ドジっ子令嬢は着ぐるみうさぎに恋をする
5章 ありがとう、ウィル
夜の東京湾を背にした、薄暗い非常階段。
3階の踊り場に、私はそっと腰を下ろした。氷のように冷たい鉄製の段差が、座った瞬間に太ももから背中、骨の髄まで突き抜けていく。
……寒い。冷たすぎる。
でもその痛みが、ほんの少しだけ胸の奥の痛みを紛らわせてくれる気がした。
制服はパレスピーターズのバックオフィス仕様。薄いベージュのノーカラージャケットに、白いラウンドネックのブラウス。灰色がかったアッシュグリーンのスカーフは、もう首に巻く気力もなく、ポケットの中でくしゃくしゃになっている。
膝丈のAラインスカート、薄いストッキング、そして黒い3センチヒールのパンプス。
12月の夜風にさらされる足元は、じわじわと感覚が消えていく。指先も毛先も氷のように冷え切って、吐く息だけが白く漂う。規定通りのポニーテールも今は解いているけれど、髪が首にかかるわずかな温もりなんて、北風の前では無力だった。
左側には黒々とした東京湾の海面。遠くの都会の灯りが、波に揺られて淡く滲んでいる。
その光はまるで、あちら側――キラキラと輝く魔法の世界を映しているようだ。だけど、非常階段のドア一枚隔てたこちらは、華やかさなんて欠片もない、闇と冷たさだけの世界。この場所を選んだのは、他でもない私。
その闇の中で、細い三日月がかすかに光を落としている。折れそうなくらいか弱い光。まるで今の私の心。ちょっと強く触れられたら、ポキっと簡単に折れてしまいそうで。
胸の奥が重く沈んでいく。
あの子たちを泣かせてしまった。
楽しく笑顔で過ごせるはずの場所で、私が台無しにしてしまった。
どうして……どうしてあの時、もっと上手くできなかったんだろう?
あのロビーの地獄絵図から、逃げるようにバックオフィス側へ戻った私。霧島チーフは何も言わず、ただ付き添って衣装部屋まで連れてきてくれた。そこで一言だけ低く、短く放たれる。
「……着替えてこい」
叱られなかった。責められなかった。
でも、それが逆に苦しかった。
ああ、きっと、もう私のことを見限ったんだ。完全に見放されたんだ。
そりゃそうだ。
入社してから、毎日ドジの連続。何ひとつまともにできない。笑顔で頑張るって決めたのに、涙はこらえるって決めたのに。気づけば頬が濡れていた。止めようとしても止まらない。
涙の温もりだけが、冬の夜の冷たさに抗ってくれる。情けなくて、悔しくて、胸がぎゅっと痛む。それでもどうしようもなく、浮かんでしまうのはあの人の顔。
霧島チーフ。
あなたにだけは、見放されたくなかった。
どんなに怖くても、どんなに怒られても……最後の最後まで。
3階の踊り場に、私はそっと腰を下ろした。氷のように冷たい鉄製の段差が、座った瞬間に太ももから背中、骨の髄まで突き抜けていく。
……寒い。冷たすぎる。
でもその痛みが、ほんの少しだけ胸の奥の痛みを紛らわせてくれる気がした。
制服はパレスピーターズのバックオフィス仕様。薄いベージュのノーカラージャケットに、白いラウンドネックのブラウス。灰色がかったアッシュグリーンのスカーフは、もう首に巻く気力もなく、ポケットの中でくしゃくしゃになっている。
膝丈のAラインスカート、薄いストッキング、そして黒い3センチヒールのパンプス。
12月の夜風にさらされる足元は、じわじわと感覚が消えていく。指先も毛先も氷のように冷え切って、吐く息だけが白く漂う。規定通りのポニーテールも今は解いているけれど、髪が首にかかるわずかな温もりなんて、北風の前では無力だった。
左側には黒々とした東京湾の海面。遠くの都会の灯りが、波に揺られて淡く滲んでいる。
その光はまるで、あちら側――キラキラと輝く魔法の世界を映しているようだ。だけど、非常階段のドア一枚隔てたこちらは、華やかさなんて欠片もない、闇と冷たさだけの世界。この場所を選んだのは、他でもない私。
その闇の中で、細い三日月がかすかに光を落としている。折れそうなくらいか弱い光。まるで今の私の心。ちょっと強く触れられたら、ポキっと簡単に折れてしまいそうで。
胸の奥が重く沈んでいく。
あの子たちを泣かせてしまった。
楽しく笑顔で過ごせるはずの場所で、私が台無しにしてしまった。
どうして……どうしてあの時、もっと上手くできなかったんだろう?
あのロビーの地獄絵図から、逃げるようにバックオフィス側へ戻った私。霧島チーフは何も言わず、ただ付き添って衣装部屋まで連れてきてくれた。そこで一言だけ低く、短く放たれる。
「……着替えてこい」
叱られなかった。責められなかった。
でも、それが逆に苦しかった。
ああ、きっと、もう私のことを見限ったんだ。完全に見放されたんだ。
そりゃそうだ。
入社してから、毎日ドジの連続。何ひとつまともにできない。笑顔で頑張るって決めたのに、涙はこらえるって決めたのに。気づけば頬が濡れていた。止めようとしても止まらない。
涙の温もりだけが、冬の夜の冷たさに抗ってくれる。情けなくて、悔しくて、胸がぎゅっと痛む。それでもどうしようもなく、浮かんでしまうのはあの人の顔。
霧島チーフ。
あなたにだけは、見放されたくなかった。
どんなに怖くても、どんなに怒られても……最後の最後まで。