モカアート〜幼馴染と恋人ごっこしてみた〜
「おーい、百禾!もう行かないと、幼稚園に間に合わないぞ」
「うーん、あともうちょっと…」

 幼稚園の送迎バスが来る時間ギリギリまで、百禾は絵本を読んでいた。
 両親に絵本を読んでもらってから、物語に没頭するようになった。
 早く自分で読めるようになりたい。自分の好きな時に、好きな本を読みたい。
 その一心で、百禾は年少にして早々に文字を覚えた。書くことはできないが、読むことはできる。今はそれで十分だった。
 辿々しく、すらすら読むことはできないが、物語を自分のペースで楽しむことができる。これ以上に楽しい遊びはない。
 一心不乱に文字を追っていた百禾の目の前から、ひょいと絵本が消えた。

「こら、もーか!」
「ううん!パパ返してー!」
「百禾、好きなことをするのはいいが、時間は守らないとな。玲央くんが外で待ってるぞ」

 頬を大福のように膨らませて、百禾は渋々リュックを背負った。父は、「幼稚園から帰ってきたら、また読んだらいい」と百禾の頭を撫でた。
 父と手を繋いで家を出ると、玲央が玲央の母と手を繋いで、玄関前に立っていた。

「おはようございます。お待たせしてしまって申し訳ない」
「いいえ。百禾ちゃん、その歳でもう絵本を自分で読むなんてすごいじゃない!」

 玲央の母は、手放しで百禾を褒めてくれる。彼女は百禾の第二の母のようで、百禾は大好きだった。
 
「奥様、体調の方はどうですか?」
「まずまずといったところですね。安定はしてきているみたいで、しばらく様子を見ましょう、と」

 バス停に向かいながら聞こえる父と玲央の母の会話に、百禾は地面に目線を落とした。
 百禾の母は、弟を出産するために病院で準備をしている。そのため、母は家に帰ってくることができないのだと聞いていた。
 だが、それだけでないことは百禾でも分かった。時折、父が辛そうな顔で携帯を見つめることがある。その時は、大抵病院から連絡があった時だ。
 父は、百禾の前では気丈に振る舞う。父に我儘を言って困らせてはいけないと、無意識に百禾は悟っていた。

「パパ、行ってきます!」
「いってらっしゃい。楽しんできてな!」

 父に手を振って、幼稚園バスに乗り込む。父の姿が見えなくなるまで手を振って、百禾は前を向いた。
 すると、隣に座る玲央がツンと百禾の腕を突いた。

「なに?」
「いや、何でも」

 ふいとそっぽを向いて顔を逸らす玲央に、百禾はぐっと顔を近づけた。

「ちょっと、何?」
「何もないって」
「ないなら、なんで突っつくの!」
「何となく!」
「はー⁉︎」
「玲央くん、百禾ちゃん、どうしたの?」
「「何でもない!」」

 先生に聞かれて、すぐに百禾と玲央は姿勢を直した。だが、互いに目線だけを送り合う。 
 ただ、玲央の意味不明なちょっかいのおかげで、沈みかけていた気持ちが少しだけ紛れていた。

 百禾と玲央は年長だ。年少の子たちが何か困っていたら、助けるのが年長の務めだと思っていた。

 今日も今日とて、送迎バスを待っている保育室で、泣き出す年少さんがいた。その子の手は赤くなっていて、対面に座る子が不貞腐れた顔で手の中のレゴをいじっている。
 百禾は大泣きしている子の背中を撫でた。

「どうしたの?」
「取られた!使ってたのに!」
「ぼくがさいしょに使ってたの!」

 わーわーと言い合いが始まりそうだ。百禾は二人を落ち着かせながら、話をまとめる。

「おもちゃの取り合いになったの?」
「うん」
「なら、分け合いっこして使おうよ。仲良く使おう。誰かが使ってるおもちゃは、『貸して』って言わないとだよ」

 百禾の言葉に二人はうぬぬと唸るが、反論はしてこなかった。
 
「先生たちがさっき、『百禾ちゃんすごいね』って話してた」
「玲央」

 仲介が終わって絵本を手に取った百禾に、玲央が近づいてきた。

「よく間に入ろうって思うよな。先生に任せればいいのに」
「だって、ほっとけないもん」

 みんな仲良く過ごせるはずなのに、わざわざ歪み合わなくてもいいではないか。
 ぷくっと頬を膨らませた百禾にふーんと言うと、玲央は踵を返した。それに対して、百禾は首を傾げる。
 やっぱり、玲央のことはまだよく分からない。

 玲央とは家が近くて、幼稚園に入る前から一緒にいた。気がつけば側にいて、一緒に遊んでいる。玲央は静かな男の子で、一人で黙々とレゴを組み立てていることが多かった。百禾もまた一人で絵本を読んでいたいタイプなので、互いに干渉しすぎないところが性に合っていたのかもそれない。

 それが少し変わったのが、百禾と玲央が小学校高学年になった頃だ。
 玲央が極端に百禾を避け始め、かと思えばちょっかいをかけてくる。百禾の至福の読書時間に乱入して、百禾をからかってどこかへ行く。
 最初は、玲央に嫌われて意地悪されているのかと思ったが、それはないと首を振った。その証拠に、百禾が教科書を忘れて困っている時などは、すぐに気がついて手を差し伸べてくれた。
 玲央は、嫌いな人間にはとことん冷淡で距離を置く。関わること自体なくなるのだ。それを考えたら、ちょっかいをかけにきている時点で、百禾を嫌ってはいないのだろう。
 そして、中学ではイタズラが鳴りをひそめ、高校は別々になったので適度な距離ができた。しかし、週に一回は顔を合わせていた。主に、百禾が高校の授業で分からないところを玲央に教えてもらうために。

「数字嫌いー」
「国語より簡単だろ。ていうか、百禾が国語が得意ってことが信じられねぇよ」
「なんでよ!国語って楽しいことばっかりじゃん!物語文は登場人物の気持ちになって読み解けばいいし、説明文は答えがもうそこに書いてあるんだから、宝探しみたいなもんだよ」
「…物語文の登場人物の気持ちになれるなら、近くの人間の気持ちにもなってみろよな」
「はぁ?何か言った?」
「何も。で、この問題は、この公式を使ったら終了な」
「えー!なんでこの公式使うの⁉︎」

 こんな具合に、互いの家で勉強会を開いていた。両親は温かく見守ってくれていて、休憩にお茶とお菓子をよく出してくれた。
 
「はー休憩〜」
「まだ三問しか解けてないぞ」
「もう百問くらい解いた気分だよ」
「現実を見ろ〜」
「うるさいです〜」

 クッキーを頬張りながら、百禾は携帯をいじり始めた。玲央は百禾の携帯画面の前に手を差し入れた。

「休憩は十五分だからな」
「分かってるよ」

 玲央は煎餅をパリパリ食べる。本ではなく携帯に食いついている百禾を珍しいと思い、玲央は首を傾げた。

「何をそんなに真剣に見てるんだ?」
「近々、夏祭りに行く予定なんだけどね。浴衣を着るんだけど、髪型に迷ってて…」
「夏祭り?」
「そう。クラスの何人かで行こうってなって」
「百禾が行くのか?夏祭りに?クラスの何人かで?」
「何?その意外そうな反応は。私だって、ちゃんと女子高生やってます〜」
「本しか友だちじゃない、みたいな奴だったのに」
「ちょっと、失礼じゃない⁉︎」

 百禾は玲央の二の腕をポカポカ叩くと、ふんと頬を膨らませた。

「頑張って女子高生してるの!いつまでも、本とばっかりしゃべってるわけにはいかないでしょ?それに、人と関わりを持った方が、小説を書くときに糧になると思って」
「そっちの動機の方が強いだろ」
「ソンナコトナイヨー…」
「目を見て言ってみろ」

 相変わらず、百禾は百禾だったようだ。高校が離れて、玲央の知らないうちに百禾が鮮烈な高校デビューでもしたのかと思ったが、どうやら違うらしい。

「でもねー。私不器用だから、凝った髪型できないんだよね。これとかすっごくかわいいんだけど」

 百禾の表示した画面には、確かにかわいい髪型が写っていた。お団子を緩く纏めて、編み込みや三つ編みが盛り込まれている。
 それを見て、玲央はポツリと呟いた。

「……できそうだな」
「ほんと⁉︎」

 玲央の呟きに、百禾がずいっと身体を乗り出した。思いがけない近さに玲央はのけ反るが、百禾は全く気にしていない。それよりも、玲央がヘアアレンジができるかもしれないということの方が重要だった。

「いや、まあ、たぶん…」
「やってみて!」

 百禾が髪を止めていたクリップを取った。百禾のさらりとした髪が静かに落ちる。玲央は渋るが、百禾のキラキラした瞳には敵わない。ため息をついて百禾の背後に立った。

「…本当にできるかは分からないぞ。構造が分かったってだけで」
「分かってるよ。でも玲央、昔から器用だし」

 謎の信頼を寄せられている。玲央は百禾の絹糸のような髪に手を差し込んだ。そのまま、百禾の表示した画面を見ながら髪を編み上げていく。思いがけずあっさりと髪型ができあがった。

「おおー!すごい!玲央の手って、魔法みたいだね!」

 そう言って笑った百禾の顔が、玲央の脳裏に刻み込まれた。
 これが、進路に迷っていた玲央が、美容師の専門学校に行くと決めたきっかけだった。
 
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