堅物マジメな御曹司は契約妻にひたすら隠した溺愛を解き放つ~円満離婚はもう無理だ~
第六章 ②
しとしとしと降る雨の音で目が覚めた。
身体を包む体温が心地いい。
人肌に抱きしめられながら眠るというのをはじめて経験して、まどろむ時間も幸せだ。
身体はべたついた感覚が残っていない。私が気を失った後、清雅さんが綺麗にしてくれたのだろう。
「……綺麗な寝顔」
私を抱きしめながら眠る清雅さんをじっくり眺める。
まつ毛が長い。スッと通った鼻筋と少し薄目の唇。そして透明感のある肌。
どこを見ても欠点なんて見当たらない。清雅さんはきっと年齢を重ねても美形だろう。
そういえば一度だけ見たことがある彼の寝顔も初夜の日だったっけ。
確か身じろぎひとつしないで寝ているから、呼吸しているのか心配になった。寝ているときですら行儀がいいってすごすぎる。
「……紫緒?」
「あっ、ごめん。起こした?」
「……ううん、大丈夫。身体は平気? 辛くない?」
寝起きの声がセクシーで、昨晩の官能を思い出しそうになった。
抱きしめられながら優しく問いかけられて、胸の奥がキュンとする。
これが事後の朝か……なんて甘いんだろう。
「大丈夫」と答えて、清雅さんの肌にすり寄った。
普段使わない筋肉を酷使したためちょっと辛いけれど、筋肉痛があるくらいで他は問題なさそう。
「今日はゆっくり過ごして。君の面倒は俺が全部見るから心配しなくていい」
頭にキスをされる。
台詞も行動も甘すぎて、寝起きから心臓に悪い……。
「雨が降ってるから、清雅も出かけないで家にいて?」
「うん、今日はずっと傍にいよう」
幸せすぎてもう一度寝たくなる。起きるのがもったいない。
目を閉じると昨晩の情事が蘇る。
清雅さんはずっと紳士的で……間違えた。途中までは紳士だった気がする。
きちんと避妊してくれたし気遣ってもくれた。でも初心者相手に大分激しい夜だったのは私の筋肉痛が証明していた。
背中を撫でられると、身体に刻まれた官能を引きずり出されそうになる。そろそろ服を着た方がいいかもしれない。
「紫緒、一緒にお風呂に入ろうか。身体を洗ってあげる」
「遠慮しておきます」
明るいところで肌を晒すことに抵抗があるし、私が確実に上せるだろう。
「遠慮しなくていい。今日は俺に甘えて」
まさか私の面倒を見るって、食事だけじゃなかったの?
上機嫌でお湯を張りに行った清雅さんに抵抗できず、私は全身を彼にくまなく洗われるという羞恥を味わうことになった。
そして髪の毛まで乾かされて、彼の面倒見の良さを実感する。
「清雅さん、ご機嫌ですね?」
「恥ずかしさに身もだえる姿が可愛すぎて。満たされるというのはこういうことかと実感している」
視線も声も、なにもかもが甘い。
もし彼を知っている人に見られたら、確実になにかあったってバレると思う。
「あと紫緒、名前が戻ってる。次に呼び方を間違えたらなにかペナルティをあげようか」
「エッチなのは嫌だからね?」
「そうか、エッチなのを期待しているのか」
なんでそうなるの! もう会話がいちいちバカップル状態だ。
それにこの人の口からエッチなんて単語を聞くなんて……友護君が聞いたら卒倒するんじゃないだろうか。
「あ、思い出した。友護君のことはどうしよう」
「放っておいたらいい。あいつは少し冷静になるべきだ」
確かにしばらくは距離を置いた方がいいとは思うけれど、大好きなお兄さんに嫌われたと思わせるのはよろしくない気もする。
「謝りたいと言ってきたらちゃんと仲直りしてくれる?」
「どうだろうな。君のことを認めないと言っていたから、そのときの態度次第だな」
手厳しい。
でも清雅さんは優しい人だから、本人が反省したら許してあげるのだろう。
「大好きなお兄さんのお嫁さんには完璧なご令嬢がいるべきだと思っていたんだろうね。ブラコンを拗らせるってすごいな。嫌いな私にプロポーズするくらいだし」
「は? 聞いていないんだが?」
カチッとヘアドライヤーが止まった。
そういえば報告していなかったことを思い出す。
「いや、でも昨日本人が言っていたこととほぼ同じなので答え合わせができたというか……ご実家で会ったときに、兄さんと離婚して俺と再婚しよう? って」
それも本心ではなく、大好きなお兄さんが彼に相応しい女性と再婚できるように自分を犠牲にする提案だったのだけど、冷静に考えるととんでもない話だわ。
清雅さんは呆れたように溜息をついた。
「君が俺と友護の兄弟仲を訊いてきたのはそういう理由だったのか。気遣いはありがたいけれど、今度からは隠し事はしないでほしい」
「隠し事にもよるかな」
「……」
ちょっと意地悪な返しをすると、彼は無言で考えこんでしまった。その通りだと思っている顔だ。
「でもなにかを悩む前に清雅に相談する。それでいい?」
「わかった」
大切な人が傷つく姿は見たくない。私には知られて困るような隠し事はないので、今後はオープンに話し合おう。
「それでこれからのことなんだけど、私は契約書の一部変更を希望します」
二年後に離婚という契約からはじまった関係だけど、今はこの関係がずっと続いてほしいと思っている。
「俺から提案しようと思っていたんだが、先を越されたな。契約書の離婚の項目は削除しよう。それと、君にプロポーズをしてもいいだろうか」
「……え?」
予想外の提案を受けてびっくりする。
彼は昨日購入した指輪の箱を持って、私のところへ戻ってきた。
「買ったはいいけれど、どうやって渡すべきかを考えていたんだ。ただ渡すより、ありきたりかもしれないけれどレストランを予約してプロポーズをした方がいいのだろうかと」
もう入籍はしているけれど、いろんなことをすっ飛ばして今に至る。
昨日ようやく両想いになったのだから、思い出に残るなにかがしたくなったらしい。
「紫緒はどんなプロポーズがいい? 夜景が見えるレストラン? ヘリコプターの中? ああ、観覧車というのもありかな」
めちゃくちゃ王道ですね? ドラマや少女漫画に出てくるワンシーンみたい。
それのどれをされても胸がキュンとなるけれど、私は彼のその気持ちだけで充分うれしい。
「私、楽しみは先延ばしにしたくないの。プロポーズは日常の中がいい」
今してほしいと告げると、清雅さんは少し緊張した面持ちで私の前に跪く。
リボンのラッピングを解いて、箱をパカッと開いた。
「蓮水紫緒さん。私はこれからの時間をあなたと共に歩みたい。一生大事にすると誓います。私と結婚してくださいますか」
真剣な眼差しで見つめられたら目頭が熱くなりそうだ。
何度も頷いて「はい」と返事をした。
「最後の確認だけど、本当に私でいいの?」
「君で、じゃない。紫緒がいい。紫緒しかいらない」
ああ、この人は本当に、私がほしい言葉をくれる。
結婚指輪に重ねるように、薬指に婚約指輪を嵌められた。
淡いピンク色のダイアモンドがキラキラ光る。
「すごい。お姫様の指輪だ……」
「あまり可愛いことを言われるとこの場で押し倒したくなるんだが」
「えっ!」
欲望を隠すことをやめた途端、素直になりすぎでは?
彼は私の手に触れると、指を絡めて恋人繋ぎをする。
「俺は多分、君が思っている以上に嫉妬深い」
「それはどういう……」
「会社に行くときもこれを身に着けていて。紫緒に近づく男たちが指輪を見て戦意喪失するように」
甘い笑顔で言っているけれど、なんだか台詞に重みがあるような……。まったく冗談には聞こえない。
「婚約指輪と結婚指輪の重ね漬けをしている女に手を出そうとする男はいないと思うけどね」
「あと普段の君は地味な装いをしているつもりだけど、俺にとってはどんな格好でも魅力的だから気を抜かないように。オシャレな恰好がしたくなったら俺の傍でしかしないでほしい」
ほんのり眉間に皺を刻んで、「わがままですまない」と付け足された。
手を握りしめながら懇願されたらなんでも受け入れたくなる。そんなのはわがままなうちに入りません。
「それと、今度はウエディングドレスを着てほしい。チャペルを予約してもいいし、簡単なパーティーだけでもいい」
「……つまり、もう一回結婚式をしようってこと?」
「ああ、前回は神前式で白無垢姿の紫緒も綺麗だったけど、君のドレス姿も極上に綺麗だと思う。それに次は紫緒のご家族の前で結婚を誓いたい」
七菜香の代役ではない。私のための結婚式を挙げようと提案してくれた。
なんだかその気持ちだけで胸がいっぱいになる。
「私、昔からあまり結婚式に拘りがなかったの。元々結婚するつもりもなかったから。だけど清雅にドレスを着てほしいって言われて、今すごくうれしい」
ドレスを着るなら写真だけでもいいと思ったけれど、直接両親にもドレス姿を見せたい。
「せっかくだからオーダーしよう。ウエディングドレスのデザイナーは誰がいいだろうか」
「え?」
「カラードレスもほしいな。紫緒はスタイルがいいからきっとなにを着ても似合う。式場は希望するところがあれば遠慮なく言ってほしい」
「待って、もったいなくない? たった一度しか着ないのに、オーダーメイドって」
「そんなことはない。一生に一度の特別な日に着るものなのだからこだわるのは当然だ。でも、本音を言ったら君の綺麗な姿は独り占めがしたいが」
ギュッと抱きしめられた。
「俺はわがままだな」と、呟いているけれど、そんなのはわがままに入らない。
着飾った姿は自分だけに見せてほしいなんて、私を喜ばせるだけではないか。
「本当、清雅ってかっこいいだけじゃなくて可愛いのに、自分じゃ可愛さに気づいていないなんて無防備すぎる」
「……君と友護の中での俺はどんなイメージなんだ」
「常識的で真っすぐで誠実なのに少し天然で可愛い人かな。そんな清雅に、多分私はとっても沼ってるんだと思う」
「沼……?」
きょとんとした表情も可愛すぎて思わず唇を奪ったら、すぐに反撃された。
「体力が回復したなら寝室に行こうか」
「え……? いや、あの、まだ夜じゃないので……」
「夜しかセックスしちゃいけないという法律はない。それに俺たちは新婚夫婦だろう?」
朝食を食べ損ねて、遅めの昼食を食べるときには体力は尽きていたけれど、過剰なほどの愛でお腹は空いていない。
避妊具を片手に「もう一回」と言う清雅さんはとんでもなくセクシーで、私は両手を上げて降参したのだった。
◆ ◆ ◆
週末のある日。我が家に珍しい訪問客が訪れた。
「……一昨日が紫緒さんの誕生日って聞いたから、あげる」
「え? いいの? ありがとう友護君」
あの一件以来音沙汰がなかった友護君だ。
彼は私にワインとチーズに、話題になっていたショコラティエの新作ショコラを持って来てくれた。
なんだか牙を抜かれた大型犬のように大人しい。一切甘やかすことなく冷静な視線を向ける清雅に怯えているとも言える。
「用が済んだら帰ったらどうだ」
「……!」
紅茶を淹れてあげたばかりで帰れというのはちょっと酷いかもしれないけれど、清雅なりに早く謝罪して楽になれと言っているのだろう。
友護君は床に膝をついて、ソファに座る私と清雅に頭を下げた。
「兄さん、紫緒さん、散々無礼な態度で侮辱するようなことを言ってすみませんでした。あれから俺は兄さんを美化していたんだって気づいたんだ。完璧な兄さんの隣には完璧な女性がいるべきだって理想を押し付けていただけだって。でも兄さんが幸せならそれが一番なんだってようやく気付いた」
ブラコンを拗らせて清雅が好きすぎるあまり暴走したそうだ。
清雅は予想外の熱量にちょっと引いていたけれど、きちんと向き合って話を聞く姿勢は律儀なお兄さんである。
「兄さんは子供の頃から成績優秀で文武両道。優しくて頼りになる俺の憧れで、精神まで清らかな人だと思っていた。兄さんが変な女に騙されてほしくないから、彼女ができないように俺が見張って、白藤の名に引き寄せられた女たちは俺が食えばいいんだって、ずっと兄さんを狙う女たちを遠ざけていたんだ」
「……」
友護君、正直は美徳とは限らないのだよ。
清雅がものすごく引いている。そして真顔で困惑している。
「ぶっちゃけ家同士が決めた結婚とかふざけんなって思ってたけど、兄さんに彼女ができないならいいかって納得してたんだ。精々防波堤代わりになればいいって。七菜香さんなら及第点だし俺もあの人なら兄さんの妻を名乗らせてもいいかと」
「お前はなに目線で語ってるんだ?」
私は思わず隣に座る彼の袖を捲りあげた。
思った通り鳥肌が立っている。
「認めないなんて言ってごめんなさい。ふたりのことを最初から俺が口出す権利はなかったんだ。俺はふたりが幸せならそれでいいと思っている。家のしがらみは関係なくて、ちゃんと愛が芽生えているならそれが一番だから」
「友護君……」
なんだか弟の成長を見守る姉の気分になってきた。
次の連休はふたりで私の実家に行く予定だ。
なかなか都合が合わなかったんだけど、ようやく清雅を私の家族に紹介できる。弟も同席してくれるだろう。
「だから紫緒さんもごめん。俺、一目惚れとか言ったけど、本当は全然タイプじゃないんだよね」
「……ねえ友護君。正直になんでも口にすればいいものじゃないってわかるかな?」
なんで私が振られたような感じになってるの?
何故かほっとしている清雅にも複雑な気持ちになる。
私は言い寄られても靡きませんよ!
謝罪の気持ちは晩御飯でチャラにして、この日は白藤兄弟による特製のディナーを心行くまで堪能したのだった。
身体を包む体温が心地いい。
人肌に抱きしめられながら眠るというのをはじめて経験して、まどろむ時間も幸せだ。
身体はべたついた感覚が残っていない。私が気を失った後、清雅さんが綺麗にしてくれたのだろう。
「……綺麗な寝顔」
私を抱きしめながら眠る清雅さんをじっくり眺める。
まつ毛が長い。スッと通った鼻筋と少し薄目の唇。そして透明感のある肌。
どこを見ても欠点なんて見当たらない。清雅さんはきっと年齢を重ねても美形だろう。
そういえば一度だけ見たことがある彼の寝顔も初夜の日だったっけ。
確か身じろぎひとつしないで寝ているから、呼吸しているのか心配になった。寝ているときですら行儀がいいってすごすぎる。
「……紫緒?」
「あっ、ごめん。起こした?」
「……ううん、大丈夫。身体は平気? 辛くない?」
寝起きの声がセクシーで、昨晩の官能を思い出しそうになった。
抱きしめられながら優しく問いかけられて、胸の奥がキュンとする。
これが事後の朝か……なんて甘いんだろう。
「大丈夫」と答えて、清雅さんの肌にすり寄った。
普段使わない筋肉を酷使したためちょっと辛いけれど、筋肉痛があるくらいで他は問題なさそう。
「今日はゆっくり過ごして。君の面倒は俺が全部見るから心配しなくていい」
頭にキスをされる。
台詞も行動も甘すぎて、寝起きから心臓に悪い……。
「雨が降ってるから、清雅も出かけないで家にいて?」
「うん、今日はずっと傍にいよう」
幸せすぎてもう一度寝たくなる。起きるのがもったいない。
目を閉じると昨晩の情事が蘇る。
清雅さんはずっと紳士的で……間違えた。途中までは紳士だった気がする。
きちんと避妊してくれたし気遣ってもくれた。でも初心者相手に大分激しい夜だったのは私の筋肉痛が証明していた。
背中を撫でられると、身体に刻まれた官能を引きずり出されそうになる。そろそろ服を着た方がいいかもしれない。
「紫緒、一緒にお風呂に入ろうか。身体を洗ってあげる」
「遠慮しておきます」
明るいところで肌を晒すことに抵抗があるし、私が確実に上せるだろう。
「遠慮しなくていい。今日は俺に甘えて」
まさか私の面倒を見るって、食事だけじゃなかったの?
上機嫌でお湯を張りに行った清雅さんに抵抗できず、私は全身を彼にくまなく洗われるという羞恥を味わうことになった。
そして髪の毛まで乾かされて、彼の面倒見の良さを実感する。
「清雅さん、ご機嫌ですね?」
「恥ずかしさに身もだえる姿が可愛すぎて。満たされるというのはこういうことかと実感している」
視線も声も、なにもかもが甘い。
もし彼を知っている人に見られたら、確実になにかあったってバレると思う。
「あと紫緒、名前が戻ってる。次に呼び方を間違えたらなにかペナルティをあげようか」
「エッチなのは嫌だからね?」
「そうか、エッチなのを期待しているのか」
なんでそうなるの! もう会話がいちいちバカップル状態だ。
それにこの人の口からエッチなんて単語を聞くなんて……友護君が聞いたら卒倒するんじゃないだろうか。
「あ、思い出した。友護君のことはどうしよう」
「放っておいたらいい。あいつは少し冷静になるべきだ」
確かにしばらくは距離を置いた方がいいとは思うけれど、大好きなお兄さんに嫌われたと思わせるのはよろしくない気もする。
「謝りたいと言ってきたらちゃんと仲直りしてくれる?」
「どうだろうな。君のことを認めないと言っていたから、そのときの態度次第だな」
手厳しい。
でも清雅さんは優しい人だから、本人が反省したら許してあげるのだろう。
「大好きなお兄さんのお嫁さんには完璧なご令嬢がいるべきだと思っていたんだろうね。ブラコンを拗らせるってすごいな。嫌いな私にプロポーズするくらいだし」
「は? 聞いていないんだが?」
カチッとヘアドライヤーが止まった。
そういえば報告していなかったことを思い出す。
「いや、でも昨日本人が言っていたこととほぼ同じなので答え合わせができたというか……ご実家で会ったときに、兄さんと離婚して俺と再婚しよう? って」
それも本心ではなく、大好きなお兄さんが彼に相応しい女性と再婚できるように自分を犠牲にする提案だったのだけど、冷静に考えるととんでもない話だわ。
清雅さんは呆れたように溜息をついた。
「君が俺と友護の兄弟仲を訊いてきたのはそういう理由だったのか。気遣いはありがたいけれど、今度からは隠し事はしないでほしい」
「隠し事にもよるかな」
「……」
ちょっと意地悪な返しをすると、彼は無言で考えこんでしまった。その通りだと思っている顔だ。
「でもなにかを悩む前に清雅に相談する。それでいい?」
「わかった」
大切な人が傷つく姿は見たくない。私には知られて困るような隠し事はないので、今後はオープンに話し合おう。
「それでこれからのことなんだけど、私は契約書の一部変更を希望します」
二年後に離婚という契約からはじまった関係だけど、今はこの関係がずっと続いてほしいと思っている。
「俺から提案しようと思っていたんだが、先を越されたな。契約書の離婚の項目は削除しよう。それと、君にプロポーズをしてもいいだろうか」
「……え?」
予想外の提案を受けてびっくりする。
彼は昨日購入した指輪の箱を持って、私のところへ戻ってきた。
「買ったはいいけれど、どうやって渡すべきかを考えていたんだ。ただ渡すより、ありきたりかもしれないけれどレストランを予約してプロポーズをした方がいいのだろうかと」
もう入籍はしているけれど、いろんなことをすっ飛ばして今に至る。
昨日ようやく両想いになったのだから、思い出に残るなにかがしたくなったらしい。
「紫緒はどんなプロポーズがいい? 夜景が見えるレストラン? ヘリコプターの中? ああ、観覧車というのもありかな」
めちゃくちゃ王道ですね? ドラマや少女漫画に出てくるワンシーンみたい。
それのどれをされても胸がキュンとなるけれど、私は彼のその気持ちだけで充分うれしい。
「私、楽しみは先延ばしにしたくないの。プロポーズは日常の中がいい」
今してほしいと告げると、清雅さんは少し緊張した面持ちで私の前に跪く。
リボンのラッピングを解いて、箱をパカッと開いた。
「蓮水紫緒さん。私はこれからの時間をあなたと共に歩みたい。一生大事にすると誓います。私と結婚してくださいますか」
真剣な眼差しで見つめられたら目頭が熱くなりそうだ。
何度も頷いて「はい」と返事をした。
「最後の確認だけど、本当に私でいいの?」
「君で、じゃない。紫緒がいい。紫緒しかいらない」
ああ、この人は本当に、私がほしい言葉をくれる。
結婚指輪に重ねるように、薬指に婚約指輪を嵌められた。
淡いピンク色のダイアモンドがキラキラ光る。
「すごい。お姫様の指輪だ……」
「あまり可愛いことを言われるとこの場で押し倒したくなるんだが」
「えっ!」
欲望を隠すことをやめた途端、素直になりすぎでは?
彼は私の手に触れると、指を絡めて恋人繋ぎをする。
「俺は多分、君が思っている以上に嫉妬深い」
「それはどういう……」
「会社に行くときもこれを身に着けていて。紫緒に近づく男たちが指輪を見て戦意喪失するように」
甘い笑顔で言っているけれど、なんだか台詞に重みがあるような……。まったく冗談には聞こえない。
「婚約指輪と結婚指輪の重ね漬けをしている女に手を出そうとする男はいないと思うけどね」
「あと普段の君は地味な装いをしているつもりだけど、俺にとってはどんな格好でも魅力的だから気を抜かないように。オシャレな恰好がしたくなったら俺の傍でしかしないでほしい」
ほんのり眉間に皺を刻んで、「わがままですまない」と付け足された。
手を握りしめながら懇願されたらなんでも受け入れたくなる。そんなのはわがままなうちに入りません。
「それと、今度はウエディングドレスを着てほしい。チャペルを予約してもいいし、簡単なパーティーだけでもいい」
「……つまり、もう一回結婚式をしようってこと?」
「ああ、前回は神前式で白無垢姿の紫緒も綺麗だったけど、君のドレス姿も極上に綺麗だと思う。それに次は紫緒のご家族の前で結婚を誓いたい」
七菜香の代役ではない。私のための結婚式を挙げようと提案してくれた。
なんだかその気持ちだけで胸がいっぱいになる。
「私、昔からあまり結婚式に拘りがなかったの。元々結婚するつもりもなかったから。だけど清雅にドレスを着てほしいって言われて、今すごくうれしい」
ドレスを着るなら写真だけでもいいと思ったけれど、直接両親にもドレス姿を見せたい。
「せっかくだからオーダーしよう。ウエディングドレスのデザイナーは誰がいいだろうか」
「え?」
「カラードレスもほしいな。紫緒はスタイルがいいからきっとなにを着ても似合う。式場は希望するところがあれば遠慮なく言ってほしい」
「待って、もったいなくない? たった一度しか着ないのに、オーダーメイドって」
「そんなことはない。一生に一度の特別な日に着るものなのだからこだわるのは当然だ。でも、本音を言ったら君の綺麗な姿は独り占めがしたいが」
ギュッと抱きしめられた。
「俺はわがままだな」と、呟いているけれど、そんなのはわがままに入らない。
着飾った姿は自分だけに見せてほしいなんて、私を喜ばせるだけではないか。
「本当、清雅ってかっこいいだけじゃなくて可愛いのに、自分じゃ可愛さに気づいていないなんて無防備すぎる」
「……君と友護の中での俺はどんなイメージなんだ」
「常識的で真っすぐで誠実なのに少し天然で可愛い人かな。そんな清雅に、多分私はとっても沼ってるんだと思う」
「沼……?」
きょとんとした表情も可愛すぎて思わず唇を奪ったら、すぐに反撃された。
「体力が回復したなら寝室に行こうか」
「え……? いや、あの、まだ夜じゃないので……」
「夜しかセックスしちゃいけないという法律はない。それに俺たちは新婚夫婦だろう?」
朝食を食べ損ねて、遅めの昼食を食べるときには体力は尽きていたけれど、過剰なほどの愛でお腹は空いていない。
避妊具を片手に「もう一回」と言う清雅さんはとんでもなくセクシーで、私は両手を上げて降参したのだった。
◆ ◆ ◆
週末のある日。我が家に珍しい訪問客が訪れた。
「……一昨日が紫緒さんの誕生日って聞いたから、あげる」
「え? いいの? ありがとう友護君」
あの一件以来音沙汰がなかった友護君だ。
彼は私にワインとチーズに、話題になっていたショコラティエの新作ショコラを持って来てくれた。
なんだか牙を抜かれた大型犬のように大人しい。一切甘やかすことなく冷静な視線を向ける清雅に怯えているとも言える。
「用が済んだら帰ったらどうだ」
「……!」
紅茶を淹れてあげたばかりで帰れというのはちょっと酷いかもしれないけれど、清雅なりに早く謝罪して楽になれと言っているのだろう。
友護君は床に膝をついて、ソファに座る私と清雅に頭を下げた。
「兄さん、紫緒さん、散々無礼な態度で侮辱するようなことを言ってすみませんでした。あれから俺は兄さんを美化していたんだって気づいたんだ。完璧な兄さんの隣には完璧な女性がいるべきだって理想を押し付けていただけだって。でも兄さんが幸せならそれが一番なんだってようやく気付いた」
ブラコンを拗らせて清雅が好きすぎるあまり暴走したそうだ。
清雅は予想外の熱量にちょっと引いていたけれど、きちんと向き合って話を聞く姿勢は律儀なお兄さんである。
「兄さんは子供の頃から成績優秀で文武両道。優しくて頼りになる俺の憧れで、精神まで清らかな人だと思っていた。兄さんが変な女に騙されてほしくないから、彼女ができないように俺が見張って、白藤の名に引き寄せられた女たちは俺が食えばいいんだって、ずっと兄さんを狙う女たちを遠ざけていたんだ」
「……」
友護君、正直は美徳とは限らないのだよ。
清雅がものすごく引いている。そして真顔で困惑している。
「ぶっちゃけ家同士が決めた結婚とかふざけんなって思ってたけど、兄さんに彼女ができないならいいかって納得してたんだ。精々防波堤代わりになればいいって。七菜香さんなら及第点だし俺もあの人なら兄さんの妻を名乗らせてもいいかと」
「お前はなに目線で語ってるんだ?」
私は思わず隣に座る彼の袖を捲りあげた。
思った通り鳥肌が立っている。
「認めないなんて言ってごめんなさい。ふたりのことを最初から俺が口出す権利はなかったんだ。俺はふたりが幸せならそれでいいと思っている。家のしがらみは関係なくて、ちゃんと愛が芽生えているならそれが一番だから」
「友護君……」
なんだか弟の成長を見守る姉の気分になってきた。
次の連休はふたりで私の実家に行く予定だ。
なかなか都合が合わなかったんだけど、ようやく清雅を私の家族に紹介できる。弟も同席してくれるだろう。
「だから紫緒さんもごめん。俺、一目惚れとか言ったけど、本当は全然タイプじゃないんだよね」
「……ねえ友護君。正直になんでも口にすればいいものじゃないってわかるかな?」
なんで私が振られたような感じになってるの?
何故かほっとしている清雅にも複雑な気持ちになる。
私は言い寄られても靡きませんよ!
謝罪の気持ちは晩御飯でチャラにして、この日は白藤兄弟による特製のディナーを心行くまで堪能したのだった。