秘めた恋は、焔よりも深く。
龍之介は、美咲の手を自然に取った。
温かな掌に導かれるまま、彼女は少し緊張した面持ちで後をついていく。

「案内する。……俺の暮らしを、知っておいてほしい」

まず通されたのは書斎。
壁一面に並ぶ本棚には、ビジネス書だけでなく、歴史や小説、そして趣味らしい建築や旅の本も収められている。
デスクは整然としていて、窓際の観葉植物がひときわ目を引いた。
「ここが仕事部屋だ」
次に開かれたのは寝室。
落ち着いた色調のベッドルームは、広いキングサイズのベッドとシンプルな照明だけ。
余計な装飾はなく、ただ静かな安らぎを与える空間だった。
「……ここも、自由に使えばいい」
さらりと言われ、美咲は頬を染め、視線を逸らした。

さらに客室、そして浴室へ。
ゲスト用の部屋は温かみのあるインテリアで整えられ、浴室には大きなバスタブと、ラグジュアリーホテルのようなアメニティが揃っていた。
「生活に必要なものは、全部ある。好きに使ってくれ」

龍之介の声は落ち着いていたが、その響きの奥には、
「ここを、お前の居場所にしていい」という隠された想いが滲んでいた。

美咲は胸をぎゅっと掴まれるような感覚に襲われる。
(自由に使っていいなんて……まるで、ずっとここにいてほしいって言われてるみたい……)

洗濯機が回り始め、低い機械音が響く。
ひと仕事終えたように、美咲はほっと息を吐いた。

龍之介がリビングのソファに腰を下ろし、腕を組んで彼女を見やる。
「……じゃあ、洗濯が終わるまでの間、何か食べに行くか?」

その一言に、美咲のお腹がきゅるっと小さく鳴った。
慌てて頬を染めながら笑う。
「そうね……お昼、サンドウィッチだけだったから。おなかがすいちゃった」

龍之介は目を細め、口角を上げる。
「そう言うと思った」

「和食? イタリアン? それとも中華?」
エレベーターを待ちながら、龍之介が美咲を覗き込む。

美咲は少し首を傾げ、唇に指を添えて考える。
「うーん……どれも魅力的で迷うわね」
「じゃあ……」
美咲は小さく笑った。
「今日は和食かな。なんだか落ち着きたい気分なの」

龍之介は口元に笑みを浮かべ、頷いた。
「わかった。じゃあ、俺がよく行く店に連れていく」

「そんな……龍之介さんのお気に入りの場所に、私が行っていいの?」

「当たり前だ。むしろ、お前とじゃなきゃ行きたくない」

エレベーターのドアが開き、二人は並んで乗り込む。

夜風に少しだけ頬を撫でられながら歩いていくと、マンション群の一角に灯りが見えた。
ひっそりとした路地に佇む低層マンションの4階。
そこには、温かな灯りがもれる小さなレストランがあった。

店先には控えめな木の看板に「まり乃」とだけ記されている。

格子戸を押し開けると、静かな和の香りがふわりと漂ってきた。
木の温もりを生かした内装、柔らかな照明、奥からは土鍋で炊くご飯の香ばしい匂い。
まるで隠れ家のような空間に、思わず美咲は足を止めた。

「ここ……素敵」

横で龍之介が満足そうに笑みを浮かべる。
「真樹の親友の奥さんがやってる店なんだ。……全部うまい」

「こんばんは。いらっしゃいませ」
暖簾の奥から現れたのは、品のある女性。
麻里子と名乗るその人は、にこやかな笑みを浮かべて二人を迎えた。

「龍之介さん、ようこそ。……そして、こちらは?」
「俺の、大事な人、佐倉美咲さん」
自然に言い切られ、美咲の頬が一瞬で赤く染まった。

麻里子は柔らかく目を細め、まるで前から知っていたかのように優しく頷いた。
「鈴木麻里子と申します」
麻里子は美咲に軽く会釈をした。
「お二人にぴったりの夜になるよう、お料理を用意しますね」

美咲は思わず笑みを返す。
「素敵なお店ですね。入った瞬間から、とても落ち着きます」

麻里子は嬉しそうに頷いた。
「ありがとうございます。……佐倉さんも、ぜひ肩の力を抜いて、くつろいでくださいね」

その一言に、美咲の胸がふっと和らいだ。
大人の女性らしい余裕と、温かい人柄。
初対面なのに、まるで以前から知っていたような親しみを感じる。

美咲は胸の奥で小さく頷き、心から「ここに来られてよかった」と思った。
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