夜を導く光、それは赤い極道でした。

【第6話】掴んだ幸運

 ステージから降りた(みお)は、まだ拍動の余韻を抱きながら視線を巡らせた。
 会場の隅──その影に、(こう)の姿を見つける。
 澪は迷わず、小走りに駆け寄った。

 

「……本当に、運のある子だ」

 

 倖は静かに目を伏せて、かすかに笑う。
 けれどその声には、どこか切なさが滲んでいた。
 澪はきょとんとしながら問い返す。

「え? 今、何か言いました?」

「んーん、なんでも。……それより、すごいね、澪ちゃん。Mr.BIGに“選ばれる”なんてさ」

「そんなに、すごい人なんですか? あのお爺さん」

「ちょ、待って。澪ちゃん……“裏社会の王”だよ。イタリアン・マフィアのドン」

「えっ」

「うん。うっかり失言したら──首、飛ぶよ。スパーンてね」

 冗談めかして、倖が手で首をなぞる。
 澪は素直に「へぇー」と頷いたあと、ぽんと手のひらを広げて言った。

「でも、これがあれば平気です。“この紋所が目に入らぬか!”って感じで」

 澪が見せたのは、あの金のコイン。
 煌めく“Ω”の刻印。
 それを見た倖の表情が一瞬、動いた。

「……本当に、あの人に気に入られたんだね」

「なんか、そんな感じですね。いきなりステージに呼ばれた時はどうしようかと思いましたよ」

「いや……かっこよかったよ」

 ぽつり、と落ちたその言葉に、澪は目を丸くする。

「え?」

「……なんでもない。さ、こっちにおいで」

 軽く手を振って歩き出す倖の後を追いながら、澪は握るコインにそっと指を這わせる。
 その金属の冷たさの奥に、今も焼き付いている誰かの声を思い出す。

 ──“危ないことすんな”

 真次郎(しんじろう)なら、きっとそう言う。
 呆れて、少し怒って、でもちゃんと笑ってくれる。
 また聞きたい。……あの声を、隣で。

 澪は心の奥でそっと呟いた。

 ──もう守られるだけじゃない。私、自分の手でやってみる。


 コインを握り締め、前を見据える。
 手に入れたこの運命をちゃんと掴んでみせると、強く誓った。

 その瞬間、不意に背筋がぞくりとした。
 誰かの視線──針のような何かが、遠くからこちらを突き刺す。
 気のせいかもしれない。でも、確かに感じた。

 澪は小さく眉をひそめながら、倖の背中に視線を戻した。

 ******

 会場のさらに奥。
 シャンデリアの届かぬ、仮面も纏わぬ男がひとり、澪を見つめていた。

「……ほう。あれが“FATE”のコインか。あの小娘が持つとは」

 その横に立つ男が低く問う。

「始末、いたしますか?」

「いや。まだ早い。──“運”とやらが、どこまで通じるか。しばらく観察だ」

 口元だけで笑うその男の瞳には、底知れぬ興味と、冷たい好奇心が渦巻いていた。

 
 ******

「こっちだよ」

 倖に連れられ、澪は会場の一角──仮面舞踏会のざわめきから少し離れた静かなスペースへと入る。
 照明も柔らかく、喧騒がほんの少しだけ遠ざかっていた。
 
「さっきの……うん。正直びっくりした。でも、すごく似合ってたよ。コインも、あのセリフも」

「ほんとですか? 勢いで言っちゃっただけですよ。あんな空気、怖すぎて」

「でも“運”って、意外とそういう時に宿るんだよ。──さて。次は、俺の番かな」


 倖は笑い、近くのテーブルに視線を向けた。
 そこには簡易な抽選コーナー。

《LUCK or NOT? 運試し抽選会》

「え、こんなのあるんです?」

「主催者の悪ノリだろうね。ルールは簡単。中からカードを一枚引くだけ。書いてあるのは──“運命”か“凡庸”か」

 倖は口元に弧を描く。
 

「さて、俺の運はどっちだろうね」
 

 そう言って倖は、カードの束に手を伸ばした。
 指先で一枚を抜き取る。

 ──《凡庸》

「……あらら」

「うわ、引いちゃいましたね」

「まあ、いいんだ。きっとあの瞬間、運は君に渡ったんだと思うから。今夜は、凡人でいるよ」

 
 あっさりとカードを戻す倖。
 その笑顔の奥に、どこか寂しさのような影が見えた。
 澪はその表情に、わずかに首を傾げて言う。

「……でも、それってちょっとズルいですね」

「ん?」

「“運”を私に渡したなんて、勝手に言わないでください。私は、貰ったのではなくて──掴んだんです」

 指先で金のコインを撫でながら、にっと笑う澪。
 倖は目を細めて、その笑顔をしばらくじっと見つめた。
 
「……そうだね。じゃあ、その“運命”──ちゃんと持ってって」


 言葉よりも深く、まっすぐな視線が交わる。
 それはまだ、名前のない約束のようだった。

 

 二人はまた、音楽と仮面の波の中へと、歩き出す。


 ────
 

 誰かに与えられた幸運なんて、信じない。
 だって私は、運命のコインを拾ったんじゃない──
 あの瞬間、自分の手で奪い取ったんだ。

 それが愚かでも、怖くても。
 この手に刻まれたものが、私の選んだ未来だから。


Fin
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