Blue Moon〜小さな夜の奇跡〜
バーでの週末の演奏。
小夜は馴染みの男性客からリクエストされた『ANGEL』を、まだ弾けずにいた。

弾くとどうしても気持ちがコントロールできず、涙が溢れて止まらなくなるからだ。

「すみません、もう少し待ってくださいね」

そう言って頭を下げると、男性は「いいよ、いいよ。小夜ちゃんのペースで」と笑いかけてくれた。
早く期待に応えたいと、小夜は毎日毎日この曲を練習する。

(彼のことを、遠い昔の思い出にできたらいいのに)

そう願うが、弾けば弾くほど心が想で埋め尽くされ、想いが込み上げてきた。

「小夜」

いつものように閉店後の店内でピアノに向かっていると、光が近づいてきた。
小夜は、こぼれた涙を慌てて指先で拭ってから振り返る。

「なに?」
「……もう弾くな」
「え?」
「小夜を苦しめるだけだ。その曲の思い出も、その男も」

小夜は言葉に詰まって光から目をそらした。

「小夜、俺を見て。目をそらすのは俺からじゃない。その男からだ」

思わずハッとして視線を上げる。
真剣な眼差しの光と目が合った。

「俺だけ見てろ。忘れさせてやるから」

そう言うと光は身をかがめて、小夜をギュッと抱きしめる。

「帰ろう。うちまで送る」

耳元でささやかれて、小夜はなにも考えられず、ただ頷いた。
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