Pleasure Treasure(プレジャ、トレジャ)

1、Border(2)

 キスだって、すごくさりげなかった。
 折角両想いになれたというのに、ためらいを捨てられずにいる自分は何を望んでいるのだろう。
 決して困らせたいわけではないのだ。
「……嫌なはずがない。だから嫌なのよ」
「菫子、場所変えようか」
「え?」
 きょとんと眼を瞠った隙にそっと腕を取られ、引きずられるように進む。
 レジで代金を支払う涼を見上げて、あっという間にカフェの外に出ていた。
 すたすた歩いていく涼に、菫子は三か月前と同じだと思った。
 あの時もこうやって、外に連れ出してバイクに乗せた。
 ただし、今回は事情が違うようだ。
 抵抗ばかりして、素直になれない自分は、時折こうやって強引な涼に助けられる。
 好きになった弱みだ。嫌いになったことは一度もないのだ。
 先に惹かれた自分が今では、甘えきっていることを自覚しながら、従う。
 最後は、彼の思い通りに事が進む。
(薫さんは、こんなに手がかからなかったんだろうな。
 彼はそれでも、私を選んでくれたのに何でこんなに可愛くないんだろう)
 ぎゅっと握られた手の強さと熱さに、自分の気持ちが冷静になり
 周りが見えてきた菫子は、バイクの背にしがみついて
 流れる景色の中、涙を隠した。


 地下駐車場にバイクを停めて、エレベーターで中に入るその間も
 手は固く握られたままで、嫌じゃないと示すように菫子は握り返した。
「今ならまだ引き返せるけどどうする? 」
 標準語っぽいしゃべり方は妙にどきっとすると菫子は思った。
 なぜ、急に切り替えることが可能なのか、不思議でならない。
 涼の部屋の前で、ドアを凝視した。
 ここまで連れてきておいて聞くなんて意地悪なのか優しいのか分からない。
「とりあえず寒いし入ろ。お茶でも淹れるからじっくり本音を聞かせて」
 優しく、諭す声に頷くしかない菫子だ。
 鍵を差し込むとキィと扉が開く。
 胸は騒ぎたてることはない。
 変に意識することを懸念して抑えているからだ。
 握りしめられていた手が離され、涼の後ろから後ろからついていく。
 菫子が、中に入った瞬間、鍵が締まる音がした。
「どうぞ、お姫様。むさ苦しいところですがおくつろぎ下さい」
「むさ苦しくはないみたいだけど、殺風景ね。観葉植物くらい置いたら」
「うんうん。菫子はそれでなくちゃな」
 勝手に納得した涼は、部屋のソファに菫子を座らせると、
「コーヒーでいい? ってそれしかないんやけどな」
 と明るく笑った。
「砂糖とミルクがあればお願い」
「了解しました」
 涼が台所に消えると、菫子は、ソファの上で手持無沙汰になった。
 自分の部屋と同じ間取りの1DK。
 寝室も兼ねている部屋にはベッドも当然あって。
 意識せまいと頑張るのに、余計に意識してしまう。
 シングルじゃなくてダブルベッドなのは、
 涼の体格には狭いからだろう。
「……はあ」
 ため息をついた瞬間、タイミングよくテーブルにカップが置かれて
 菫子はびくっとしてしまった。
「お待ちどうさま」
 がしがしと髪をかき混ぜられ、なぜか安堵した。
 正面の座布団に座った涼が、ミニコンポを弄っている。
「俺のお勧めでええ」
「うん」
 何だろうと思えば、「THE BORDER」だ。
 菫子の頭の中に曲のタイトルが瞬時に浮かんだ。
 口ずさむ涼を見つめられず、目をそらした。
 何故この曲を選んだのか分かった気がした。
 思わず涼と見つめ合う。
「リクエストしていい? 」
「ええよ」
「YOU&I」
「おっけー! 」
 涼は嬉々として、次の曲をかけた。
 菫子は今度はBGMに合わせて全部を歌った。
 二人でいる時間は、何よりも楽しくて、愛しい。
 好きになるほどわがままになって、一緒にいたいのに、
 目の前から消えてしまいたいと、本心ではないのに願ってしまう。
 こんなにも、好きなのに。
「菫子……? 」
「……っ」
 頬に流れる滴がぽたりぽたりと膝へと落ちる。
 目じりを擦っても、あふれる涙は止められなかった。
 涙の熱さで頬まで火照ったみたいだ。
「ごめんね……涼ちゃん」
「ん? 」
「あなたの側にいたら、醜い所とか暴かれるのが怖かった。
 近づいていくほどに、可愛くないことも知られちゃうから、
 少し引いてしまってた。嫌われたくなかったの」
 嗚咽を漏らし、泣きじゃくりながら菫子は、必死で言葉を紡いだ。
 今、素直にならなければ、友達ですらいられなくなって、
 失ってしまう。それは、どうしても耐えられなかった。
 もう涼のいない現実に帰ることなどできない。
「あほやな。俺が今更、菫子を嫌いになったりするわけないやん」
 きっぱりとした口調に、菫子が顔をあげる。
 差し出されたハンカチを、掴んで、顔を拭った。
 少し、乱暴な仕草なのを見兼ねてか、涼が、頬の涙を拭ってくれた。
「菫子が、可愛くなかったことなんて一度もないで」
 涼は、眼差しを和らげて菫子を見つめていた。
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