秘めた恋は、焔よりも深く。
帰宅後、照明を落としたリビングで、龍之介はウイスキーグラスに氷を落とし、静かに琥珀色の液体を注いだ。

ソファに腰を下ろし、グラスを傾ける。
氷がカランと鳴った。

(……まさか、あんなふうに一日を過ごすとは思ってなかった)

偶然にしては、出来すぎた再会。
けれど、それが嫌じゃなかった。むしろ.......

「……楽しかった、な」

ぽつりと、ひとりごとのように言葉が漏れる。

キャンプ用品店で見かけた時の、少し驚いたような笑顔。
どこか少し照れていた顔。
そして、あのカフェで交わした何気ない会話。
コーヒーの好みを語る彼女の声が、今も耳に残っている。

(……あいつの話なんて、しなくてよかった)

一瞬だけ、胸の奥に微かに残った棘が疼く。
でも、それすらも、彼女と過ごした時間の一部だと思えば、不思議と許せた。

なにより、「“また誘ってくれ”って……俺にしちゃ、随分まわりくどい言い方だったか」

グラスの中の氷を見つめながら、少しだけ笑った。

“彼女に、また会いたい”

ただそれだけの想いを、どんな言葉で渡すのが正解だったのか。
未だに、よくわからない。
だけど、確かに感じた。
隣にいるときの、心の安らぎ。
言葉を交わすたびに、少しずつ距離が近づいていく感覚。

(……あの人が、誰かに奪われるのは、嫌だ)

その想いだけは、はっきりしていた。

グラスを空にし、深く息をつく。
静かな夜の中、龍之介の目だけが、どこか冴えていた。

(もう、引き返せないな)

そう、胸の中で呟きながら、彼は、窓の向こうに浮かぶ月を、しばらく黙って見つめていた。
助手席のドアを開けたときの、美咲の少し驚いた顔。
差し出した手を、戸惑いながらも取ったその感触。

(……小さいな、って思った)

女性として特別に小柄というわけではないのに、
彼の手の中にすっぽりと収まった、あの柔らかな手のひら。
想像していたよりも、ずっと繊細で、温かくて。
それだけで、胸の奥がじんと痺れるようだった。

(あんなふうに手を握ったの、いつ以来だったか)

ふとした瞬間、あの手を、もう一度確かめたくなる。
ただの握手でも、ただのエスコートでもない、もっと個人的な、もっと深い意味を持って。

「……また、触れたいと思うなんてな」

独りごちのように呟いて、グラスをテーブルに戻す。
自分でも驚くほど素直に出たその願いに、
龍之介は苦笑しながら、まぶたを閉じた。
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