あのね、先生

episode19. ブラックの理由🖤


気づけば、あれからずっと

飲み物を選ぶときは”ブラック”を選んでいた。


「ブラックなんて飲めたっけ?」


その声に顔を上げると、

休憩室の入り口から、先生が顔を覗かせていた。


「えっと……はい。最近はよく飲んでて」


手に持っていた紙コップを見る。


正直に言えば、
まだおいしいとは思えない。


だけど、

少しだけ先生に近づける気がして、
苦みもなんだか悪くなかった。



「そっか、なんか意外だな」


私の前の椅子を軽く引く。


「ここ、座ってもいい?」


小さく頷くと、先生は静かに腰を下ろした。



「……学生の頃、甘いのしか飲めないって言ってなかった?」


不意を突かれて心臓が小さく跳ねる。


何年も前に言った、
他愛もない会話だったのに。



「覚えてたんですか…?」

「うん。冬の日にココアを手に持ってて、

“甘くて一番好きなんです”って言ってたの、ちょっと印象に残ってた」



先生の記憶の中に
何気なく言った言葉が残っていて、嬉しかった。


「最近は、ちょっと大人になったというか」


そう返すと、先生が柔らかく笑う。


「そっか。じゃあ、俺と同じだね」

「……え?」

「俺もさ、昔はコーヒー苦手だったんだ。なんか、苦いだけで美味しくないって思ってたし」



——意外だった。

てっきり、昔から苦いのも平気で、
大人びた人だと思っていた。



「でも社会人になって、しばらくぶりに飲んでみたら意外と飲めてさ」

「……大人になったんですね」


「うん。でも多分——」


そう言って、ほんの少し視線を落とす。


「大人になったからっていうよりは、
気持ちの切り替えとか、そういうのにちょうどよかったんだと思う」

「気持ちの……切り替えですか?」

「うん。忙しい日とか、考え事が多いときに、
無理やりリセットするみたいな感じ」


その時、先生と目があう。




「だから俺、コーヒー飲んでるときって、意外と真面目なこと考えてるかも」




じゃあ——

自販機の前でコーヒーを飲んでいた
あの夜も、
何かを考えていたのかな。




「あの時もですか?」

「……あの時?」

「マフラー貸してくれた日、自販機の前でコーヒーを飲んでましたよね」



その瞬間、
先生の表情がわずかに和らいだ。



「たしかに、あのときも——ちょっと考えてた」



胸が微かに音を立てる。



「何を、ですか……?」



先生は一瞬だけ私の紙コップを見て、

視線を逸らした。




「なんでだろ。思い出せないな」




伏せ目がちに笑うその顔は、
どこか少しだけ不自然だった。


けれど、それ以上聞けなくて。


私は、紙コップを口に運んだ。



——先生は、あのとき。




私が自販機についたとき、

マフラーを巻いてくれたとき、




何を思っていたんだろう。



一口飲んだコーヒーからは、

ほろ苦さと、ほんのり甘い疑問が、
口の中に広がった。


ーーー
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