秘めた恋は、焔よりも深く。
シャワーを浴び終えたあと、
冷えた炭酸水を手に、リビングのソファに腰を下ろした。
部屋には音がない。
壁際の間接照明だけが、柔らかく床を照らしていた。

気に入りのTシャツとスウェットに着替えたこの時間が、
いちばん自分に戻れる。
とはいえ、心まで脱ぎ捨てるには、少し静かすぎる夜だった。
天井を仰いで、深く息を吐く。

俺も、歳をとったってことか。

昔なら、この静けさが心地よかった。
誰にも邪魔されない。誰にも縛られない。
それが“自由”だと思ってた。
でも最近は、
帰っても誰の声もない夜に、ふと、言葉が欲しくなる。

「ただいま」って言える相手がいたら。「おかえり」って返ってきたら。
それだけで、少し違う夜になるんじゃないか。
そんなことを思ってしまう。

(人恋しい? ……俺が?)

ソファに沈みながら苦笑した。
どこかで、真樹の幸せそうな横顔が脳裏をよぎる。

あいつは今、もう一度家庭を手に入れて、守るべき人と生きてる。

あの頃の俺には、できなかったことだ。

……もう二度と、女の人を泣かせたくない。

そう思って、結婚なんて考えなかった。
でも今、もしも、佐倉美咲のあの小さな笑みが、
自分の隣にある未来を想像してしまったのなら。

「……手遅れかもしれないな、これは」

誰にともなくこぼれた言葉が、静かな部屋に溶けていった。

一人の夜は慣れているはずなのに、
今夜は、胸がざわついて仕方がなかった。

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