桜の記憶
第7話 再会の記憶
翌朝、美咲は早くに目を覚ました。
旅館の障子越しに差し込むやわらかな朝日が、淡く部屋を染めていた。昨日、悠人と共に訪れた桜の並木道の記憶が、まだ鮮やかに胸に残っている。彼の手の温もりと、あの眼差し。
「さくら、また会えて本当に嬉しいよ」
その言葉が何度も頭の中で反響していた。
身支度を整え、朝食の席に向かうと、悠人はもう座っていた。気づいた彼が、ほっとしたように微笑む。
「おはよう、美咲さん……いや、さくら」
美咲は少し照れたように頷きながら、席に着いた。
「昨日は……ありがとう。とても、温かい時間でした」
「こちらこそ。あんなに笑う君を見たの、十年ぶりだ」
ふたりは素朴な京料理を食べながら、今後のことを話した。今日、美咲はある場所に行きたいと言った。それは、事故のあった場所──田中家のかつての住まい跡だった。
「記憶が完全に戻るかはわからないけれど、どうしても見ておきたいの」
悠人は静かに頷いた。
「もちろん。一緒に行こう」
午後、美咲と悠人は京都郊外の静かな住宅地へと向かった。
古い記憶を呼び起こすように、周囲の風景が彼女の心を揺らす。変わってしまった家並みの中で、悠人はある空き地の前で立ち止まった。
「ここが、僕たちの家があった場所だよ」
空き地の片隅に、かつての庭石らしきものがひっそりと残っていた。その上に、一本の桜の木が細々と育っている。
「この桜、あの時はまだ小さな苗木だったけれど……」
美咲は静かに桜の木に近づいた。風が吹き、枝がやさしく揺れる。すると、ふいに胸の奥にざわめきが広がり、懐かしい声が聞こえた気がした。
──さくら、おやつだよ〜! 今日は桜餅だよ!
──わーい!ゆうにい、はやく食べよう!
ふと、美咲の目に涙がにじんだ。
「……ここで、私は……」
彼女は膝をつき、桜の木の根元に手を添えた。その手が震えている。
「お兄ちゃん……お母さん、お父さん……」
記憶の破片が、ぽつりぽつりと蘇ってくる。家の中の景色。両親の笑顔。そして、事故当日の風景──
「さくら!」
はっとして顔を上げると、悠人がすぐそばにいて、優しく彼女の肩を抱いた。
「無理しないで。ゆっくりでいいから」
美咲は頷きながら、ぽろぽろと涙をこぼした。
「ありがとう……ゆうにい」
その一言に、悠人の目にも涙が浮かんだ。長い時間を経て、妹が自分を“ゆうにい”と呼んでくれたこと。その事実が、何よりの救いだった。
夕方、ふたりは桜月庵へ戻った。
店先に立っていた職人の佐々木が、彼らに気づいて軽く会釈した。
「どうも。若旦那、妹さんですか」
悠人が驚いて振り向いた。
「え……どうして?」
「いや、雰囲気がね。目元がよく似てるし、あの子が来たとき、なんとなくそんな気がしてました」
美咲は少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「そうなんです。まだ実感は湧かないけど……私、妹だったみたいです」
「おめでとうございます。ご両親もきっと、喜んでおられるでしょう」
佐々木の温かい言葉に、ふたりは深く頭を下げた。
その夜、美咲は一人で店の奥の仏間を訪れた。
桜子の位牌の前に正座し、静かに手を合わせる。
「桜子さん……私の代わりに、あの日、命を……本当に、ありがとうございます」
瞼を閉じると、どこかで優しい笑顔が浮かんだ気がした。
「私は、もう逃げません。過去とちゃんと向き合って……生きていきます」
部屋の外では、悠人が静かに見守っていた。
“さくら……いや、美咲。君が生きていて、本当によかった”
夜の京都に、またひとつ、失われた絆が繋がった。
そして、それはふたりにとっての「新しい家族の始まり」でもあった。
旅館の障子越しに差し込むやわらかな朝日が、淡く部屋を染めていた。昨日、悠人と共に訪れた桜の並木道の記憶が、まだ鮮やかに胸に残っている。彼の手の温もりと、あの眼差し。
「さくら、また会えて本当に嬉しいよ」
その言葉が何度も頭の中で反響していた。
身支度を整え、朝食の席に向かうと、悠人はもう座っていた。気づいた彼が、ほっとしたように微笑む。
「おはよう、美咲さん……いや、さくら」
美咲は少し照れたように頷きながら、席に着いた。
「昨日は……ありがとう。とても、温かい時間でした」
「こちらこそ。あんなに笑う君を見たの、十年ぶりだ」
ふたりは素朴な京料理を食べながら、今後のことを話した。今日、美咲はある場所に行きたいと言った。それは、事故のあった場所──田中家のかつての住まい跡だった。
「記憶が完全に戻るかはわからないけれど、どうしても見ておきたいの」
悠人は静かに頷いた。
「もちろん。一緒に行こう」
午後、美咲と悠人は京都郊外の静かな住宅地へと向かった。
古い記憶を呼び起こすように、周囲の風景が彼女の心を揺らす。変わってしまった家並みの中で、悠人はある空き地の前で立ち止まった。
「ここが、僕たちの家があった場所だよ」
空き地の片隅に、かつての庭石らしきものがひっそりと残っていた。その上に、一本の桜の木が細々と育っている。
「この桜、あの時はまだ小さな苗木だったけれど……」
美咲は静かに桜の木に近づいた。風が吹き、枝がやさしく揺れる。すると、ふいに胸の奥にざわめきが広がり、懐かしい声が聞こえた気がした。
──さくら、おやつだよ〜! 今日は桜餅だよ!
──わーい!ゆうにい、はやく食べよう!
ふと、美咲の目に涙がにじんだ。
「……ここで、私は……」
彼女は膝をつき、桜の木の根元に手を添えた。その手が震えている。
「お兄ちゃん……お母さん、お父さん……」
記憶の破片が、ぽつりぽつりと蘇ってくる。家の中の景色。両親の笑顔。そして、事故当日の風景──
「さくら!」
はっとして顔を上げると、悠人がすぐそばにいて、優しく彼女の肩を抱いた。
「無理しないで。ゆっくりでいいから」
美咲は頷きながら、ぽろぽろと涙をこぼした。
「ありがとう……ゆうにい」
その一言に、悠人の目にも涙が浮かんだ。長い時間を経て、妹が自分を“ゆうにい”と呼んでくれたこと。その事実が、何よりの救いだった。
夕方、ふたりは桜月庵へ戻った。
店先に立っていた職人の佐々木が、彼らに気づいて軽く会釈した。
「どうも。若旦那、妹さんですか」
悠人が驚いて振り向いた。
「え……どうして?」
「いや、雰囲気がね。目元がよく似てるし、あの子が来たとき、なんとなくそんな気がしてました」
美咲は少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「そうなんです。まだ実感は湧かないけど……私、妹だったみたいです」
「おめでとうございます。ご両親もきっと、喜んでおられるでしょう」
佐々木の温かい言葉に、ふたりは深く頭を下げた。
その夜、美咲は一人で店の奥の仏間を訪れた。
桜子の位牌の前に正座し、静かに手を合わせる。
「桜子さん……私の代わりに、あの日、命を……本当に、ありがとうございます」
瞼を閉じると、どこかで優しい笑顔が浮かんだ気がした。
「私は、もう逃げません。過去とちゃんと向き合って……生きていきます」
部屋の外では、悠人が静かに見守っていた。
“さくら……いや、美咲。君が生きていて、本当によかった”
夜の京都に、またひとつ、失われた絆が繋がった。
そして、それはふたりにとっての「新しい家族の始まり」でもあった。