あのね、先生

episode10. 紅葉と高揚🍁


美沙さんに出会ったあの時の暑さが懐かしくなるほど、
季節はあっという間に進み——


気づけば街はもう、秋の気配を(まと)っていた。


いつも通りの授業のあと。
SNSで見かけた紅葉スポットの話を、何気なく先生にしてみた。


「そういえば、この近くの公園、紅葉がきれいらしいですよ」


ホワイトボードの字を消す先生が、こちらを振り返る。


「じゃあ、少し歩いてみる?」


……え、本当に?


軽い調子。
だけどその一言だけで、胸が弾んだ。


先生も時間があるというので、
二人で公園へ向かった。


「わぁ……」


イチョウの葉が鮮やかに染まり、
地面には黄色い絨毯(じゅうたん)が広がっていた。


「たしかに、きれいだね」


先生は空を見上げながら、静かに言った。

落ち葉を踏む音が、やけに近い。



「秋は好き?」



不意に聞かれて、肩が小さく跳ねた。


「好きです。落ち着くし……少し寂しい感じもして」

「わかる」


そう短く返す横顔が、
いつもより大人びて見えた。


少し冷たい風が吹き、落ち葉が舞う。
その瞬間、先生からふわりと優しい香りがした。


鼓動がひとつ、強く鳴る。


「……なんか、いい匂いします」

「え、そう?」


驚いたように目を丸くする先生に、
うまく言葉が見つからない私は、小さく頷いた。


気まずさを紛らわせるように、話題を変える。


「……英語を教えるの、楽しい?」

「楽しいよ。でも、生徒によるかな」


——生徒による。
その言葉が、少しだけ胸に引っ掛かった。


「それって……?」


先生は少しだけ笑った。


「特別な生徒がいると、もっと教えたくなるでしょ」


視線が合う。

その瞬間、心臓がドキッと跳ねた。


「どうかした?」

「い、いえ……」


さっきから落ち着かない胸に、
そっと手を当てたその時。



「……俺がいなくて寂しかった?」



———え?


時間が止まる。


「そんなこと……」


否定しようとした声が揺れた。


寂しくないわけ……ない。


先生が塾を辞めたあの時。

私がどれだけ『先生にはもう会えないんだ』って
自分に言い聞かせたか、知らないくせに。



そんなこと急に聞くなんて———ずるい。



閉じ込めたままにしていた気持ちが、

不意にほどけた。



頬をつたうように、涙がこぼれ落ちる。


あれ、なんで………


思わず地面を見るように(うつむ)く。

黄色い絨毯がぼやけていく。


「ごめん、俺変なこと聞いた?」

「違うんです……先生のせいじゃなくて」


先生はポケットからハンカチを差し出した。


「これ使って」


それは、シンプルなデザインのもの。


「でも……」

「いいから」


言われるまま受け取ると、
ほのかに同じ香りがした。



——知らなかった。


先生がこんなハンカチを使うことも。



そのとき、美沙さんの言葉がよぎる。



”好きな人の、知りたいことは自分から聞かないと”



もっと知りたい——

強く、そう思った。



「……落ち着いた?」



先生が心配そうに、私を覗き込む。



「すみません、大丈夫です……。あの、ハンカチ……」

「まだ泣きそうな顔してるから、持ってなよ」



そう柔らかく笑う先生を見て、
私は思った。



もう少しだけこの時間が続けばいいのに……



その時だった。



「カフェでも行こうか」



先生は私を見たまま、そう言った。



秋の風が、静かにイチョウの木を揺らしていた。


ーーー
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