バンパイア君は私に甘々でメロメロ

1

夜のオフィスビルはひっそりと静まりかえっていた。

残業を終えた椎名すみれ(24歳)は、疲れた身体を引きずるように階段を下りていた。

「はぁ…エレベーター、止まってるとかマジで…」

ブツブツ言いながら数段を下りたところで、ヒールの先が引っかかる。

「――わっ!」

ガタン、と音を立てて転び、膝を打ってしまう。スカートの裾から見える肌に、じんわりと血がにじんでいた。

「いったた…まさか、擦りむくなんて…」

その時。

「先輩っ!」

駆け寄ってきたのは、後輩の黒川香月(23歳)。社内ではどこか距離のある、ミステリアスな存在。

今夜の彼は、なぜか様子が違っていた。額にうっすら汗を浮かべ、目が赤く光っているようにも見える。

「く、黒川くん…? どうしたの?」

彼はすみれの前で立ち止まると、一瞬ためらうように目を伏せ、でも次の瞬間にはすっと顔を近づけた。

「せ、先輩…その血……なめさせてもらって、いいですか…?」

「えっ……なに言って…?」

黒川は苦しげに目を細め、喉を鳴らした。

「ずっと我慢してたんです。でも、先輩の匂いが甘すぎて……もう、限界で…」

そして――彼はすみれの膝にそっと顔を寄せ、ぺろりと舌先で傷口をなぞる。

「っ……!」

ビクリと震えたすみれの身体をよそに、黒川は目を細め、口元をぬぐうと、ふっと微笑んだ。

「やっぱり先輩の血、美味しい」

黒川は、熱を帯びた瞳でそう囁くと、傷口から名残惜しそうに顔を離した。

すみれは、まだ心臓のドキドキがおさまらない。

「く、黒川くん…? あ、あなた今、何したか分かって――」

けれど、黒川はすみれの言葉を制するように、ふっと穏やかに笑った。

「すみません、先輩。ちょっと取り乱しました」

そして次の瞬間。

彼は、まるでさっきの熱気が嘘だったかのように、すっと立ち上がった。

「では、お先に失礼します」

「は? ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」

慌てて呼び止めようとするすみれを尻目に、黒川は通用口へとスタスタと歩いていく。

さっきまで吸血していたとは思えない、クールで淡々とした背中。

「な、なにあれ……」

すみれは呆然としながら、自分の膝を押さえた。微かに残る黒川の舌の感触と熱が、やたらリアルに思い出されて顔が熱くなる。

そんなことを考えているうちに、廊下の先から黒川の低い声が小さく響いた。

「…先輩、血の匂いには気をつけてくださいね」

振り返ると、もう彼の姿はなかった。
< 1 / 46 >

この作品をシェア

pagetop