澪ちゃん。時間通りだね。お見事」
振り向けば、いつもの倖──ではなかった。
目の前に立つのは、黒のスーツに身を包んだ“別人”だった。漆黒のジャケットに濃灰のネクタイ、薄笑いを浮かべた横顔。街のネオンに照らされた彼は、購買部でお菓子を売っていた“あの人”ではない。
「……誰、ですか」
「ひどいな。着替えただけで人が変わったなんて」
「本当に、別人に見えるんです」
澪が正直にそう告げると、倖は一瞬だけ目を細め──すぐにいたずらっぽい笑みに戻った。
「それ、褒め言葉として受け取っていい?」
「……似合ってます。すごく」
「なに?似合いすぎてときめいちゃう?」
「はい。本当にかっこいいですよ」
澪は思うままにそう答えて、倖の顔を見つめる。倖は一瞬驚きはしたものの、すぐに目を細めて微笑む。
「相変わらずだね、さすが」
「はい?」
「澪ちゃんの魅力の一つだねぇ、その真っ直ぐさ。羨ましいよ。でも……」
倖は一呼吸置き、怪しげに言葉を紡いだ。
「この先も曲がらずにいられるかな?」
倖の声音は、優しいのにどこか冷たかった。
「……ピュアはね、時に正義より怖い。“歪める”のに一番向いてる感情だから」
「怖い……?」
「うん。そういう無防備さ、使う人間が使えば簡単に“武器”になる」
倖の声は軽い。でも、その奥にある何かが澪を射抜いた。
「今日は“こっちの顔”で働く日だから。覚悟してね」
「……どういう意味ですか?」
「“購買部の倖くん”は今、休憩中。今ここにいるのは、“情報屋”としての俺。……きみが選んだ相手だよ?」
澪は思わず口を閉じた。やっぱり自分は、知らない世界に踏み込もうとしている──そう、強く感じる。
倖は振り返り、くるりと踵を返す。
「さ、行こう。……“真実”の入口へ」
その背中が吸い込まれるように、ホテルの自動ドアの向こうへと消えていく。
澪は一歩、足を踏み出した。
────
誰かの願いが
誰かの絶望で叶うのなら
その手にあるのは──
祈りか、引き金か。
その瞳が澄んでいるうちは、何も知らないでいてほしかった。
でも君は、自分の意思で扉を開けた。
もう戻れない世界へ、ようこそ。
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