秘めた恋は、焔よりも深く。
龍之介はコーヒーをひと口含み、ゆっくりとスマートフォンを手に取った。
画面を見つめる指が、しばし止まる。
仕事の用件だけじゃない。
呼び出す理由を作りたいだけのような、そんな自覚が胸の奥で微かに疼いた。

数コールの後、聞き慣れた声が応える。

「もしもし、佐倉です」

「黒瀬だ。……今、時間あるか?」
低く落ち着いた声に、いつもよりわずかに温度を乗せる。
まるで彼女の様子をそっと覗き込むような響きだった。

「はい、大丈夫です」

「来週末のカップルキャンプの件で、ちょっと打ち合わせしたい。
今日か、遅くても明日……どっちか、会えるか?」

電話口で、美咲が一瞬、考えるように沈黙した。
「……今日の夕方、4時以降なら空いてます」

「ありがとう。じゃあ、こっちで場所を決めて連絡する」
休みの日に呼び出すのだから、声色は自然と和らぎ、言葉の端に小さな笑みが滲む。

電話の向こうで、美咲はわずかに息を呑んだ。
その柔らかな声音が胸に落ち、ほんのり頬が熱を帯びる。
「……はい、お願いします」
短く答えながらも、なぜか心の奥がくすぐったく揺れていた。

電話を切った龍之介は、ゆっくりとカップを持ち上げ、冷めかけたコーヒーを一口含んだ。
窓の外には、土曜の午後の光が柔らかく差し込んでいる。
「……4時か」
小さく呟き、口元に微かな笑みを浮かべる。
その笑みの奥には、ただの仕事の打ち合わせ以上の感情が隠されていた。

龍之介の視線が、待ち合わせ場所に姿を現した美咲をとらえた。
柔らかな茶系のワンピースにカーディガンを羽織り、落ち着いた色合いのスカーフを軽く首元に添えた姿は、初秋の澄んだ風にしっとりと馴染んでいる。

「……そのワンピース、似合ってる」
目元を細め、穏やかな笑みを浮かべながら龍之介が言葉を落とす。
「可愛いな」

思いがけない褒め言葉に、美咲の胸が一瞬跳ねた。

「ありがとうございます」
と返したその瞬間、急ぎ足の若い学生が彼女の肩にぶつかった。
「きゃっ」
よろける美咲を、龍之介の腕が即座に引き寄せる。

「大丈夫か」
低く落ち着いた声。片腕の中に抱き込まれた美咲は、彼の胸板に支えられながら、鼓動まで感じ取ってしまう。

「す、すみません!」
学生が慌てて謝る。

その時、龍之介の目が一瞬、鋭く学生を射抜いた。
ほんの刹那の睨み。けれどすぐに視線は美咲に戻り、強い腕の中で彼女を確かめるように抱き直す。

「……気をつけろよ」
今度の声は穏やかだが、彼女を守るという揺るぎない意志を帯びていた。

支えられたままの美咲は、頬が熱くなるのを止められなかった。

「まったく……危ないな」
腕の中で体勢を立て直した美咲を見つめながら、龍之介が低くつぶやいた。
その声音には、苛立ちよりも彼女を案じる気持ちが色濃くにじむ。

次の瞬間、大きな手が美咲の手をとらえた。
指と指を絡めて、強く、けれど優しく。

「よし、手をつなぐぞ」
恋人つなぎの形に変えられた瞬間、美咲は目を見開いた。

「……え?」
驚きの声が漏れる。

龍之介は彼女の反応を気にするふうもなく、自然な仕草のように歩き出した。
繋がれた手のぬくもりが、じわりと胸に広がる。

(……嫌じゃない)
そう思った自分に気づき、美咲の頬がほんのり熱を帯びた。

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