あのね、先生
episode21. 封を切った日🕯️
先生がスクールから姿を消して、
代理講師の牧村先生——マシューになってから数週間が経った。
相変わらず教室には、
ぼんやりとした声が響く。
「あ、あの……三崎さん。前回の、ええっと……続きから、ですね……」
目の前でマシューが、
おどおどした手つきでテキストをめくる。
彼は悪い人ではない。
むしろ、一生懸命に教えようとしてくれている。
それは伝わってくるけど……
やっぱり、違う。
マシューの解説は丁寧だけど、
どこか遠回りで、
先生のような、私の躓きを先回りして
解きほぐしてくれるような俊敏さはない。
授業後、 どうしても気になった私は
マシューに話しかけた。
「牧村先生、あの……佐野先生って、今どこにいらっしゃるんですか?」
マシューは、「あ……」と
ソワソワしながら手元のファイルを持ち直した。
「……えっと……さ、佐野は、今、別校舎に行ってて……」
「別校舎……?」
「……その……しし指名してる生徒がいて……。 その子がた、たしかスクール長の、お、お嬢さんで……」
「スクール長の、お嬢さん——?」
その言葉が、なぜか少しだけ胸をざわつかせた。
どんな人なんだろう。
先生は今、私の知らない場所で、
その人と向き合っているかな……。
「は、はい……。い、忙しいせいか最近は……ずずずっと控え室でも怖い顔して黙って……あの、ブ、ブラックコーヒーばっかり飲んで……ます」
——別校舎。ブラックコーヒー。
「……わかりました、ありがとうございます」
私は、あの日。
休憩室で先生に声をかけられた時と
同じ席に座り、
あの時と同じように紙コップを手に持った。
”俺、コーヒー飲んでるときって、意外と真面目なこと考えてるかも”
”忙しい日とか、考え事が多いときに、無理やりリセットするみたいな感じ”
先生があの日、ここで話していたことを思い返す。
先生は今、何かを
無理やりリセットしようとしているの……?
なんて考えながら、コーヒーを一口飲む。
けれど、私の中の引っ掛かりは、
リセットされることはなかった。
***
重たい足取りで、
マンションのエントランスに足を踏み入れる。
その時——
ふと横の郵便ポストが、
わずか開いていることに気づいた。
不思議に思って、ポストの中に手を伸ばす。
「——えっ」
一瞬息が止まりそうになる。
入っていたのは、見たこともない真っ黒な封筒。
宛名も差出人の名前もない。
嫌な予感しかなくて、部屋に入る前に、
廊下の明かりの下で封を切った。
恐る恐る中を開くと薄紙のような便箋に、
たった4行だけが手書きで綴られていた。
『——気づいてるよね? 君のすぐそばで、いつも“見ている”ことに。 大丈夫、怖くないよ。 だって、君のことが……ずっと好きだから。』
「……なに、これ……」
ぞっとした。
心臓の音が大きくなっていく。
一体誰が?
どうして、なんのために?
頭の中で疑問が渦巻いた。
——『すぐそばでいつも』。
一瞬、脳裏に先生の顔が浮かぶ。
でも、そんなはずがない。
まさか、私が先生のことを今もずっと好きって知ってて、面白がってこんなことを……?
あるいは、全く知らない誰かが、私の生活を覗き見ている……?
思わず手紙を落としそうになりながら、
辺りを振り返る。
誰もいない。
封筒には何の情報もない。
筆跡にも見覚えはない。
ただひとつ言えるのは、 この手紙は——
明らかに“普通”ではないということだった。
部屋に飛び込み、鍵を閉める。
鼓動が速くなるのを感じながら、
微かに震える手で手紙をたたんだ。
静かな部屋に、時計の音だけが、
カチカチと響いていた。
ーーー