恋するだけでは、終われない / 気づいただけでは、終われない
第四話
……昼休みが終わると、ホームルームだけで解散となった。
「午前中授業があったのはまぁ、大人の事情ってやつだねー」
顧問の藤峰佳織が、現れなかった高嶺の椅子に座りながら。
のんびりと僕に話しかける。
教室にはもう、僕たち以外は誰もいない。
担任の高尾響子が、早々に体育祭でも文化祭でも準備にいけと。
みんなをたきつけて、空っぽにしてしまったのだ。
それから、ふらりと藤峰先生が現れて。
「ここで交代ね!」
「あっちはよろしく!」
そういって、高尾先生と交代していまに至る。
アイツのカバンを机の上に置きながら、藤峰先生は僕の顔を見る。
でも先生、僕にわからないことがいっぱいあるのは、十分わかっていますよね?
「もちろん、海原君が鈍いのは知っているけどね」
先生は、容赦ないことを平気でいってから。
「でもあの由衣ちゃんが、お弁当を残して消えたんだよ! そこまで、なにに悩んでいるのか、考えてみた?」
もっと頭を使えと、僕に伝えてくる。
「『文化祭デート』を、部員のみんなに知られたくなかったんですか?」
藤峰先生が、ため息をつく。
「普段の由衣ちゃんなら、どうする?」
「嫌なことは、断固として断ります」
「それがわかるのに、本当に海原君はねぇ……」
そこまでいいかけて、僕たちは同時に気配を感じる。
み、三藤先輩ですか……。
「呼ばれそうな気がしたので、きました」
「さすがだねぇ、月子ちゃん」
なに? このふたりって、どうやって通じ合ってるんだ?
……三人が同時に、窓の外の赤とんぼを見つけた。
「まだ暑いよねー」
先生の視線は、赤とんぼより遠くを見つめていた気もするけれど。
「……ま、そっとしとこっか」
突然、先生がやさしい声でつぶやいた。
「海原くんやわたしでは役不足、だということですか?」
「ううん、月子ちゃん。それは違う。ふたりを見たから、そう思っただけ」
藤峰先生って、よくわからない。
「これは由衣ちゃんの、空回りだね」
ますます、僕にはわからないのだけれど。
ただ、なんとなく。
「いつもみたいに、戻ってきた誰かを、いつもどおり迎えればいいんですね」
それだけは、僕でも理解した。
「そうそう、海原君のいうとおり! それならおふたりとも、得意でしょ?」
そのあと、先生は。
食べ損ねたパンを、隠れて食べるからと。
先に戻っていいよと、僕たちに告げた。
「……食べ損ねたにしては、量が多かった気がするわね」
三藤先輩の表情は、それ以上はいわないという顔だけれど。
同時に先生にまかせておけば心配ないとも、僕に伝えてくれた。
……あのふたりを見たら。
今回は『失恋』じゃないとわかって、正直少しホッとした。
教室を出て、非常階段の扉を開ける。
数段上を見上げると、そこには予想どおり。
散々泣きじゃくったみたいな顔の女の子が、わたしをジッと見つめている。
「ここで、佳織先生なの?」
「最近、出番少ないでしょ?」
「なにそれ……」
由衣ちゃんが、少しだけやさしい目をしてくれた。うん、これなら大丈夫。
「『彼』だと、困るでしょ?」
「いまは、ちょっと……」
「月子ちゃんに、頼もうかとも思ったけど。あの子、わざわざ遠回りしてきたのよね。じゃぁわたしかぁ……って。たまには仕事しろっていわれちゃったみたい」
そう、三藤月子はいつもなら。
非常階段経由で、すぐに飛んでくるはずだ。
でもきょうはわざわざ、遠回りをして普通の階段を通ってきた。
由衣ちゃんの、居場所とかはわかるくせに……。
「鈍いふたりじゃ、わたしの心なんてわかんないよ……」
そうそう、ちょっとあのふたりじゃぁ……。まだ無理かもねぇ。
「……お昼途中だって聞いたから。わけてあげる」
この子たちに、なにかありそうだと思うと。
ふとパンを、余分に買ってしまう。
ただ、わたしはまだ『完璧』じゃなくて……。
「佳織、きょうは余分に買ったほうがいいみたいだよ!」
響子の『お告げ』が、役に立つんだよね……。
「……おいしい?」
「うん……。ありがと、先生」
「そりゃぁ今朝買ったヤツだから。パンは買った当日が最高なのよ!」
「なに、それ〜」
「大切なことよ。きっと大人になったらわかるわ」
「もう、どんな大人なのかわかんないよ……」
……それからしばらくは、ふたりで他愛のない話しをした。
「わたし、みんなのところに戻ります」
「そうね」
「でも、なにがあったとかいわなくても、いいですか?」
「そうねぇ、もう聞かれたりもしないかもね」
「そっか……。あ、でもその前に。ちょっと『寄り道』してもいいですか?」
「どうぞ、ご自由に。みんなきっと、わたしに付き合わされて遅いだろう、くらいにしか思ってないわよ」
……先生と一緒に、教室に戻ると。
わたしのカバンは、すでになかった。
それだけではない。
机の中も、きれいに片付いている。
ゲッ、じゃぁロッカーの中見られた?
あ、月子先輩ごめんね。あの人は、無許可でそんなことはしないか。
じゃぁきっとアイツは……。
カバンと、机の中身も全部持たされて、放送室まで運ばされたんだ。
……なにそれ、結構笑える。
「そうそう。高嶺は笑っていれば、それなりにかわいい」
……ふと、アイツがよくいっていたわたしの『評判』を思い出した。
そういえば、セリフ自体は思い出すけれど。
アイツは、最近ちっとも口にはしない。
よし、今度いわせないと!
だってなんか、つまんないもん。
「ちょっとごめんね、本当はまだ早いけど。いまは役立つと思うから」
先生が、そういって。
不思議な大人の粉で、わたしの涙の跡をほとんど消してくれた。
「地肌がキレイなうちは、あんまり使っちゃダメよ」
そうやって、何度もいうもんだから。
「なにそれ。なんかお姉ちゃんみたい」
思わず、わたしはそんな感想を口にした。
佳織先生は、よっぽどうれしかったのか。
「お姉ちゃんっていわれても、おかしくない年齢ですからねぇ〜」
そういって、とびきりの笑顔で喜んでいた。
……よし。
わたしに笑顔が、戻ってきた。
体育祭実行員会の部屋に、向かう途中で。
六組の男子と、ばったり出会う。
「文化祭の日はね、やることがいっぱいあるんだ」
よし、出だしは順調だ。
「だから、一緒には回れません。ごめんなさい」
「そ、そうなんだ……」
「うん。最初に伝えられなくて、ごめんなさい。あ、あと……」
……いまの気持ちを、言葉で伝えればいいんだ。
「放送部のみんなって、特別な関係だからさ」
そう。
「アイツが彼氏かどうかなんて、いまは考えなくていいくらい、大切なんだ」
これでいい。
「お、俺には。よくわからないけれど……」
「それでいいよ、ごめんね。あと、ありがとう」
……六組の男子に、告げたあと。
わたしはひとりで、誰もいない廊下を歩きながら。
その子には伝えなかった、セリフを唱えた。
「……好きな人がいるとわからせてくれて、ありがとう」
もう、恋するだけでは、終われない。
おかげでわかった。
だからありがとう。
わたしが、放送室の前に到着すると。
扉が、ちょうど開いた。
「由衣!」
美也先輩が、わたしを見て。
「おかえりー!」
陽子先輩が、大げさにわたしをハグしてくれた。
部室に戻ると、月子先輩、玲香ちゃん、姫妃先輩の三人が立ち上がったまま。
向かいに座って小さくなっている、海原昴に。
かわるがわる、なにかいっている。
佳織先生と響子先生は、部屋の端っこで好奇の目をキラキラさせながら。
おいしそうに、今度はチョコツイストロールをつまんでいる。
「あ……」
もう、佳織先生。口に入れたまま喋ろうとしないで!
「由衣ちゃん……」
響子先生が、わたしに口だけ動かして、聞いてきた。
「ど・こ・に・い・く・の?」
そんなの、あたりまえじゃないですか!
わたしが目指すのは、『あの席』だけど。
その前にあの三人と、合流する!
「ちょっと! どういう状況か、説明しなさいよアンタ!」
……ひるんだアイツと、ほかの三人の目が。
わたしに、伝えている。
そう、それで、いいんだと。
……大人になって、わたしにもし娘ができたなら。
いつかその子に、伝えよう。
女の子には、たまに勇気をくれたりもする。
……不思議な大人の粉が、あるんだよって。