夜探偵事務所
第六章:夜と闇の邂逅
第六章:夜と闇の邂逅


​『何の用だ?小娘』
スピーカーから響く不機嫌で重い声。だが山本夜は、その敵意に満ちた挨拶にも全く動じなかった。
​「よぅ!滝沢」
​『よぅ!じゃねぇよ。何の用だ小娘』
​「少し助けがいる」
​『報酬は?』
間髪入れず実利的な問いが返ってくる。
​「無い」
夜はからかうように言って笑った。
​『……小娘なめてんのか?』
電話の向こうの男の声に明確な殺気がこもった。
​「あ~!じゃあわかった。報酬は私を殺していい権利だ。どうだ?殺し屋」
夜はおどけた調子でとんでもない条件を提示する。一瞬の沈黙の後、電話の向こうで滝沢が深くため息をつく音が聞こえた。
​『……で俺は何をすりゃいいんだ?』
​「うちの事務所まで来てくれ。詳細はそこで話す」
夜はそれだけ言うと相手の返事も待たずに通話を切った。
​健太は今しがたの会話が信じられず呆然と夜を見つめていた。
「あのぉ……殺し屋とかって聞こえましたけど……」
​「あぁ殺し屋を呼んだ」
夜は「ははっ」と何でもないことのように笑う。健太はもう驚く気力さえ失っていた。
​それからしばらくして。事務所のドアがノックもなしに開けられた。
「よぅ!」
そこに立っていたのはやや大柄で一目で「強者」と分かる威圧感を放つ男だった。滝沢だ。そしてその背後から小柄な女性がひょっこりと顔を出す。
​夜はすっと立ち上がると健太の隣へと移動した。ソファに座る健太と夜。その向かいに立つ滝沢と彼に促されて椅子に座る女性。自然と依頼人と協力者という構図が出来上がる。
​「相変わらず貧乏くせぇ事務所だな」
滝沢は事務所の中をぐるりと見回し、最後にソファに座る健太に視線を止めた。値踏みするような鋭い眼光が健太を射抜く。
​健太は思わず息を呑んだ。冗談や比喩ではない。この男は本物だ。平穏な世界に生きる人間が決して纏うことのない、血と硝煙の匂いを凝縮したような空気を放っている。明らかに自分たちとは住む世界の違う闇の住人だった。
​「で、そちらの女性は?」
夜は滝沢の悪態を無視して隣の女性に視線を移す。
​「は、はじめまして!椎名璃夏(しいな りか)と申します!」
璃夏と名乗った女性は慌てたように立ち上がると深々と頭を下げた。
「秘書と申しますか、そんな感じで滝沢さんのところでお世話になっております」
​「そうでしたか。私は山本夜と申します」
夜は凛とした態度で立ち上がり璃夏に名刺を差し出した。その礼儀正しい所作に滝沢が皮肉っぽく口を挟む。
​「なんだ?そんなに礼儀正しく出来んのか?お嬢ちゃん」
​「そのお嬢ちゃん一人を殺せない殺し屋が秘書まで雇うとは。偉くなったもんだな?」
夜も即座に痛烈な皮肉を返して笑う。
​「チッ!相変わらず可愛げのねぇ女だな」
滝沢は舌打ちすると「まぁそれはいい。で今回の依頼内容はどんなだ」と本題を促した。
​夜はこれまでの経緯を簡潔にしかし要点は漏らさず滝沢たちに話して聞かせた。
話を聞き終えた滝沢は腕を組んで唸った。
​「なるほどな……。てことはその化け物とお前がタイマンしてる間、邪魔をしてくる人間がいたら俺がそいつらを殺っちまえば良いのか?」
​「とはいえ相手は一般人だ。そもそもお前みたいなのが出ていけばだいたいの人間は戦意喪失して逃げ出すだろう」
​「だったら楽でいいけどな」
滝沢が肩をすくめたところで夜は再びスマートフォンを取り出し父である仁に電話をかけた。
​「仁、用意は出来たか?」
​『ワシはお前の……』
​「出来たのか?」
夜は父の小言を遮って強い口調で問い詰める。
​『……まぁだいたい出来た。まだ東京やろ?こっちに来るまでには完璧に仕上げるから安心しろ』
​「じゃあ今からそっちに向かう。決行は今夜だ」
夜はそう言い放ちまたしても一方的に電話を切った。
​「おい、お前の実家でやるのか?」
滝沢が尋ねる。
​「そうだが?」
​「そこまでどうやって行くんだよ?」
​「お前が運転するんだよ」
夜がさも当然のように言った。
​「あぁ?タダで仕事させた上に足までやれってかてめぇ!」
滝沢が椅子を蹴立てんばかりの勢いで立ち上がる。
​「あぁ!私が!私が運転しますから滝沢さん!」
璃夏が慌てて滝沢をなだめようと二人の間に割って入った。
​「い~え璃夏さん。コイツにさせれば良いんですよ」
夜は火に油を注ぐようにニコッと微笑んだ。
​「てめぇーーっ!」
​「滝沢さん!行きましょう!ほらっ!ねっ!」
璃夏は今にも暴れ出しそうな滝沢を必死に羽交い締めにして事務所の外へと引っ張っていく。
​そのあまりに混沌としたやり取りを前に健太はただただ呆然と座り尽くすしかなかった。
​こうして悪霊に取り憑かれた大学生、死にたがりの霊能力探偵、腕利きの殺し屋、そしてその秘書という奇妙奇天烈な一行は決戦の地、京都にある夜の実家を目指し東京を後にした。
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