Blue Moon〜小さな夜の奇跡〜
♣♣♣

「小夜、なにか弾いて」

しばらくすると想は立ち上がり、グランドピアノに小夜を促す。

「ええ? 想みたいに上手くないよ」
「小夜の演奏が聴きたい。俺にとっては最高の音楽だから」

真剣な眼差しで言うと、小夜はおずおずとピアノの前に座った。
「なにを弾こうかな」と呟き、ふと隣に立つ想を見上げる。
ピアノに少し腕をかけて、想は「ん?」と穏やかに小夜を見つめた。
小夜はふっと微笑むと、鍵盤に両手を載せる。
そっと奏で始めた曲は、ショパンの夜想曲。
『ノクターン第二番』

優しく美しく、小夜はにごりのない澄んだ音色を響かせる。
心が浄化されるような気がして、想は目を閉じた。
幸せが胸いっぱいに込み上げる。
まるで小夜が自分を温かく抱きしめてくれるような気がした。

ずっと一人だった孤独な日々。
すっかり冷たくなった心。
それが小夜によって温かく溶かされ、喜びで満たしてくれる。

もう二度とこれまでの日々には戻れない。
こんな幸福を知ってしまったから。
もう二度と一人にはなれない。
小夜と出逢ってしまったから。

目がくらみそうなほどの幸せに、本当に掴んでいいのかとさえ思う。
だが小夜の音色は、恐れおののく自分の戸惑いも、大きく包み込んでくれる気がした。

小夜が音に乗せて届けてくれた想いに、自分も音で返したい。
やがてゆっくりと演奏を終え、照れたように可憐な微笑みを浮かべる小夜にキスをすると、今度は自分がピアノに向かう。

小夜に、小夜だけに捧げる曲は、もちろんセレナーデ『小夜曲』
バーでの演奏を最初で最後にするつもりだったが、こうして直接小夜に届けられることが嬉しい。

想はありったけの想いを込めて奏でた。
小夜への愛、感謝、幸せ、切なさと愛おしさ。
言葉にできない想いをすべて音に込めた。
じっと隣で聴き入っていた小夜は、想が演奏を終えるとぽろぽろと涙をこぼしながら、ギュッと抱きついてきた。

「ありがとう、想」
「こちらこそ。この曲を書かせてくれてありがとう、小夜」

二人でいつまでも互いを抱きしめ合っていた。
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