あのね、先生

episode22. ささやき☁️


美沙さんと食事の約束をしていた週末。

スクール近くのイタリアンで
私たちはパスタとワインを頼んだ。


「柚葉? さっきからパスタ、全然減ってなくない?」


美沙さんの声にハッとして、
私は慌ててフォークを動かす。


「あ……すみません。ちょっと、最近仕事がバタバタしてて食欲が……」

「ふーん。……仕事、ねぇ」


美沙さんは私の嘘を見抜いたように
にやりと笑うと、ワイングラスを傾けながら、
私の顔をじっと見た。


「それ、先生のことじゃなくて? ……マシューから聞いたよ。佐野先生、別校舎の対応でしばらく不在だって」

「……はい、指名が入ってるらしくて」


目の前のパスタに視線を落とす。

美沙さんは残りのワインを飲み干し、
グラスを”カタン”とテーブルに置いた。


「……それ、”篠宮さん”じゃない?」

「篠宮さん……?」

「知らない? スクール長の娘さんで、見た目も態度もお嬢様みたいな子。可愛いらしいけど、結構ワガママで有名らしいよ?」


……あ。


スクール長の娘さん——
マシューが言っていた生徒のことだとその時分かった。


美沙さんが周囲を一瞬だけ見渡して、
私に顔を近づける。


「……噂によると、その『お嬢』が佐野先生を気に入ってて、スクール長が先生に頼み込んだらしい」

「えっ、そうなんですか……?」

「うん。自分の思い通りにならないと気が済まなくて、気に入らないと片っ端から排除してくみたいな話も聞いたことあるし。だからその——」


美沙さんは何かを言いかけて止めると、
言葉を選ぶようにして再び口を開いた。




「佐野先生は……よほど気に入られたんだと思う。当分は、こっちに顔出せないかもね……」



そんな事情があったなんて……

知らなかった。



私が言葉を詰まらせると、美沙さんは

「なんか暗くなっちゃったね、ごめん」

と笑って話を逸らしてくれた。



——先生もそのことで頭がいっぱいだったから、

最後の授業のとき、“壁”を感じてしまったのかも。



……私のことなんて、気にしてるわけないよね。




美沙さんの話を聞いていたら、
自分のことなんてちっぽけに思えてきて、

あの黒い手紙のことも結局言い出せなかった。



***



——その頃、スクールにて。

佐野が久々に本校に戻ってきていた。
控え室で顔を合わせるなり、彼の方から声をかけてきた。


「最近、生徒たちどう?」

「ど、どうって……普通にやってるよ……?」
(※男同士だと普通に喋れる人)

「……そっか」



佐野は安堵した表情で手に持っていたブラックコーヒーを口にした。



「お前またそれ飲んで——」


「三崎さんは大丈夫か? 授業、ちゃんと受けてるか」


……あの生徒が気になるのだろうか。

佐野はいつになく真剣な眼差しで俺の言葉を遮るように聞いてきた。



「……あぁ、一生懸命やってるよ。そういえばお前のこと、気にしてたな」

「え?」

「“今どこにいるのか”って聞いてきたよ。だから、 別校舎に呼ばれて行ってるって伝えておいた」


「そうか」と言ってうつむく佐野。

正直、驚いた。
彼が”個人的に”生徒——いや、彼女のことを気にかけるなんて。



俺たち講師にとって「生徒は生徒」だ。
それ以上でもそれ以下でもない。



佐野は誰よりもそのあたりに関して線引きが上手い男だと思っていた。


今までもそんな風に誰かを心配したり、
様子を聞いてきたりするところを見たことがなかったから。





その時、ふと思った。

彼が今日、ここへ戻ってきたのは。




「まさかお前、あの生徒のこと——」

「………まさか」





彼は低く呟き、紙コップに視線を落とした。





「”生徒”だしな……。まさか、ないよな………?」





俺は、彼の「ない」と言い切る返事を聞きたかったんだと思う。



佐野は、それ以上答えることもなく、
ただ背中を向けて控え室を出て行った。


けど。


その指先が白くなるほど、
紙コップを彼が握りしめていたのを


俺は見逃さなかった。

ーーー
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