東雲家の御曹司は、わさびちゃんに首ったけ
 

 それからしばらくして、神楽の株価は再び下がり始めた。
 ようやく東雲は、交渉に乗り出す。
 
 しかし、やはりというべきか、神楽側は交渉に応じる様子はない。
 おそらく、買収ではなく娘二人の婚姻により立て直す算段なのだろう。
 
 俺は買収の士業チームにひとまずは保留にするように指示をだす。
 
「晴人、九条の動きはどうだ?」
 
「九条に神楽買収の動きはない。まぁ、九条的にも息子がいない神楽の正妻の娘との結婚する事で、手に入れたも同然だと思っているんだろうな」
 
「そうだよな」
 
 そのまま勘違いしたままでいてくれ。九条 奏、お前が乗ろうとしているのは中身の無いハリボテの船だ。

「なぁ、神楽の前当主の遺言でわさびちゃんに神楽の所有してた馬の権利が全て譲渡されたって本当か?」
 
「……ああ、事実だ」
 
 最近になって、わさびが競馬に詳しかった理由が判明した。当然とも言うべきか、わさびのお爺が大の競馬好きだったらしいのだ。
 
 競馬好きと言っても、お爺は馬主として競走馬を持つことはせず、馬券を買うこともなかったという。
 にもかかわらず、彼は引退後の馬の繁殖や殺処分を減らすことに力を注いでいたのだそうだ。本当に、不思議な爺さんだ。
 
「競馬が好きというより、馬が走る姿が好きだったのだとわさびは言っていた」
 
「なるほどなぁ……」
 
 幸いにも、神楽側は馬について全く興味がなく、馬とそれに付随する施設などについては支出ばかりで儲けがないと言い、あっさりとわさびへの譲渡を許した。
 
 現在、樋浦弁護士が最優先で名義変更の手続きを行っている最中だ。
 
 
「それで……血も涙もない冷酷なCEO殿、最近の社内で一番ホットな話題を知ってるか?」
 
「俺は噂に興味ない」

 晴人は何かで俺をからかうつもりらしい。こいつのこの顔でわかる。

「俺はそれがただの噂なのか事実なのか、どうしても知りたくてな、今調査中なんだ」

「珍しいな、お前がそこまで興味を持つのは」

 ただの噂を自分から進んで調査するとは、コイツは暇なのか。

「“ここ1、2ヶ月、CEOが土日祝日必ず休んでくれるから、自分たちも休めて嬉しい”……“CEOが女子高生とのデートプランを考えているらしい”……“週末、CEOがめちゃめちゃ綺麗な若い子とボートレース場にいた”……“ジュエリーショップで真剣に選んでた”……“水族館で見ちゃった”……“CEOが笑ってた”───等など、だ」

 晴人の口からでてきた内容にはどれも心当たりがある。最後の笑っていた、というもの以外は。

「……うちの社員は、今の仕事量では足りないようだな。そんなくだらない話しをしているとは」

「いやいや、それはみんなもう忙しそうにしてたから、大丈夫だ! ───で、事実なのか?」

「事実だが……何か問題あるのか? 女子高生とはいえ、彼女はもう18を過ぎているし、そもそも俺の婚約者だ」

 俺の回答に、晴人は驚いたように一歩後退った。

「土日祝日休んでるのか? お前が? 仕事は忙しいはずだろ」

「忙しいが、休息は必要だ。しっかり休む事で翌日の仕事がはかどるとわかった」

 事実、土日祝日わさびと過ごすようになって、仕事の効率が上がったのだ。頭もさえて、処理スピードが格段に向上している。

「ジュエリーショップで真剣に、は?」

「……わさびに婚約指輪を渡していなかったからな、と、言ってもどうせいらないと言って受け取らないだろうから、卒業祝いと一緒に渡すつもりで純金のファーストピアスを購入した」

 わさびは高校を卒業したら、ピアスを開けるのだと俺に自慢げに言っていた。
 だから俺はその時はクリニックに連れて行くと言ったら、ピアッサーで開けるからいい、と断られたのだ。

「お前が……女性への贈り物を、自分で選んだのか?」

「彼女は婚約者だぞ、悪いか?」

 晴人は信じられないものでも見るかのような表情でブツブツ言いながら、そのままソファーに腰掛けた。

「それはそうと、明日は平日だが休みをとってるらしいな?」

「わさびの卒業式だ」
 
「……おお、ようやくかぁ! しかし、卒業式に参列とは……まるで保護者だな」
 
「……婚約者だが」
 
 確かに歳は10も離れているが、親程は離れてはいない。

「まぁでも、つまり、わさびちゃんとのお別れも近いわけか。大丈夫か? 散々振り回されてたみたいだから、良かったな、と言うべきか?」
 
「……」
 
 俺は晴人のその言葉に実感がわかなかった。
 
 わさびはこの数か月間、俺のマンションで普通に生活していた。
 俺に気を使うわけでもなく、好きな時に寝て起きて、勝手に食って、勝手に外出していた。
 
 俺も俺で、平日は忙しくてわさびに構っていられないことも多かったが、彼女は全く気にしていない。
 
 それでも一応は、どんなに仕事で遅くなっても、必ず夜はマンションに帰るようにして、わさびの寝顔を見てから俺も休んでいた。
 呑気な寝顔にたまにイラついた時は、鼻をつまんでみたりしていた事は秘密だ。

 だからこそ、週末はなるべく時間を合わせて一緒に過ごす事にしたのだ。

「不思議な子だけど、いい子だよな、あの子。お前のマンションを出て、どこに行くつもりなんだ? どっか行く当てでもあるのか? まぁ、金はあるだろうけど」
 
「……」
 
「……おい、紀糸? 聞いてんのか? さっきから無視か?」
 
「いや、何でもない。忙しいんだ、もういいか?」
 
「なんだよ。はいはい、またな」
 
 わさびは東雲が神楽を買収するために、自分が瑕疵になると言っていた。
 マリッジブルーを理由に逃げる、と。
 
 その話から、俺は神楽の当主が言っていた言葉を思い出した。
 
 “わさびを自由にしてやってほしい”
 
 その願いに、あの時俺はこう答えた。
 
 “何もせずとも、彼女は自分で自由に飛び立って行きそうだ”と。
 
 
 わさびは、高校を卒業したら本当に俺の前からいなくなるつもりなのだろうか。
 陳腐な書置きを残して、本当に失踪するつもりでいるのだろうか。
 
 考えてみたら、明日の卒業式が終わった後の話は一切していない。むしろ、俺が一緒に行く事すら知らないかもしれない。
 俺は当然、一緒に食事にでも行くつもりだったが、アイツはどうするつもりなのか、聞いていなかった。
 
 忙しいと言って晴人を帰したはいいが、まったく仕事が手につかない。
 
 居ても立っても居られれず、俺は自分のマンションへ帰る事にした。
 
 
< 27 / 57 >

この作品をシェア

pagetop