秘めた恋は、焔よりも深く。
しんとした静寂。
だが、その奥に彼女の気配があるのを龍之介は疑わなかった。

扉の内側で、美咲は拳を握りしめて立ちすくんでいた。
心臓が張り裂けそうなほど早鐘を打つ。

もう逃げない。戻ると決めたのだから。

大きく息を吸い込み、震える指先でドアノブをつかむ。
ゆっくりと回すと、重たい扉が開かれ、光が差し込んだ。

その先に立っていたのは、疲労でやつれた顔をしながらも、必死に彼女を探し求めた男。
目が合った瞬間、美咲の瞳から涙がこぼれ落ちた。

扉の先に立っていた龍之介の姿を見た瞬間、張り詰めていたものが一気にほどけた。
頬を伝う涙を拭うこともできず、美咲は唇を震わせる。

「……ごめんなさい」

その一言に、これまで押し殺してきた想いと後悔、そして愛情がすべて込められていた。

龍之介は一歩で距離を詰め、彼女の肩を強く抱き寄せる。
「謝るな。……やっと見つけた」

彼の低い声が、震える心臓を優しく包み込んだ。
美咲は抗うことなく胸に顔をうずめ、ただその温もりに身を委ねる。

龍之介は震える美咲をしっかりと抱きしめた後、低く囁いた。
「……帰ろう、美咲」

その声音に、美咲は静かに頷いた。

車に乗り込むと、ふたりの間には言葉はなかった。
ただ、龍之介の大きな掌が美咲の手を包み込む。
彼はその手を離さぬまま、真っ直ぐ前を見据えハンドルを握る。

夏の強い陽射しがフロントガラスに反射し、街路樹の緑が流れていく。
昼下がりのざわめく街を走り抜ける車内、沈黙の中に確かな決意とぬくもりだけがあった。
昼の光を浴びながら車は走り続け、やがて龍之介のマンションに着いた。

エントランスを抜け、部屋に入ると、懐かしいはずなのに、どこか新しい感覚が美咲を包み込んだ。
ここは龍之介の家――そう思っていたはずなのに、今は違う。
彼の香りが染みついたリビングのソファ、食器棚に並ぶカップ。
それらはもう、自分を拒むものではなく、“ふたりで使うもの”に変わっていた。

美咲は玄関で小さく息を吐き、ぽつりとつぶやいた。

「……ただいま」

その声に、龍之介は一瞬驚いたように目を見開き、それから静かに微笑む。

「おかえり、美咲」

彼の言葉に、美咲の胸に熱いものがこみ上げた。
ここはもう、彼の家ではなく、“ふたりの帰る場所”なのだ。

美咲がリビングに足を踏み入れ、改めて龍之介の姿を見つめた。
背広の上着を脱ぐ間もなく、まだネクタイをきつく締めたままの彼。

「……会社に戻らなくていいの?」
おそるおそる問いかけると、龍之介は肩をすくめて苦笑した。

「使い物にならないらしくてな。社長命令で早退扱いだ」

「……え?」

美咲が目を丸くすると、龍之介はソファに腰を下ろしながら手を伸ばした。

「俺にとっては、ありがたい命令だったけどな。こうして、美咲を迎えに来られた」

その声の低さと穏やかさに、美咲の胸が熱くなり、手を差し出された瞬間、自然と彼の隣に吸い寄せられていった。

龍之介はネクタイをゆるめながら、美咲に視線を落とす。
「着替えてきていいか?」

「うん。……私も着替えたい」

互いに一度立ち上がり、それぞれの部屋で服を着替えると、背広姿から一転して普段着に戻った二人は、ようやく肩の力を抜いたようにソファへ並んで腰を下ろした。

しばしの沈黙のあと、龍之介が横目で美咲を見つめる。
「……この二日間、どこにいたんだ?」

美咲は両手を膝の上で握りしめ、小さく息を吐く。
「……ビジネスホテル」

その答えに、龍之介の胸の奥で何かがぎゅっと軋んだ。
「……そうか」
龍之介はそれ以上追及せず、ただ静かに頷いた。

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