東雲家の御曹司は、わさびちゃんに首ったけ
 
 
「このまま東雲 紀糸とわさびが結婚する流れになれば、わさびは神楽側の瑕疵(かし)になるはずです。それで神楽側の弁護士をゆすってください。神楽 義徳は阿呆(あほぅ)なので、難しい言葉を並べてゆすっても理解できません」
 
「……よくわかっているんだな」
 
「はい、よくわかっています」
 
 わさびは、まるで自分は関係ないこと、と言ったような軽い口調で話している。
 俺はそれが少し気になった。
 
「東雲が神楽を吸収したら、企業としては存続できるだろうが、お前のお爺が代々守ってきた“神楽”は消えるぞ」
 
「お爺はそれも覚悟しています。そんなことよりも、お爺は神楽で働いてくれている全国各地の何百万人の生活を心配していました」
 
 それが本音なのであれば、さすがは人格者と言われるだけある。
 しかし、病院で同居する孫がそう言うのなら、神楽の現当主は本当にそう思っているのだろう。一度くらい、会ってみたいものだ。
 
「わさび、お前はどうやって神楽の瑕疵になるつもりなんだ」
 
「マリッジブルーを理由に、わさびは逃げます。誰もいないどこか遠くへ」
 
「……おい」
 
 そこは安直だな。つまり俺は、花嫁に逃げられた男になるという事ではないか。
 
「結婚前にわさびが失踪すれば、東雲 紀糸の戸籍には何も残りません。結婚ぎりぎりまでいい関係を続けるフリをしてくれさえすれば、わさびが適当に直筆の書置きでも残して消えますので、安心してください」
 
「おい」
 
「東雲はわさびのお金を足しにして神楽を得て、お金も得て、まともな嫁も得ることが出来ます、いかがでしょうか」
 
 俺は今、プレゼンをされているのだろうか。
 こんな寒空の下、ただのさびれた公園で、五大財閥の吸収に関するプレゼンを……まさかのただの女子高生から。
 
「こんなことを聞くのもなんだが、神楽はあと何年持ちそうなんだ?」
 
「お爺が死んだと発表されたら、すぐにでも崩壊するとわさびは考えています。神楽系列の法人の株価は大暴落します。事実、どこから漏れたのか、先日お爺が発作を起こしただけで、株価は下がりました」
 
「……お前の話をどこまで信じようか迷うが、具体的には俺がどう動くのがお前の理想なんだ」
 
 この女子高生の話を、ほんのわずかでも信じようと考えている自分が信じられない。
 不注意や手違いを一切許容しない東雲の人間だぞ、俺は。
 
「お爺はもう疲れたと言っていました……生きる気力がない状態で、次に発作が起きたらもう危ないです……三月に、わさびが高校を卒業するまでは何とか頑張ってくれるかもしれませんが、その先はわかりません」
 
 あと四か月か……
 
「そうか───嘘か誠か……よくわからないが……神楽の当主へ敬意を表して、いつでも900億程度は出す用意はしておいてやる。用意するくらいならそう難しい事でもないからな」
 
「東雲 紀糸は話のわかる男です。わさびの初めては900億の価値があったようです」
 
 ……なんて生意気な女だ。
 
「そうだ、大事な事を聞くのを忘れていた」
 
「はい、なんでしょうか」
 
「お前が両家の話し合いの際に言っていた件だが……なぜ俺が、あの日にお前を抱きながら考えていた事がわかったんだ」
 
「東雲 紀糸の顔に書いてありました」
 
「……」
 
 そんはずは……絶対にない。
 
「そうか、俺は顔に“神楽のおっさんはろくでもない”と書いていたのか。それは不味いな」
 
 そんなことで納得できるわけがないだろ。
 
「はい、気を付けた方がいいと思います。では、わさびはこれで。さようなら」
 
「待て、病院まで送る」
 
「必要ありません、わさびは歩きたい気分です」
 
 逃げるように去ろうとするわさび。
 俺は彼女の制服の首元から出ているパーカーのフードを掴む。
 
「待てと言っている」
 
「っ! ───今の引き留め方は大変危険です。わさびの身体能力が少しでも悪ければ、転んでいました」
 
「そうはならないようにするつもりだった───わさび、900億用意するとは言ったが、条件がある」
 
 俺は今、自分がとても悪い顔をしている自覚がある。
 
「さっきはお爺に敬意を表して、とカッコつけていたのに、今更条件とは、東雲 紀糸は大人げないです」
 
「敬意だけで900憶はさすがに額が大きすぎると思ってな、訂正する」
 
「……」
 
 900億でも、俺の目を見ようとすらしない女がものすごく気に入らない。
  
「まず、お前は俺の婚約者であることを自覚しろ。知らない人や不審者扱いはするな。次に、毎度毎度人の名前をフルネームで呼び捨てにするのもやめろ。呼ぶなら名前だけにしろ。最後に、このスマホを常に携帯しろ。そうでなければ、900億は用意できないかもしれない」
 
「……わかりました。では、さようなら」
 
 わさびは俺が再び差し出したスマホをスッと受取り、ペコリとお辞儀をして歩き出した。
 今の提案を全て了承したと考えてよさそうだ。

 しかし……
 
「俺の番号は入ってるからな! 俺からの電話には必ず出るんだぞ!」
 
 彼女の背中に向かって、久しぶりに声を張った。
 
 これを伝えておかないと、あの女は電話に出ない可能性がある。
 “電話に出ろとは言われていません”、“携帯しろといわれたので、携帯だけはしています”と上げ足を取るような事を言うに決まっている。
 
「っ……俺、あいつの扱いに慣れてきてないか? ……」
 
 まぁ、いい。そうと決まれば、俺は春までに900億だ。
 
 俺は今、東雲の抱える企業の親会社となる、東雲ホールディングスでCEOをしている。自らは事業を行わず、子会社の経営管理に専念する純粋持株会社だ。要するに、金の管理は俺の仕事。
 もちろん、経営戦略から何から何まで最終決定権が俺にあるため、すべて管理していることになる。
 
 つまり俺は、こんな所で女子高生の背中を見送っている場合ではない。常に多忙を極めるのだ。
 
「待たせたな、会社に戻る」
「かしこまりました」
 
 会社に戻ったら、まずは運転手に自販機で借りた金を返さなければ。
 
 
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