あのね、先生
【番外編】それはまた、いつか話すよ🌱
季節の境目が、
こんなにもはっきりと感じられる夜は、
そう多くない。
——マフラーを貸したとき。
あの夜は、特にそうだった。
冬の入り口をくぐったような、
そんな匂いがしていた。
スクールを出て自販機に向かうと、
偶然見かけたのは三崎さんだった。
彼女は、手をこすりながら
首をすくめて歩いていた。
なんか寒そうだな……
声をかけようとして、
なぜか一瞬、迷った。
“教え子”に対して、
こんなふうに心がざわつくのは
良くないんじゃないかって——
自分の中の何かがブレーキをかけた。
——コトン。
落ち着こう。
そう思って、自販機で缶コーヒーを購入した。
もちろん、ブラック。
「えっ、先生……?」
けれど、その声を聞いた瞬間に
ブレーキは、簡単に外れた。
「……ああ、おつかれさま。」
本当は気づいていたくせに、
とぼけてみせた。
振り返った彼女の顔は、
驚いたような、でもどこか嬉しそうで。
その顔を見ると、
どうしていいか分からなくなる。
とりあえず、缶コーヒーを開けた。
「寒くてさ。あったかいコーヒーでも飲もうと思って」
彼女も、やっぱり飲み物を買いに来たらしい。
ペラペラのワンピースに薄いジャケット——
夜の冷え込みには少し心もとない格好でそこに立っていた。
寒いだろうな、と思った。
それだけのはず——だったのに。
気づいたら、自分のマフラーを
彼女の首元にそっと巻いていた。
「これ、貸すよ。家ちょっと遠いでしょ?」
心のどこかで、“気づかれないように”って思ってた。
それなのに、行動が先に出た。
彼女の顔を見て、俺自身も戸惑っていた。
「風邪、引く方が困るでしょ」
なんて言って。
自分でも、どうかしてるなって思って
すぐにその場を離れた。
……変だな、俺。
けど本当は、
もっと前から気にしていたんだと思う。
紅葉を見に行った日。
あんな顔を見るのは初めてだった。
「カフェでも行こうか」
彼女がいま何を感じているのか、
泣いている理由が知りたくて、
そう声をかけた。
カフェで飲み物だけ頼むつもりだったけど、
彼女はメニューにあったプリンを欲しそうに 見ていた。
——遠慮してるんだろうな。
すぐにわかった。
だから気兼ねなく食べれるように
プリンを2つ頼んだ。
甘いものは苦手だったけど、
少しでも笑う顔が見たくて。
そして、彼女は打ち明けてくれた。
”もう会えないんだって思う度、勝手に落ち込んで、悲しくなって”
”先生のことが好きだったんです”
正直、知らなかった。
俺が塾を辞めたとき、
そんなふうに思ってくれていたなんて。
でも俺は ——
何かを伝えようとして、言えなくて。
”それはまた、いつか話す”って言って、
笑って誤魔化した。
カフェを出ると、 彼女が聞いてきた。
「そ、そういえば先生って、甘いもの好きなんですか!?」
やばっ……俺、どこかで言ったんだっけ?
「………まぁね」
とりあえず、”食べられる風”に装う。
けど、彼女が言ってきた。
「プリンになかなか手をつけなかったので、嫌いだったのかなと思って」
ちゃんと見られていた。
「……そんなことないよ?」
バレるのを避けながら、押し通すしかなかった。
それでも彼女が“意外だった”と
言ってくれた おかげで、なんとか助かった。
ただ。
彼女の気持ちを聞いたその日から、
何かが少し変わったのは、間違いない——
それが顕著に出ていたのは、
ハロウィンの夜だった。
彼女は——いつもとは違う雰囲気だった。
そして始まったジェスチャーゲーム。
おそらくあれは長田の仕込みだろう。
彼女のお題にもすぐ気づいたが、
わからないふりをした。
真剣に、でもどこか恥ずかしそうに
お題を当ててもらおうと頑張る姿が、
可愛くて、ずっと見ていたくて。
罰ゲームで言った言葉は……
正直、ふざけすぎたかもしれない。
けど。
彼女を見ていると、
つい、からかいたくなる。
彼女は俺に、新鮮な気持ちをくれる。
素直な感情をぶつけてくるからだろうか。
あの自販機でブラックを買ったときも
そんな風に彼女のことを考えていた。
なのに。
あのマフラーを貸した夜、
コーヒーを飲みながら何を考えていたのか。
そう聞かれた俺は、
「なんでだろ。思い出せないな」
覚えていないフリをした。
本当は、
気になって、仕方がない。
だから寒そうにしていた彼女に
マフラーを貸したのは、たぶん……
ただの親切じゃない。
そうやって、俺は、
彼女との距離を、
少しずつ縮めたいと思ってしまっている。
そう気づいてしまった自分に
いちばん戸惑っているのは——
きっと俺だ。
ーーー