秘めた恋は、焔よりも深く。
社長室のある階の応接室から出てきた営業部の池田が、
控えめに話していたのは同僚の高瀬。
池田と高瀬は同期で、共に営業部所属だ。商談を終え、二人は応接室から出てきた。
「こないだは楽しかったな。佐倉さんって本当に素敵な人だよな。」
「俺もそう思うよ。」
「ところで佐倉さんは新居を探しているって聞いたぞ。そうなのか?」
「今住んでいるマンションが取り壊しになるらしいぜ。」
たまたま近くのソファで秘書を待っていた松田商事・専務 松田圭吾の耳に、その会話が自然と入った。
(……引っ越し?)
「かなり長く住んでたらしいけど、マンションの売却で、急に退去しなきゃならなくなったらしいよ」
「でも、なんか前向きだったって田島さんが言ってた。“新しい場所に住んでみるのも、悪くないかも”って」
「……へえ」
無言で立ち上がった松田専務の表情に、わずかに柔らかな笑みが浮かんだ。
(住まいが変わるということは、環境も、生活も、少し変わる。
……もしかすると、心の動きも、だ)
「専務、お待たせしました」
秘書が戻ってきたタイミングで、圭吾は軽く頷くと、
わざと何気ない調子で尋ねた。
「さっき少し話していた方……佐倉さんかな?」
松田専務が秘書に向かって言った。
「君は確か……佐倉さんとは今回のことだけではなく、過去にも一緒に仕事していたことがあったか?」
秘書は軽く頷いて答えた。
「はい」
松田専務は少し考え込み、続けた。
「そうか……彼女の仕事ぶりについてはどう思う?」
秘書はしばらく黙って考え、慎重に答える。
「冷静で理論的、無駄な感情を挟まずに仕事を進める方です。
しっかりとした判断力を持っています。」
松田専務は感心した様子で頷いた。
「なるほど……やっぱり、頼りにできる人間だったか。」
「何かほかにお知りになりたいことがありましたら、いつでもおっしゃってください。」
松田専務は少しの間をおいてから、話しだした。
「この前、食事に誘ったんだが、上手くあしらわれてしまってね。」
秘書は驚いた様子で聞き返す。
「専務がですか?」
「そうなんだ。」
松田専務は肩をすくめ、少し苦笑いを浮かべた。
「そうなるとね、ますます誘いたくなるんだよな。どうしたものか。」
秘書は少し考え込み、にやりと笑って言った。
「専務の誘いを断るとは…さすが佐倉さんですね。」
松田専務は興味深げに尋ねた。
「どういう意味かね?」
秘書は少し間をおいてから、落ち着いた口調で答えた。
「あの人は、社会的地位や権力や金、といったものではなびくような女性ではないということですよ。」
松田専務は頷きながら、少し考え込んだ。
「そうか。」
それ以上、何も言わなかったが、
秘書は気づかなかった。
彼の瞳の奥に、確かに興味と、静かな熱が灯ったことに。
控えめに話していたのは同僚の高瀬。
池田と高瀬は同期で、共に営業部所属だ。商談を終え、二人は応接室から出てきた。
「こないだは楽しかったな。佐倉さんって本当に素敵な人だよな。」
「俺もそう思うよ。」
「ところで佐倉さんは新居を探しているって聞いたぞ。そうなのか?」
「今住んでいるマンションが取り壊しになるらしいぜ。」
たまたま近くのソファで秘書を待っていた松田商事・専務 松田圭吾の耳に、その会話が自然と入った。
(……引っ越し?)
「かなり長く住んでたらしいけど、マンションの売却で、急に退去しなきゃならなくなったらしいよ」
「でも、なんか前向きだったって田島さんが言ってた。“新しい場所に住んでみるのも、悪くないかも”って」
「……へえ」
無言で立ち上がった松田専務の表情に、わずかに柔らかな笑みが浮かんだ。
(住まいが変わるということは、環境も、生活も、少し変わる。
……もしかすると、心の動きも、だ)
「専務、お待たせしました」
秘書が戻ってきたタイミングで、圭吾は軽く頷くと、
わざと何気ない調子で尋ねた。
「さっき少し話していた方……佐倉さんかな?」
松田専務が秘書に向かって言った。
「君は確か……佐倉さんとは今回のことだけではなく、過去にも一緒に仕事していたことがあったか?」
秘書は軽く頷いて答えた。
「はい」
松田専務は少し考え込み、続けた。
「そうか……彼女の仕事ぶりについてはどう思う?」
秘書はしばらく黙って考え、慎重に答える。
「冷静で理論的、無駄な感情を挟まずに仕事を進める方です。
しっかりとした判断力を持っています。」
松田専務は感心した様子で頷いた。
「なるほど……やっぱり、頼りにできる人間だったか。」
「何かほかにお知りになりたいことがありましたら、いつでもおっしゃってください。」
松田専務は少しの間をおいてから、話しだした。
「この前、食事に誘ったんだが、上手くあしらわれてしまってね。」
秘書は驚いた様子で聞き返す。
「専務がですか?」
「そうなんだ。」
松田専務は肩をすくめ、少し苦笑いを浮かべた。
「そうなるとね、ますます誘いたくなるんだよな。どうしたものか。」
秘書は少し考え込み、にやりと笑って言った。
「専務の誘いを断るとは…さすが佐倉さんですね。」
松田専務は興味深げに尋ねた。
「どういう意味かね?」
秘書は少し間をおいてから、落ち着いた口調で答えた。
「あの人は、社会的地位や権力や金、といったものではなびくような女性ではないということですよ。」
松田専務は頷きながら、少し考え込んだ。
「そうか。」
それ以上、何も言わなかったが、
秘書は気づかなかった。
彼の瞳の奥に、確かに興味と、静かな熱が灯ったことに。