秘めた恋は、焔よりも深く。
龍之介が予約もしていないのに迷いなく車を走らせた先は、駅から少し離れた路地裏にひっそりと佇む和食の店だった。
暖簾をくぐると、木の香りと出汁の香りがふわりと鼻をくすぐる。
「小鍋がうまいんだ、ここ」
龍之介がそう言って奥の静かな席に案内する。
美咲の前に、土鍋にくつくつと湯気を立てる寄せ鍋が置かれた。
鶏団子、季節の野菜、豆腐、ゆずの香り、すべてが心をほぐすように整っている。
「……こんな、ちゃんとしたご飯。久しぶりかもしれません」
美咲が箸を持ちながらそう呟くと、龍之介は横目でちらりと彼女を見て、口元をゆるめる。
湯気の向こう、美咲が箸を休めた瞬間だった。
「……夢は、何だ?」
唐突に投げかけられた言葉に、美咲は目を瞬かせる。
けれど、その声色に揶揄や軽さはなく、ただ静かに…まるで、自分自身にも問いかけるような響きだった。
「夢……ですか?」
「そう。子どもの頃でも、大人になってからでも。こう生きたいって思うこと、あるだろ?」
美咲は一瞬、言葉に詰まったあと、小さく笑った。
「……夢を語るには、ちょっと年をとりすぎた気もしますけど」
「そんなことはない」
龍之介の返しは早かった。
「時間は関係ない。ただ、今もちゃんと持ってるかどうか、だけだ」
目を伏せた美咲の胸の奥に、小さく火が灯る。
昔、思い描いていた景色。いま、少しずつ取り戻しつつあるもの。
その手前にある「誰かと一緒に在る」という感情.....それが何か、彼女自身はまだうまく言葉にできずにいた。
美咲は少しだけ箸を置いて、湯気の向こうをぼんやりと見つめた。
ほんの少しの沈黙のあと、ぽつりと口を開く。
「……アメリカを、車で横断したいですね」
「アメリカ?」
「はい。いつか、広い道を走ってみたくて。モーテルに泊まって、地元のカフェで朝ごはん食べたり……
そういうの、憧れてたんです」
龍之介は意外そうに目を細めた。
「……そういうタイプに見えなかったな」
「ですよね。でも、昔読んだ小説の影響なんです。
ずっとひとりで頑張ってきた主人公が、アメリカを横断していくうちに、
自分の気持ちを少しずつ解きほぐしていく物語で……」
「なるほど。たしかに、似合うかもしれないな。風に吹かれてる佐倉さん」
その言葉に、美咲は照れくさそうに笑った。
「じゃあ、黒瀬さんの夢は?」
龍之介は、鍋の中を見つめたまま、一呼吸置いてから言った。
「……それを、探し直してるところ」
「……」
「誰かと一緒にいる未来って、思ってたよりも悪くないのかもって。最近、そう思うようになったから」
静かな声だった。けれどその一言が、美咲の胸の奥に、やわらかく響いて残った。
店を出ると、夜の風が頬を撫でた。
日中の暑さが嘘のように引き、街路樹の影が歩道にやさしく落ちている。
「……送るよ」
龍之介の低い声に、美咲は首を横に振った。
「大丈夫です。駅まですぐですし……」
「そうか」
素直に引き下がるあたりが、彼らしいと思う。
けれど、駅へと続く道に歩き出す直前、龍之介がふいに言った。
「さっきの話。夢のこと.....」
「はい?」
「叶うといいな、って思った」
その声に、美咲は一瞬だけ足を止めた。
「……ありがとうございます。黒瀬さんも、きっと」
言葉の続きを言いかけて、でもやめる。
代わりに、ふっと微笑んでから、小さくお辞儀をした。
「今日は、楽しかったです。ありがとうございました」
「俺も。……気をつけて帰って」
龍之介は、立ち止まったまま彼女の背中を見送った。
遠ざかる小さな背が、夜風に揺れている。
その手を、もう一度取れたら。
そんな思いが胸の奥に、微かな灯のように残ったまま、彼はゆっくりとその場を離れた。
暖簾をくぐると、木の香りと出汁の香りがふわりと鼻をくすぐる。
「小鍋がうまいんだ、ここ」
龍之介がそう言って奥の静かな席に案内する。
美咲の前に、土鍋にくつくつと湯気を立てる寄せ鍋が置かれた。
鶏団子、季節の野菜、豆腐、ゆずの香り、すべてが心をほぐすように整っている。
「……こんな、ちゃんとしたご飯。久しぶりかもしれません」
美咲が箸を持ちながらそう呟くと、龍之介は横目でちらりと彼女を見て、口元をゆるめる。
湯気の向こう、美咲が箸を休めた瞬間だった。
「……夢は、何だ?」
唐突に投げかけられた言葉に、美咲は目を瞬かせる。
けれど、その声色に揶揄や軽さはなく、ただ静かに…まるで、自分自身にも問いかけるような響きだった。
「夢……ですか?」
「そう。子どもの頃でも、大人になってからでも。こう生きたいって思うこと、あるだろ?」
美咲は一瞬、言葉に詰まったあと、小さく笑った。
「……夢を語るには、ちょっと年をとりすぎた気もしますけど」
「そんなことはない」
龍之介の返しは早かった。
「時間は関係ない。ただ、今もちゃんと持ってるかどうか、だけだ」
目を伏せた美咲の胸の奥に、小さく火が灯る。
昔、思い描いていた景色。いま、少しずつ取り戻しつつあるもの。
その手前にある「誰かと一緒に在る」という感情.....それが何か、彼女自身はまだうまく言葉にできずにいた。
美咲は少しだけ箸を置いて、湯気の向こうをぼんやりと見つめた。
ほんの少しの沈黙のあと、ぽつりと口を開く。
「……アメリカを、車で横断したいですね」
「アメリカ?」
「はい。いつか、広い道を走ってみたくて。モーテルに泊まって、地元のカフェで朝ごはん食べたり……
そういうの、憧れてたんです」
龍之介は意外そうに目を細めた。
「……そういうタイプに見えなかったな」
「ですよね。でも、昔読んだ小説の影響なんです。
ずっとひとりで頑張ってきた主人公が、アメリカを横断していくうちに、
自分の気持ちを少しずつ解きほぐしていく物語で……」
「なるほど。たしかに、似合うかもしれないな。風に吹かれてる佐倉さん」
その言葉に、美咲は照れくさそうに笑った。
「じゃあ、黒瀬さんの夢は?」
龍之介は、鍋の中を見つめたまま、一呼吸置いてから言った。
「……それを、探し直してるところ」
「……」
「誰かと一緒にいる未来って、思ってたよりも悪くないのかもって。最近、そう思うようになったから」
静かな声だった。けれどその一言が、美咲の胸の奥に、やわらかく響いて残った。
店を出ると、夜の風が頬を撫でた。
日中の暑さが嘘のように引き、街路樹の影が歩道にやさしく落ちている。
「……送るよ」
龍之介の低い声に、美咲は首を横に振った。
「大丈夫です。駅まですぐですし……」
「そうか」
素直に引き下がるあたりが、彼らしいと思う。
けれど、駅へと続く道に歩き出す直前、龍之介がふいに言った。
「さっきの話。夢のこと.....」
「はい?」
「叶うといいな、って思った」
その声に、美咲は一瞬だけ足を止めた。
「……ありがとうございます。黒瀬さんも、きっと」
言葉の続きを言いかけて、でもやめる。
代わりに、ふっと微笑んでから、小さくお辞儀をした。
「今日は、楽しかったです。ありがとうございました」
「俺も。……気をつけて帰って」
龍之介は、立ち止まったまま彼女の背中を見送った。
遠ざかる小さな背が、夜風に揺れている。
その手を、もう一度取れたら。
そんな思いが胸の奥に、微かな灯のように残ったまま、彼はゆっくりとその場を離れた。