Blue Moon〜小さな夜の奇跡〜
嫉妬
早めに仕事を巻き上げてホテルにやって来た想は、駐車場に車を停めた時、小夜からのメッセージを受信した。

(これから本番か。こっそり聴きに行こうかな)

今夜の観客は若いカップルが多いと聞いている。
もしかしたら『アーティスト 想』を知っている女性もいるかもしれない。

(演奏が始まってからこっそり入って、店の入り口辺りで聴いていればいいか)

髪型も崩して黒縁メガネもかけているし、もともとメディアの露出も多くない。
ファンならともかく、そうではない人に気づかれることはないだろう。

そう思い、フロントでカードキーを受け取ってからバーに向かった。

店内に足を踏み入れると、グッと照明が絞られており、これなら大丈夫そうだと歩を進める。
聴こえてきたのは、エリック・サティの『ジュ・トゥ・ヴ』

(ん? この弾き方、小夜じゃない?)

ステージに目を向けると、ブルーのシャツを着た若い男性がピアノに向かっていた。

(……上手いな)

楽しそうに笑みを浮かべて、耳馴染みのある三拍子の曲をオシャレにスウィングで弾いている。
即興で色んなスパイスを加え、曲の魅力を広げていた。
人を惹きつけるオーラもあり、客席の女性たちもうっとりと彼を見つめている。

その時、カウンターにいたマスターが想に近づいてきて、こちらへと目配せする。
パーテーションの影に置かれたハイチェアを想に勧めた。
ここなら、客席から見られないだろう。

「ありがとうございます、マスター」
「いいえ。どうぞごゆっくり」

そう言うとマスターは、またカクテル作りに戻る。

(やっぱりマスターにはバレてるんだろうな)

敢えて話題にはしないが、マスターは想のことを知っていてさり気なく気遣ってくれる。
小夜とクリスマスの夜に引き会わせてくれたのも、きっと意図してのことだろう。
その観察力と配慮に、改めて想はありがたい気持ちになった。

いつしか演奏はエルヴィス・コステロの『She』に移る。

(間の取り方が秀逸だな。若いのに、いい演奏をする)

感心していると、次に聴こえてきたのは、オペラ座の怪人より『The Music of the Night』
彼は雰囲気を変え、憂いを帯びた表情で切なげに奏でる。
弾き終わると、ふと柔らかい笑みを浮かべた。

『美女と野獣』
次に聴こえてきたメロディに、観客も緊張を解かれて、うっとりと聴き入る。

演奏が終わると彼は立ち上がり、拍手に応えてお辞儀をする。
そして左胸に挿していた赤いバラの花を取り出し、後方に視線を向けて差し出した。
皆も振り返って注目する。
そこに、赤いドレス姿の小夜がいた。
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