夜を導く光、それは赤い極道でした。
Lux17:訣別

【第1話】決別の朝、コインは冷たい



 交わらぬまま、すれ違った想い。

 助けたかった。
 でも、その方法が違った。

 信じたかった。
 でも、信じるには痛みが多すぎた。

 ひとつの幸運が、
 ひとつの断絶になるなんて──

 真実は、
 胸にしまったまま、届かない。

 それでも、きみの背中を追ってしまうのは
 あの日、名前を呼んでくれた声が、
 まだ、消えていないから。


 ────

 
 朝。
 濡れた石畳に、昨日の雨が名残を残していた。
 澪はその上を踏みながら、変わらぬ“屋敷”の中を歩く──
 ただ一人を、探して。
 

 昨日の夕方話の途中で突然去っていった彼は、夜遅くに戻ってきたようで。でも、タイミング悪く合うタイミングがなかった。

 だからこそ澪は、真次郎のもとへ向かう。それは重要な話があるからとか、そんな大それた理由ではない。

 ただ、単純明快。彼に会いたいから、それだけ。

 台所、大広間、廊下、玄関……残すところは縁側。昨日最後に真次郎と話した場所。そこには既に焦がれる人の姿があった。
 
 縁側にいつものよう座り、朝の光を受けながら、どこか遠くを見ている。

「ジロ、おはようございます。見つけましたよ」

 少し口角を上げて近づく澪の足が、真次郎の視線にぶつかって止まる。

 その目は、まるで澪を初めて見る他人のように、冷たかった。

「帰れ」

 その一言に、空気が凍った。

「はい?帰れ……ですか?」

 澪は首を傾げつつも、いつものように切り返す。

「どうしました?いきなりの挨拶ですね。新しいおはようの代わりですか?流行ってるんです?面白いですね、私も真似してみましょうか?」

「黙れ」

「……帰れの次は“黙れ”ですか?ラップの練習でもしてるんです?」

 澪は変わらない。マイペースなまま、けれど真次郎の反応がいつもと違うことは、ひしひしと気づいている。

「あの、ジロ?何かありました?」

「関係ない」

「え……?」

「俺のことも、ここのことも、面影庵(おもかげあん)も。おまえには関係ない」

 抑えた口調なのに、言葉は鋭利だった。澪の手の中には松野(まつの)が持たせてくれたおにぎりが二つ。真次郎と食べようと思っていたそれ。それを目にした真次郎は、鼻で笑って吐き捨てる。

「いくら俺たちに近づいたってな、おまえは俺たちとは違う。親しくみえてんのは、おまえだけ」

「……なんで、そんな風に言うんです?昨日まで、普通に──」

「普通なんて、なかった」

 澪の心が軋む音がした。わけがわからない。昨日までの彼とはまるで違う。

 向けてくれた表情も言葉も、温かさはここにはない。

 澪は首にあるネックレスを掴む。この緊張をどうにかしたくて、縋るように握り締める。
 
 金の地に“Ω”、裏には“FATE”。

 あの夜、Mr.BIGがくれた”後ろ盾の証“。

「急に独白みたいなことやめてくれます?私が何をしたっていうんです?」

 その言葉に、真次郎の目が細くなる。
 だが、怒鳴るでもなく──ただ、冷たく、呟いた。

「それ、捨てろ」

「え……?」

「勝手に突っ走って、いいことした気になって──そんな紛い物、さっさと捨てろ」

「これは、私がBIGさんにいただいたものです。私の運のよさで、この先ジロも私に頼る場面があるかもしれませんよ。だから、私の物をジロにどうこう言われる筋合いありません」

 澪は、目を逸らさずに言い返す。
 でも、真次郎の目に浮かぶのは、まるで他人を見るような冷たい色だった。

「裏社会の大物に認められて、自分も大物気取りか? いいご身分だな」

「そんなつもりありません」
 
「見たこともない世界を少しかじって──浮かれてんのか?」

「違います! 私はただっ、ジロを助けたかっただけです!」

 必死に否定するその声に、返ってきたのは、乾いた静寂。
 そして、ぽつりと落とされる言葉。

「おまえの“助けたい”なんてさ──」

 真次郎は刺すように、刃を澪へと向けた。
 
「結局は、自分が傷つかずに済む場所から、手だけ伸ばしてるだけじゃねぇのか」

 縁側に、音のない衝撃が走った。

「誰かの後ろに隠れて、“怖くなかった”って言いたいだけ。……それ、ほんとに“助けたい”って気持ちか?」

 澪は、返す言葉を失った。
 胸が、じんわりと軋む。


「運がいい? それで救える命がある? ──甘ったれんな」

「……違う! 私は、私は、ただ──!」

「もうこれ以上馴れ合うな。おまえがここにいるだけで、巻き込まれる奴が増える」

 真次郎は澪に一瞥すら与えず、奥へと歩き出す。

 背中だけが、遠ざかっていく。
 あのときの、優しい背ではない。
 その背中は、
 もう“今の自分”じゃ、追いつけない場所にあった。
 
  

 澪は、ただその場に立ち尽くしていた。

 思わず、ネックレスに触れる。
 指先に残る、金色のコインの重みだけが、今の自分に現実を教えていた。
 
 コインは温かいのに、心だけが、凍えて……

 ──真次郎の声だけが、ずっと耳に残っていた。


 ────

 傷つけることでしか
 守れないと思った。

 それが 正しさのふりをして
 心を 静かに蝕んでゆく。

 置き去りのぬくもりが
 胸を ずっと 離れないまま──
 


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