夜探偵事務所

​事務所を出て滝沢の黒いセダンに乗り込む。
結局滝沢は璃夏によって助手席に押し込まれた。璃夏が慣れた様子で運転席に収まる。
​「健太お前は後ろ」
夜に促され健太は後部座席に滑り込んだ。夜も隣に座り重いドアが閉まる。
​車は静かに走り出した。東京の夜景が窓の外を流れていく。
しばらくして夜が無言で何かを手渡してきた。黒いアイマスクと耳栓だった。
​「これ着けとけ」
「え……これは?」
「事務所の結界はもうない。またあの花柄が見えるかもしれん。変な声が聞こえるかもしれんぞ」
​夜の淡々とした声に健太は息を呑む。あの冷たい感触が背筋を這った。
​「精神が弱ってるお前は特に狙われやすい。余計なものを見る前聞く前に意識を塞げ」
健太は黙って頷きアイマスクと耳栓を装着した。視界が闇に閉ざされ外界の音が遠のいていく。

​車が高速道路に乗ってすぐ助手席から寝息が聞こえ始めた。滝沢だった。
「……危機感のない殺し屋だな」
夜が呆れたように呟く。その言葉に運転していた璃夏が「プッ!」と耐えきれずに吹き出した。
「璃夏さんはまたどうしてコイツのところにいるんですか?」
夜が興味深そうに尋ねる。
「えへへ……実は元々私滝沢さんのターゲットだったんですよ」
「と言うことは殺される予定だったと?」
「はい。でも色々あって……逆に助けて貰っちゃって」
璃夏は少しだけ遠い目をして言った。
「それでそれで?」
夜は身を乗り出すようにして話の先を促した。その目は好奇心でキラキラしている。
「それで表向きの私は死んだことにして戸籍上も……。で次に目が覚めたら病院のベッドの上で。容姿も整形手術で全くの別人になってたんです」
「へぇー!今は新しい戸籍?そんな大掛かりなこと誰に頼んだの?」
「その時のクライアントがある大物政治家の方で……元総理のご子息だったんです」
璃夏は少し声を潜めて言った。
夜の目の色がスッと変わった。
「元総理の息子……。まさか二年前に起きたあの元総理の"事故死"とされてる暗殺事件の?」
「……はい。滝沢さんへの正式な依頼は元総理……つまり大物政治家の父親の暗殺でした。そしてその時の報酬の代わりに私の新しい戸籍と言うことで……」
「へぇー……。一国の元とはいえトップを狙う仕事の裏でそんな人助けみたいな真似をしてたのか。さすがだねぇ滝沢。肝心な時に寝てるし元総理は殺れても私は殺せないけどね」
夜は助手席で眠る男をちらりと見て愉快そうに笑った。
「で勝手に容姿を変えられてどう?その顔気に入ってる?」
「ん〜?でも前の顔よりは可愛いから良いかなって感じですね」
璃夏はあっけらかんと言った。
「というか生きていくにはこうするしか無かったですし」
「まぁそうだね」
「あ!でもでも!」
璃夏が何かを思い出したように声を弾ませる。
「胸が今Eカップあるんです!前はすごく小さかったからそこは嬉しいかもしれません!」
「そりゃコイツの趣味なんじゃないの?このスケベ殺し屋の」
夜がニヤリと笑って言った。その言葉に璃夏も「あははっ!」と声を上げて笑う。二人の楽しそうな笑い声が車内に響いた。
その時だった。
「――うるせぇーぞ!てめぇら!」
寝ていたはずの滝沢が目も開けずに唸った。
「寝れねぇーじゃねぇか!」
夜と璃夏は顔を見合わせ再びクスクスと笑い合った。
そんな奇妙に和やかな時間が流れる中一行を乗せた車は西へ西へと進んでいく。やがて高速道路を降り古都の静かな闇の中へと入っていった。
そして山の麓に広がる広大な敷地の前で車は静かに停車した。そこには長い石畳の参道の先に荘厳な山門が闇に浮かび上がっている。
夜の実家である深妙寺(しんみょうじ)に到着した。
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