秘めた恋は、焔よりも深く。
ホテルの浴室。
鏡の中で濡れた髪を手ぐしで払う。
そこに映るのは、弱さも、迷いも、すべてさらけ出した自分。

「……今日、決めよう」
小さく息を呑んで、言葉を続ける。

「私が、これからどうしたいのか」

胸の奥に浮かぶのは、ただひとつの問い。

  龍之介と一緒に歩いていくのか。
  それとも、否か。

答えは、まだ出せない。
けれど、今日という一日が、その答えを導くことになる。

フロントでチェックアウトを済ませたあと、美咲はホテルを出た。
冷たい朝の空気が、少し火照った頬を撫でていく。
キャリーケースの車輪がアスファルトを転がる音が、妙に心細く胸に響いた。

(会社には病欠の連絡を入れてある……今日は、どこへ向かえばいいのだろう)

足を止め、ふと空を見上げる。
雲間から覗く青が、まるで自分に答えを迫るように広がっていた。

ホテルを出た美咲は、人の流れに紛れるように駅へと向かった。

足が勝手に向かったのは、まだ引き渡しの終わっていないマンションだった。
そこは、かつての暮らしの残り香がほんの少しだけ残っている場所。

空っぽの部屋に足を踏み入れると、冷たい静けさが迎え入れる。
「ただいま」と口にしてみたが、もちろん返事は返ってこない。

このマンションに越してきた日のことを思い出す。
離婚でぼろぼろに傷つき、心も身体も疲れ果てていたあの頃。
そうだ、あのとき決めたのだ。

一人で生きていく、と。
二度と誰かを好きになったり、本気で心を預けたりはしない、と。

そう決めて、誰にも頼らなくて済むように必死で頑張ってきた。
静寂に包まれた部屋。
それなのに、またここに戻ってきてしまった。
けれど、あの頃の自分とは違う。
ただ、自分を責めていたあの日の私では、もうない。

途中のコンビニで買った温かいお茶とおにぎりを、何も置かれていない床に腰を下ろしてほおばった。
かすかに響くビニールの擦れる音と、湯気の立ちのぼるお茶の香りが、空虚な空間に小さな温もりをもたらす。

あの人を、愛してしまった。
どうしようもないほど、彼が愛しい。

戻ろう、彼のもとへ。
あの人のそばにいたい…。

そう思い立ち、温かいお茶を飲み干した、その瞬間。
玄関のドアが激しく叩かれた。

「美咲! いるんだろう、開けてくれ!」

低く必死な声が、扉の向こうから響いてくる。
龍之介だった。

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