秘めた恋は、焔よりも深く。
料理を運んできた麻里子が、ふと柔らかく目を細めて言った。

「それにしても……龍之介さんが女性を連れて来るのは、初めてよね」

その一言に、美咲の手が止まった。
湯気の立つ小鉢の前で、心臓が大きく跳ねる。

「……え?」
思わず龍之介を見やると、彼は涼しい顔で箸を取っていた。
「そうだったか?」

「ええ。あなたが誰かと一緒に来るところなんて、一度も見たことがなかったもの」

麻里子の声は軽やかで、からかいのような響きすらある。
しかし、美咲にとっては胸を突かれるほどの言葉だった。
(私が……初めて……?)

頬に熱がのぼる。
龍之介はそんな美咲を横目で見て、口の端をわずかに上げた。
「美咲だけは……特別なんだ」


「とても美味しかったです。ごちそうさまでした」
美咲は丁寧に頭を下げ、麻里子へ心を込めてお礼を伝えた。

麻里子は穏やかな笑みを浮かべ、軽く首を振る。
「こちらこそ、ありがとうございました。……ぜひ、またいらしてくださいね」

「はい。麻里子さん、ありがとう。……貴之さんによろしくお伝えください」
言葉を添えた龍之介に、麻里子は嬉しそうに目を細めた。

「ええ、必ず。……お二人のこと、またお待ちしています」

暖簾をくぐり、夜風に触れた瞬間、美咲はふっと息を吐いた。
柔らかな出汁の香り、木の温もり、麻里子の人柄。
すべてが心を温めてくれた時間だった。

隣に立つ龍之介が、静かに彼女の肩に手を添える。
「気に入ったか?」

「ええ、とても。……また来たいです」

彼は満足げに頷き、美咲の手を握った。
二人は並んで歩き出し、静かな夜道に、その姿を溶け込ませていった。


龍之介の部屋に戻ると、二人は並んでソファに腰を下ろした。
テーブルの上には湯気の立つ湯呑み。
温かいお茶を口に含むと、心も身体もふっと緩んでいく。

龍之介が立ち上がった。
「風呂が沸いたぞ」
その声音は何気ないのに、どこか優しさが滲んでいる。

美咲は湯呑みを置き、少し首を傾げた。
「じゃあ、龍之介さんがお先にどうぞ」

彼は片眉を上げて、軽く首を振る。
「俺は後に入るよ。……お前が先だ。あったまっておいで」

差し出された言葉に、胸の奥がじんと温かくなる。
「……はい。ありがとうございます」

立ち上がる美咲を、龍之介の視線が静かに追った。
その目には、優しさと同時に、抑えきれない熱の色がわずかに揺れていた。

湯気が立ちこめる浴室に、美咲の細い背中が白く浮かび上がっていた。
体を洗い終え、髪に手を伸ばしたとき。
不意に扉が開く音がした。

「……あ、ごめんなさい! 今、出ますから」
慌てて振り返った美咲の目に映ったのは、一糸まとわぬ龍之介の姿。
濡れた床をためらいなく踏み入れ、ゆっくりと近づいてくる。

「なんで出るんだ?」
低い声が耳に届く。
次の瞬間、後ろから熱い腕が美咲の身体をしっかりと抱きしめた。

「り、龍之介さん……!」
背中に触れる肌の熱が、浴室の温度以上に心臓を打ち震わせる。
泡の残る指先が止まり、呼吸も浅くなる。

「一緒に入ればいい」
囁く声は落ち着いていて、抗う余地など与えない。

美咲が髪に指を伸ばした瞬間、背後から大きな手がそっと彼女の手首を取った。

「……龍之介さん?」
振り返ろうとした美咲を、低い声が制する。
「いい。俺がやる」

そのまま椅子に座らされ、後ろに立った龍之介の指が、ゆっくりと彼女の髪に湯を含ませていく。
掌が頭皮に触れるたび、心地よい圧が加わり、力が抜けていく。

「……気持ちいいだろ?」
耳元に落ちる囁きが、湯気よりも熱く心を震わせる。
美咲は瞳を閉じ、微かに頷いた。
優しく指を滑らせ、泡が髪全体を包んでいく。
美咲の頬に滴る水を、彼はそっと指で拭った。

その仕草はあまりに優しく、
愛されているという実感が、胸の奥であふれて止まらなかった。

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