Blue Moon〜小さな夜の奇跡〜
「小夜。俺もさ、ここの給料だけだと生活苦しいから、演奏させてくれるところ探したいんだ」
いつものように閉店後の店内で、光が真剣に切り出した。
「そっか、そうだよね。うーん、でもジャズの世界は私もあんまりツテがなくて。やっぱりライブハウスとかじゃない?」
「そうだよな。それにしても俺、今の日本の音楽事情がよくわかんなくて。一応、流行りの曲なんかは検索してみたけど、実際のところどんな曲をどこで弾けば喜ばれるのか、いまいちわかんない」
「なるほどね。でもそれは私も同じだったよ。私が演奏してるあのバーは、五十代とか六十代の男性客が多くて、こういう曲が喜ばれるなってわかるまで時間かかったし。この路線でいいよってマスターに認めてもらえて、今も続けさせてもらってる。だけど客層が代わればいつクビになるかわからない。残念ながら、今の日本はまだまだ音楽で生活するのは大変だよ」
「確かに。俺もさ、変なこだわりとかポリシーは捨てて、ある程度柔軟にやっていかなきゃと思ってる。ジャズしか弾かねえ、なんて大口叩いて通用するほど上手くないし」
ええ?と小夜は驚く。
「光くんがそんな弱気なこというの、初めて聞いた」
「弱気じゃなくて、事実だろ。音楽だけで食べていけて、ましてやCD出したりコンサート開いたりできる人間なんて限られてる。自分にもできる、なんて勘違いするほどバカじゃないよ、さすがの俺も」
光の言葉に、小夜は口を閉ざしてうつむいた。
(音楽だけで食べていけて、CDを出してコンサートも満席にできる。そういう人なんだ、来栖さんは)
改めてそのことを思い出した。
「雲の上の存在だよね、そういう人って」
「ああ、そうだな。音楽の神様に愛された、ごくごくわずかな選ばれし者って感じ。住む世界が違うよ」
「そうだよね。接点なんてなにもない」
「そっ。俺たち凡人は凡人同士、肩寄せ合って生きていこうぜ」
「そうだね。ホテルのスイートルームなんて、絶対に泊まれない」
「なに、小夜。スイートルームに泊まりたいのか?」
「ううん、普通にスイートルームに泊まる人とは感覚も違うだろうなって」
そうだ、きっとあの人とはなにもかもが違い過ぎる。
今でもバーでピアノを弾いていると、ふと彼の演奏を思い出すことがあった。
だがもう完全に忘れなければ。
やはりあの夜のできごとは、ブルームーンが作った幻のひとときだったのだ。
大丈夫、こうやって日常生活を送っていれば、時間と共に思い出さなくなる。
うつむいてじっと考えていると、光がそっと顔を覗き込んできた。
「小夜?」
「ん?なに」
「いや、なんかどっかに行きそうな気がしたから」
「え? どこかって、どこへ?」
「俺の手の届かないところ」
「えー、なんで? 私、凡人だよ? 牛丼チェーン店界隈にいるって」
光は一瞬ポカンとしてから笑い出す。
「はははっ! なにそれ」
「まあ、つまり凡人エリアってこと」
「なるほどね。俺と小夜はご近所さんって訳だ」
「そう。平々凡々町内会」
「ぶはっ! 今でもあるのか? 町内会って」
「あるよ。はい、回覧板」
「懐かしっ!」
互いに顔を見合わせて笑う。
この空気感がちょうどいい。
私のいるべき場所はここなんだ。
小夜は自分にそう言い聞かせていた。
いつものように閉店後の店内で、光が真剣に切り出した。
「そっか、そうだよね。うーん、でもジャズの世界は私もあんまりツテがなくて。やっぱりライブハウスとかじゃない?」
「そうだよな。それにしても俺、今の日本の音楽事情がよくわかんなくて。一応、流行りの曲なんかは検索してみたけど、実際のところどんな曲をどこで弾けば喜ばれるのか、いまいちわかんない」
「なるほどね。でもそれは私も同じだったよ。私が演奏してるあのバーは、五十代とか六十代の男性客が多くて、こういう曲が喜ばれるなってわかるまで時間かかったし。この路線でいいよってマスターに認めてもらえて、今も続けさせてもらってる。だけど客層が代わればいつクビになるかわからない。残念ながら、今の日本はまだまだ音楽で生活するのは大変だよ」
「確かに。俺もさ、変なこだわりとかポリシーは捨てて、ある程度柔軟にやっていかなきゃと思ってる。ジャズしか弾かねえ、なんて大口叩いて通用するほど上手くないし」
ええ?と小夜は驚く。
「光くんがそんな弱気なこというの、初めて聞いた」
「弱気じゃなくて、事実だろ。音楽だけで食べていけて、ましてやCD出したりコンサート開いたりできる人間なんて限られてる。自分にもできる、なんて勘違いするほどバカじゃないよ、さすがの俺も」
光の言葉に、小夜は口を閉ざしてうつむいた。
(音楽だけで食べていけて、CDを出してコンサートも満席にできる。そういう人なんだ、来栖さんは)
改めてそのことを思い出した。
「雲の上の存在だよね、そういう人って」
「ああ、そうだな。音楽の神様に愛された、ごくごくわずかな選ばれし者って感じ。住む世界が違うよ」
「そうだよね。接点なんてなにもない」
「そっ。俺たち凡人は凡人同士、肩寄せ合って生きていこうぜ」
「そうだね。ホテルのスイートルームなんて、絶対に泊まれない」
「なに、小夜。スイートルームに泊まりたいのか?」
「ううん、普通にスイートルームに泊まる人とは感覚も違うだろうなって」
そうだ、きっとあの人とはなにもかもが違い過ぎる。
今でもバーでピアノを弾いていると、ふと彼の演奏を思い出すことがあった。
だがもう完全に忘れなければ。
やはりあの夜のできごとは、ブルームーンが作った幻のひとときだったのだ。
大丈夫、こうやって日常生活を送っていれば、時間と共に思い出さなくなる。
うつむいてじっと考えていると、光がそっと顔を覗き込んできた。
「小夜?」
「ん?なに」
「いや、なんかどっかに行きそうな気がしたから」
「え? どこかって、どこへ?」
「俺の手の届かないところ」
「えー、なんで? 私、凡人だよ? 牛丼チェーン店界隈にいるって」
光は一瞬ポカンとしてから笑い出す。
「はははっ! なにそれ」
「まあ、つまり凡人エリアってこと」
「なるほどね。俺と小夜はご近所さんって訳だ」
「そう。平々凡々町内会」
「ぶはっ! 今でもあるのか? 町内会って」
「あるよ。はい、回覧板」
「懐かしっ!」
互いに顔を見合わせて笑う。
この空気感がちょうどいい。
私のいるべき場所はここなんだ。
小夜は自分にそう言い聞かせていた。