石楠花の恋路
銭湯の湯に肩まで浸かると、いつかの華やかな⽇常が思い出された。 数年前までは毎晩仕事終わりに浅草へ向かい、 何度も同じ映画を⾒ていた。 街を歩いていれば、⾒知らぬ⼈との出会いがあり、顔⾒知りができ、 馴れ合っていった……あの⼈たちは今、どこで、 何をしているのだろう。夜空に煌めく街明かり、商売⼈の威勢の良い声──あの時は良かった。
毎⽇仕事には齷齪(あくせく)していたが、 仕事が終わればそそくさと浅草へ⾏き、 映画の中の⽢美な世界に溶け込むだけで。ただただ気楽だった。そんな⽇々のどこかで、あの⼈にも会ったっけな……⾒た⽬はあのスタアそっくりで、でも、中⾝はあまりにも柔らかくて、⾒かけは純真なのに、蓋を開けてみれば無味──そんな、今は亡きあの⼈──。
湯に⻑い間浸かっていたからか、幸枝は額までびっしりと汗をかいていた。顔の⽕照りに気がついた彼⼥は慌てて浴場を後にし、⽗と兄の元へ戻ることにした。
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