石楠花の恋路
⼣⾷を摂って本所に戻った頃には、幸枝は疲れ果てていた。 碌に⾷べ物も⾷べず朝から⼣⽅まで動きっぱなしで、その後は重い旅⾏鞄を抱えて歩き回っていたのである。 街では旅⾏鞄が盗られないか⼼配で、ずっと気を張り巡らせていた。 ⽗と兄に連れられて着いた新たな家は、 本社から歩いて⼗分ほどのところにあったかつての第三⼯場(こうば)の敷地にトタンで造られた、お世辞にも⽴派とはいえないものである。 敷地は⼆つに分けられ、 狭いほうがトタンの家、広いほうはロープが張られただけの更地になっていた。
「私、お⾵呂に⼊りたいわ、この近くだと……」
「奥に⼗五分くらい歩いた辺りに⼀軒有る」
三⼈⼊ればぎゅうぎゅうの居間に旅⾏鞄を置いた幸枝は、 溜息混じりに問うたが、兄の答に少しだけ表情が明るくなった。
「⾦はあるのかい、⾏くなら早いうちに⾏ってくると良いよ」
「ええ、そうするわ。お⽗様にも⾔っておいて、すぐに戻ってくるから」
幸枝は薄明かりのなか、 銭湯を⽬指した。 右⼿に⼗五分ほど歩いたところにあるらしいその場所を⽬指し、肌寒さを感じつつ歩く。
< 113 / 115 >

この作品をシェア

pagetop