Pleasure Treasure(プレジャ、トレジャ)

9、egoism(4)

 ぎゅっ、と抱きしめられた菫子は、なぜか赤くなった。
 涼は苦笑いしている。
「……伊織」
「やば。気ぃ抜いたら永月に取られるわ」
 そうしてひとしきり笑い合った後、伊織はぽつりと独りごちた。
「あの時、ひとつに溶けていたらもう離れることもなかったのに」
 泣き笑いの表情。
 とても重い。
 重すぎる言葉には実感がこもっていて、そう願わずにいられない
 伊織の心情は計り知れないのだと感じた。
 菫子と涼は息が止まる心地だった。
 ひたむきな願いが、無碍に散ってしまう事実。
 菫子は肩を震わせる伊織を抱きしめた。
「……甘えてしまうのが目に見えてたから、話すの嫌だったのよ。
 弱くなってしまうもの」
 伊織は、嗚咽を堪えるように喉をしゃくりあげていた。
 菫子は、細い肩を抱きしめることしかできない。
 何も言えなかった。痛みは当の本人しか分からない。
 そっと背中に回された腕に意志を感じて嬉しかった。
 頼ってくれている。
「菫子ありがとう……あなたがいてくれてよかったわ。草壁君も」
 顔を上げた伊織は微笑んでいた。
「……だって、伊織は私の親友だもの」
「大好きよ……菫子」
 菫子はしがみついてきた伊織を抱きすくめる。
 友情の抱擁。
 恋人と触れ合う甘さではなく、涼やかな風が吹き抜けるような優しいものだった。
 信頼を分かち合うような。
 菫子はそこにいる伊織を確かめるように手を繋いでいた。
「そろそろ帰るわね……」
「うん……私も帰る。涼ちゃん、歩いて駅まで送ってくれる」
「おう。分かった」
 あっけらかんとした菫子の態度に涼は内心しょんぼりした。
「草壁君、顔に出てるから」
「……俺って正直者なのが玉にキズやなあ」
「……?」
 菫子は首をかしげて、涼を見上げた。
「菫子、耳貸して」
 素直に伊織の側に寄った菫子は顔を赤らめた。
「……余計な気を回さないでよ……もう」
「ふふ。じゃあ行きましょ」
 手を繋(つな)いで歩いていく菫子と伊織の後ろから涼が追いかけた。
 マンションの外に出て、並んで歩く。
 涼はそのまま後ろからつき従っている。
「……ご飯も美味しかったわ。草壁君、料理が上手いのね。意外だわ」
「……まあ、ちゃんと食べれるのとか無礼なこと言った菫子よりマシか」
「素直に思ったことを言っただけよ」
「自覚がないから恐ろしいわよね」
「同感」
「……ごめん。きついのはさすがに分かってる」
「菫子はそれでええから。永月もそう思うやろ?」
「ええ。そうね」
 ゆっくりと歩いて駅までたどり着いた時、伊織が菫子を置いて駆け出した。
 離れた場所から手を振る伊織に同じように手を振り返す。
 菫子は彼女の後姿を見送って、涼を振り返る。
 うつむいて、彼のボトムの裾を握った。
「……そんなにさみしがるなら、今日は一緒にいてあげるわよ。
 朝になったら送ってね」
 強気に言ったつもりだったが、りんごのような熟(う)れた頬では伝わったか怪しい。
 涼は満足げに笑い、手を差し出した。
「帰ろ」
 手を握り返して、涼の部屋へと再び引き返した。

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