夜を導く光、それは赤い極道でした。
Lux18:波紋

【第1話】家庭の味、静寂の予兆



 力の均衡は、一瞬で崩れる。
 だからこそ、誰もはみではしない。
 そこをゆるりとふわりとすり抜ける。
 それが、何も持たないはずの少女。
 けれど、唯一持ってる存在。

 振り回す、掻き回す。
 悪意なく。
 ひたすらに純粋に。まっすぐに。


────

 
 面影庵(おもかげあん)の屋敷から高校に通い、そして帰ってくる。久我山(くがやま)の護衛により、安全を確保されたその状況が(みお)の日常となっている。

 そして、それは澪がここで摂取する食事もそうだ。

 朝昼晩。松野(まつの)の手料理が澪の胃袋へ入り腹を満たす。それは同時に心も満たすもので、いつも温かい味がする。

 それは今日も、変わらない。
 松野の台所には、温かい香りとゆるい会話が漂っていた。

「この豆腐ハンバーグ、しみっしみですね……はぁ、幸せ」

「でしょ?今日はちょっと、あっさり目にしたんだ。最近、ちょっと胃にくる日が多いでしょ?」

「まっつんの料理が美味しすぎて食べすぎてしまいますからね。私がまんまるの風船のようになったら、まっつんの責任です」

「澪はまんまるでも可愛いよ」

「んー? それ、文字通りの“可愛い”でしょ、まっつん。
女子心、もっと学んでください。
また栞さんに“駄犬”って言われますよ?」

「澪は痛いところをつくね」

 にこにこと笑いながら、松野は手際よくキッチンに立つ。どこか、あの穏やかな表情が安心させてくれる。澪は湯気の立つ味噌汁をふうふうと冷ましながら、胸元のコインをそっとつまんだ。

 胸元のコインをそっとつまんだ。
 ずしりと重い。──まるで、心ごと引きずる錘みたいに。


 金のコイン。表にはΩ、裏には「FATE」の刻印。

「……運命、かあ」

「ん?なんか言った?」

「いえいえ、なんでもありません。ただの独り言です」

 その時だった。キッチンの扉が開かれる。

 松野の動きが一瞬だけ止まる。彼が静かに振り返ると、そこにいたのは──栞だった。

「おや、栞さんじゃありませんか。珍しいですね、お部屋から出られるなんて。誰かに呪文唱えられました?」

 澪の言葉に栞は反応しない。栞は扉の前に立っていた。足元にはルームスリッパのまま。片手には何も持たず、もう片方はぎゅっと袖口を握っている。
 松野は眉を下げて彼女のもとへ行く。

「栞さん、どうされました?なんだか顔色も優れないような……」

「あなたは黙って」

「ええと?」

「私は、この子に用があるの」

「……澪に?」

 松野の声に、少しだけ緊張が滲む。それを食べながら眺める澪は、首を傾げた。

「はて?まっつんではなく、私に?まさか……求愛ですか?」

「そんなわけないでしょ、あなた本当相変わらず能天気ね」

 呆れながら栞がため息を吐く。そして澪へともう一度視線を向けた。

「少し、話せる?」

 栞の声はいつもと同じ、冷静で穏やか。それでも、その奥にあるものは明らかに“ただ事じゃない”空気を孕んでいた。

「ちょっと、お待ちくださいね。まっつんのご飯は完食がルールですからっ」

「そんなルール俺決めたっけ?」

「いえ、私が独自的に。美味しいものは残したくないので全て私の胃袋へダンクです」

 澪らしい理由に松野は笑う。
 澪は、急いで夕飯をかき込んで、席から立ち上がった。

「まっつんごちそうさまでした。美味しかったです。それでは」

「澪、どんな時でも、俺は味方だよ。……それだけ、忘れないで」

 松野の目は、完全に“心配”の色を宿していた。


 ────

 やさしさが、当たり前になった日。
 それが壊れる音を、まだ誰も知らない。
 
 湯気の奥。
 微笑の影に、
 凍える風が忍び込む──


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